爽やか。
腹黒。
相反する言葉だが、この二つはとある一人を表現している。
テンガロンハットの鍔を二本の指で摘み、にこやかに挨拶し、笑いかけ、周りにいる女性をぽぅっとさせながら歩く直斗。
時折積極的な子に捕まり、バシバシでムンムンな秋波を浴びせかけられていたが、嫌な顔もせずしばらく付き合い。その後どういうマジックを使ったのか、相手の機嫌を損ねる事なく引き留められる事もなく、また進む。
「すごいなぁ・・」
たまたまその光景を目撃した成歩堂の視線は、英雄を見るようなそれだった。
自他共に認める恋愛ベタの成歩堂が、そんな好き好きビームで灼かれたら真っ赤になって舞い上がるか、ビリジアンになって狼狽えるか。
同性としてモテ度の差に羨望を感じるより前に、己には一生かかっても到達できない域だ、とひたすら感心する。
「・・・まぁ、少数精鋭でいいし」
ハーレムに憧れる気持ちもあるが、心が通じる人が一人でもいれば十分。
その一人ですら、未だ見付からないとか。
『でいいし』と言っている辺り、やっぱり羨ましいと思っているのか、とか。
どっちにしろ自分を磨かなきゃダメだよな、と苦笑し。鞄を持ち直して歩き出そうとした時。
「成歩堂くん、発見〜」
「うわっ!」
シトラスの清涼感溢れる香りを引き連れて、重くて暖かいものが成歩堂の背中に張り付いた。
足音はおろか気配もしなかったものだから、成歩堂は思いきりビクついてしまった。足下も縺れたが、腹に巻き付いた腕がそつなく支えて躓くまでには至らない。詰って良いのか感謝した方が良いのか微妙なラインである。
「・・・こんにちは、直斗さん」
むぎゅむぎゅ抱き締められ。
オンブお化けのように引っ付き。
そこに少し間延びした声と嗅ぎ慣れた匂いが加われば、振り返らなくても誰だか分かる。
「えっ、すごい。これって愛の力?」
なのに、あっという魔の早業で成歩堂を方向転換させて前からハグし直した直斗は、さも特別な事のように驚き。喜び。にこにこーっと微笑むのだ。
「いやいや、どちらかというと直斗さんの存在感故かと」
曖昧に笑うしかない成歩堂。
以前、『いるだけで周囲を爽やかにする空気清浄機よ!』と胸の前で両手を組んだ女の子が、目をキラキラさせて主張していた。
その一方。
『アイツの腹ン中は、コールタールより真っ黒だぜ』と、寒そうに身を震わせながら断言する者もいる。
確かに、ごく親しい者だけの時は直斗の背後に暗雲が立ち籠め。凍傷寸前の冷気が漂い。抹殺目的かと思う位、鋭い毒舌が放たれる事もある。しかも口調と表情は普段通り清冽で柔和だったりするから、シュールさと怖さは倍増。
けれど。
「俺は成歩堂くんにとって、特別な存在になりたいな」
「・・・・・」
蕩けそうに。愛しそうに。
涼やかな双眸を甘やかな色に染めて成歩堂を見詰め、笑み、言霊を発するのは『どっち』の直斗なのか。それとも、全く別なのだろうか。
最近頓に、直斗はこんな表情を成歩堂へ向ける。いや、成歩堂と相対する際は大抵こんなピンクの雰囲気を醸し出している。何だか甘いものを食べていないのに虫歯になってしまいそうで、ちょっと心配だが。
成歩堂が知る中では一番生き生きとしていて、まぁいいかと思う。
またべったりくっつかれ、身動きが取れなくて大変な時もある。離れようとするとあの手この手を使ってリターンし、血統書付きのゴールデンレトリバーを彷彿とさせる目付きになって『お願い』してくる為、無碍にできなくてやっぱりいいかと流してしまう。
「あー、癒される。マイオアシス。手放したくないって事で、お持ち帰りしていい?」
「うーん、早く帰って休んだ方がいいですよ。無理しないで下さいね」
柔らかくも細くもない男の自分に弱音を吐く程疲れているのかと不安になり、具合を伺うように直斗を覗き込む。
直斗は―――。
掴み所のない、それでいて酷く透明な笑みを形良い口元へ湛えた。
「・・・ベイビー、その内攫っちゃうよん」
成歩堂の肩にグリグリと額を押し付けながら、囁かれる。
時折現れるようになった、新たな表情。態度。言葉。
これらが実は成歩堂しか見た事がないと知るのは、もう少し後。