直ナル

仮面の下にある素顔:1




「俺にも、限界ってあるんだよ?」
「はい?」
 見慣れた、涼やかでどこまでも穏やかな双眸が。全く別のものに感じられたのは、初めてだった。




 曲者・ゴドー検事の親友で。超・個性派刑事恭介の弟で。今風のイケメンで。歯磨き粉や除湿機や高原のCMで活躍しそうな爽やかさで。
 天才と名高い御剣に比肩する位、優秀。なのに、御剣とは違って高飛車な所は全くなく、新人の成歩堂にも弟に対するような気安さでよく面倒を見てくれた。一人っ子の成歩堂は、こんなお兄さんが実際にいたらいいだろうな、と何度となく思ったものだ。
 いつだって、涼やかな笑みを浮かべ。豊富な知識と実績に裏打ちされた経験から齎されるアドバイスは、反発心も羨望も生じさせないまま、するりと胸の中へ染み入り。成歩堂が真に望む方へと、導いてくれる。
 まさしく理想の兄、というか先達者であった。
 勿論、成歩堂に見せる姿が直斗の全てでない事くらいは、理解している。直斗だって、爽やかじゃない笑顔をしたりマイナスイオンとは反対のマイナス感情を抱く瞬間があっても可笑しくない。というか、あって当然。
 しかし成歩堂に対して完璧に近い程、頼りになり尊敬できる部分しか見せず常に『良い人』で在り続けるなんて、とても難しいのに。それをスマートにさりげなくこなしてしまうから、余計敬意が湧いてくる。 
 そんな風に、成歩堂としては好印象しかないのだけれど。
 恭介とゴドーは、口を揃えて『騙されている』と断定し。直斗は腹黒だ、二重人格者だ、仮面王子だ、堕天使だ、メフィストフェレスだのと、散々扱き下ろす。
 成歩堂の親友である御剣もまた、未熟で人を信じやすい成歩堂には荷が重い人物だから距離を取りたまえと事ある毎に忠告してくる。他にも、直斗と近しい者からは似たり寄ったりのアドバイスを次々と受けた。
 成歩堂はその度、小首を傾げずにはいられない。誇張ではないか、と。
 直斗に暗黒面があったとしても、成歩堂にはいつだって優しくて面白くて目標とすべき人だったから―――。
 『あの事件』で、直斗が手を差し伸べてくれなかったからといって恨めしく思ったりはしなかった。薄情だと責める前段階で、事件が起こる半年前から長期の海外研修へ赴いていた直斗には、助ける術はなかったのが事実。
 振り返ってみると、あの時は運命の為せる技なのか前世のカルマなのか大殺界だったのかと勘ぐってしまう位、成歩堂の周りは敵ばかり。
 恭介は出世して、研鑽を積む為に地方の警察へ転勤したし。御剣とゴドーは行き方知れず。成歩堂の無罪を信じてくれた知り合いもいたけれど、残念ながら冤罪を覆す程の実力や伝手や地位を有した人は皆無。
 だから、成歩堂はたった一人で幼い子供を守りつつ、影すら見えない敵と戦わなければならなかった。
 正直、誰かいてくれればと血を吐くように願った事はある。着実に経験を重ねつつあったとはいえ、まだまだ新米で崖っぷちな弁護士には手に余る、難解な事件だった。精一杯、人事を尽くしたけれど健闘虚しく翻弄された。
 けれど―――恨んだ事は、一度としてない。これが成歩堂の戦いだと、成歩堂だけに与えられた戦いだと心のどこかで悟っていた。過去のトラウマ同様、乗り越えるべき壁なのだ。
 全く先行きの見えない孤軍奮闘を続けて、3年。
 研修を終えて帰国した直斗が、アンダーグランドへ潜っていた成歩堂を見つけ出し。人気絶頂のアイドルですら霞む煌びやかな貌に暗い蔭を落とし、笑みの欠片もなく助けられなかった事を謝罪した時も。謝る必要はないのに、と逆に成歩堂の方が慌てた。
 かなりのスキャンダルになったものの、どうやら情報操作がされていたらしく、直斗が事件を知ったのは1年半も後で。知ってからは遠い異国にありながら、あらゆる方法で情報収集や成歩堂の行方を追ってくれていたとか。