「お呼びかい?局長さん」
脚をやや肩幅より開いて立ち、片手をスラックスのポケットに突っ込んだお決まりのスタイルで、神乃木は検事局のトップと対峙した。
検事局に配属されて、ようやく一年が経過した新人検事ではあるが、神乃木は初対面の時からこんな風に傲岸で傍若無人で不遜な態度を取っている。
それが、配属前に数年間アメリカで弁護士をやっていた経験から来るのか、生来の性格かは知らないが、検事局長・御剣は郷に入りては郷に従えと、神乃木が出頭する都度苦言を呈す。
「かけたまえ」
しかし今日に限って、ギロリと迫力満点の三白眼で睨んだだけで、着席を促す。
それが、神乃木が感じ取った最初の『違和』だった。
自分も局長机からソファへ移動した御剣は、端整な顔立ちを上品に飾る、細い銀縁の眼鏡越しに改めて神乃木を見遣った。
「君の案件に、佐津間という男がいるだろう」
無駄な世間話などせず、御剣はすっぱり本題に入った。
「……あァ、一昨日回ってきた傷害致死のヤツだな。ソイツがどうかしたかい?」
酔った勢いで喧嘩になり、殴った相手が倒れた際に頭を強打して死亡した、という案件だった。
軽微な前科は幾つかあったが、目撃者も多数いたし、感触では検事局長が気にする程そう厄介なものではなかったのだが。
「佐津間には、別件で20年の求刑も可能な容疑があるのだ」
「20年? 随分な大物じゃねぇか」
今回のケースでは5年前後の求刑が妥当な所だから、その4倍を求刑しうる罪状となれば、別件勾留で起訴の主軸を変える必要が出てくる。
「ずっと追っていたのだが、手配をかける前に出国されてしまい、今回の逮捕まで帰国していた事実も掴めなかった」
眉間の皺が増えたので、逃亡を許した事に加えて、入国の情報を掌握できなかったのがかなり腹立たしいのだと推測できる。神乃木は、とりあえず逃亡時には己が日本にいなかった幸運を神に感謝した。
検事だった頃もその容赦なさで有名だったらしいが、局長になってからも苛烈ぶりは衰えを知らない。何度か御剣がフルスロットルになった場面に行き合った事のある神乃木は、『敵にまわすと厄介な男』という認識を抱いている。
「傷害致死でなく、別件で訴追したい。必然的に、煩瑣な案件になる事が予想される。もし君が他の案件との兼ね合いで処理が難しいようなら、引き取る事も考えているのだが、いかがだろうか?」
遍く公平に、が前提でも。あくまで前提であって、現実には異なる事など幾らでもある。
察するに、この件は特別な事情があるのだろう。御剣局長が、慎重かつ積極的にならざるを得ない経緯が。
神乃木は。
好奇心旺盛の上、困難が大きければ大きい程燃える質だったから、手放すなんて勿体ない事はしなかった。
「俺ぁ、アロマを味わいもせずに捨てたりはしねぇ主義なんだ」
「……引き続き担当する、という意味か」
御剣の眉がキリ、と吊り上がる。
頭脳明晰な御剣だから、神乃木の言葉が理解できなかった訳ではなく、神乃木の回りくどい物言いが気に入らなかったのだろう。
「では、これが関係資料だ。一部は持ち出し禁止なので、直ちに閲覧したまえ」
「・・・・・」
テーブルに置かれた資料は、高さが優に10pで。別に取り置かれた持ち出し禁止分は、5pの厚みがあった。
ちら、と局長室の時計を見遣る。終業時刻まで、後15分。
いかに神乃木が優秀な若手検事として評価されていても、時間内にこれだけの書類を読破する事は無理だ。
引き受けたのは早計だったかと少々後悔しながらも、一番上の資料を取り上げる。
そこへ、微妙に潜めた声が掛かった。
「それから。今回は特例として、オブザーバーを一人つける」
「あ…?」
思い掛けない言葉に顔を上げれば、そこには未だかつて目にした事のない御剣の表情があった。
案じているような。躊躇っているような。出来うるならば、回避したいというような。
理解しかねて質問しようとした神乃木だったが、それは、第三者の介入によって遮られた。