直ナル

クールビズ、実施中




 クールビズもかなり浸透し。今年は何と5月から開始されるとの発表があった。
「うーん、思い切ってノーネクタイにするか・・」
 所長室で一人考える成歩堂。職業柄、幾ら軽装が推奨されても中々ネクタイを外す所まではいかなかった。けれど、最近は官公庁でも高い確率でノーネクタイを遂行しているし。依頼人にまで『クールビズしないんですか?』と聞かれるようになってきた。
 これがゴドーや御剣だったら、ネクタイなしでもそう軽薄にはならず堅苦しくもなく、尚かつ涼しげなコーディネイトができるのだろう。しかし普段着のラインアップからしても、センスから程遠く。加えて財力にも乏しい成歩堂には、スタイリッシュなクールビズなど無理。
 となれば、成歩堂の選択肢は限られる。流石にポロシャツスタイルは止めたが―――たまたま来ていた真宵に『なるほどくん、学生にしか見えないね!』と明るく言われたのだ―――スーツの上着を脱いで、ネクタイを取ってみる。
「・・・落ち着かない」
 ネクタイがないのに第一ボタンを閉めているのは見た目的に可笑しいから、襟刳りを開ける。すう、とシャツの内側へ空気が流れ込んできた。学生の時は、ネクタイなんて息苦しそうだと思っていたけれど。今では、どうにも首元がスカスカして決まりが悪い。慣れとは恐ろしいものだ。
 コンコン!
「ベイビー、お邪魔する、よ・・」
 違和感を拭えない襟元を弄っていた時、開いた所長室の扉をノックしながらひょい、と直斗が現れた。ノックと同時に入室するのはおかしくないですかと何度もツッコんだものの、毎回邪気のない笑みと弁舌で流された為、もう諦めた成歩堂はいつものように迎えるべく視線を向けた。
「直斗さん・・?」
 だが、普段なら清涼感溢れるスマイルを炸裂させてくる直斗が驚きの表情をして立ち尽くしていたものだから、成歩堂もびっくりして立ち上がってしまった。未だ固まっている直斗へ小走りで近付き、そっと肩に触れる。
「直斗さん? 大丈夫ですか?」
 基本が涼やかな笑顔だけに、体調でも悪いのかと心配する。
 クルッ
「へ?」
 トスッ
「ええ!?」
 微妙にずれた所を凝視していた直斗の双眸が、成歩堂のそれを捉えた次の瞬間。成歩堂の身体は180度回転した挙げ句、壁へ押さえつけられた。動きが止まった後で、ようやく何が起こったのかを理解した程の素早さだった。
 直斗の代名詞ともいえるソフィスティケートされた仕草から比べると、粗暴ですらある行動。成歩堂はただただ、十数センチの位置にある直斗の瞳を見上げた。
「―――ベイビー」
 柔らかい、声音。上から注がれる、柔和な眼差し。
 変わった部分は全くないのに。
 成歩堂の背筋を走ったのは、凍り付くかのような悪寒。
「このラインは、俺以外に見せちゃダメ」
「!!」
 すぅっと直斗の顔が下がったかと思うと、首筋に小さな痛みが齎される。
「しっかり教えてあげようか」
 不穏な台詞が届いても。
 成歩堂は雰囲気に呑まれ、抗う事すら忘れてしまっていた。




 重く気怠い腰を庇いつつ恐る恐る鏡を覗けば。
 デコルテに幾つも散らばる、朱の花弁。表は勿論、合わせ鏡で確認したら裏にも数え切れない位、沢山。
 襟元を寛げたら思い切り見えても、ネクタイを締めると綺麗に隠れた。
 直斗の周到さに、深い溜息が出る。
 爽やかな顔で、全然爽やかでない事を仕出かされた成歩堂だったが。直斗への文句は出なかった。
 責めても、いつものごとく言いくるめられるだろうし。煙に巻かれる以上の展開が、うっすら予感されたし。
 何より。現在事務所で稼働中の空調は、加湿・除湿・空気清浄・省エネ・エコモデルとパーフェクトに揃っており。消費電力は低くて懐に優しく。無理なくクールビズを遂行できて環境にも優しい、最新かつ高性能なもの。
 事後承諾で設置し、値段以外の説明を懇切丁寧にした直斗の(一癖も二癖もある)甘やかしに、苦笑と共に流される事を選んだのである。