ゴドーの多趣味の一環で、事務所は有線を引いている。費用はゴドーのポケットマネーだし、二人きりの時だけチャンネルを合わしているから、成歩堂はとやかく言わない。一人でも、音が欲しい場合はちゃっかり使わせてもらっているし。
今日も、最新の流行曲からナツメロまで幅広く流れ、鼻歌にしては高尚すぎるゴドーのハミングをBGMに書類と格闘していたのだが。
独特の、少々子供っぽく歌う女性ボーカルの高音が聞こえた時、成歩堂はつい固まってボールペンを取り落としてしまい。その様子を鋭く見咎めたゴドーに追求され、渋々その曲に纏わる思い出話を披露する事になった。
―――デートの途中で入った喫茶店は、BGMに有線を使っており。そこで、件の曲を初めて聞いた。
歌詞は、彼氏から貰ったプレゼントを彼女が延々と述べていくもので。これ位やらないとダメなのか、と冷や汗を掻き始めた成歩堂の耳に、『あなたが私にくれたもの アメリカ生まれのキーボード』というフレーズが鮮明に飛び込んできた。
そこで成歩堂は何故か、『豪気で金持ちの恋人が、アメリカ出身のキーボードプレイヤーをプレゼントした』と解釈したのである。
当時大学生で甲斐性とは無縁だった為、歌詞のように財力も権力もない己を恥じ、焦り、『ボクがプレゼントできるのは、精々ただのキーボードだけかな』と謝罪した所。『あの人』は少し怪訝な顔をしながら、家にピアノがあるからキーボードは必要ありませんと労ってくれたのはいいが。その後『どうしてキーボードなんですか?』と質問され、今度は成歩堂がハテナを繰り出す番だった。
成歩堂の勘違いが判明しても、『あの人』は楽しそうに笑って済ませてくれたものの、この話にはまだ続きがあった。
「実は、キーボードじゃなくて『ピーコート』と歌っていたんです」
「クッ・・恋の病で、耳まで可笑しくなってたって事かィ」
喉の奥でクツクツ笑われ、昔の恥ずかしさがジワリと蘇ってくる。
お気に入りの歌だと言われただけで、歌と同じ位、いやそれ以上の贈り物を捧げる事が想いを証明する方法だと早合点したり。誠心誠意尽くす事が喜びだと、思い込んだり。
今になってみれば、若気の至りを通り越して黒歴史だ。
「まぁ、恋に恋してた時点でまともじゃないですけど」
「それもまた、青春の一ページさ」
「ゴドーさんこそ、恥ずかしい発言してますよ」
「オレは永遠のハタチだからな」
「いやいやいや、僕よりイタいですって!」
ゴドーと軽口を交わしながら。成歩堂は、ふと気付いた。―――『あの人』を思い出しても、鈍くて苦い痛みが走らない事に。
ずっとずっと、己の未熟さが引き起こした事件は癒えない疵となって、心の奥底に沈殿していた。膿んだ傷口が発する痛みと哀しみと想いの残滓は酷く重く。しかし、一種の贖罪だと諦めたのに。
つい先刻彼女の事を話した時は、ただ懐かしく。甘酸っぱさを感じただけだった。
多分。
変容の原因は、ゴドー。
「・・・ゴドーさんには、沢山貰いましたね」
「ん?」
わしゃわしゃトンガリ頭を掻き回すゴドーを見上げ、しんみり呟く。
笑い。
仕事のテクニック。
ブラック珈琲への耐性。
ちょっぴり危険でアブノーマルな大人の世界。
もう一度、人を信じる心。
今までとは、全く異なる愛。
「ありがとうございます」
ゴドーが成歩堂にしてくれた数々に、改まって礼を告げる機会なんてないから、些かの恥ずかしさを堪えて目を合わせる。
「何だィ、急に」
ゴドーは少し、銀縁眼鏡の奥にある双眸を見開き。
「礼なんか、いらねぇさ」
ついで、ニッと、口端を引いて笑った。あ、これはマズい、と成歩堂が思うより早く。
「オレも、コネコちゃんのお初を色々貰っちゃったからな!」
「・・・言わなくていいです」
お得意の爆弾発言が飛び出し、頭がガックリ垂れ下がった。成歩堂と違ってハッタリではないだけに、ツッコミも不可能。成歩堂が山程持っている羞恥心をゴドーに分け与えたい、と痛烈に思う。
「他にも、あるぜ」
「ゴドーさんってば!」
耳を塞ごうとする成歩堂を押さえ、ゴドーは無駄にフェロモン滴る声で羅列し続けた。
コネコちゃんの純情。
笑いすぎからくる、腹痛。
ドS魂。
オカン属性。
魅惑のアロマ普及計画。
「禄なものがありませんね・・・。それから、先天的な嗜好を混ぜないで下さい」
「まるほどうによって、開花したのさ」
内容の酷さに脱力した成歩堂の額へキスし、リストアップが再開する。
過去との決着。
荒れた心の浄化。
葬り去った筈の希望。
悪夢を見ない安眠。
「それから―――真の幸せってヤツだろうなぁ」
「さらっと言っちゃえるんだもんな・・」
耳朶まで赤くなった成歩堂は、とうとう耐えきれずゴドーの肩へ顔を埋めた。
やっぱりゴドーには、羞じらいを上げたいと思いながら。
あなたが私にくれたのは。
欠けた世界を完全なものにしてくれる、唯一の存在。