ゴドナル

ポジション争い




 みぬき達の気遣いは、嬉しかったけれど。
 『お母さんじゃないよねぇぇ!?』とのツッコミが喉元までこみ上げた。




「料理だって掃除だって、断然ゴドーさんの方が上手だし。真っ先に頼るのはゴドーさんだし。誉めるのも叱るのも、すっごく効果的にやってるし・・」
「クッ・・俺のコネコちゃんが可愛くミャアミャア鳴いてるぜ」
「コネコじゃありません!」
 助手席でボソボソ呟いている成歩堂をチラリと見遣ったゴドーが、喉の奥で笑った。成歩堂なんでも事務所の面々に見送られてからずっとブツブツ言っている様は、ゴドーにとっては笑いのタネそのものなのだろう。
 しかし、成歩堂にとっては笑い事ではない。大袈裟に言えば、己の存在意義にも関わってくるのだ。
 勿論、みぬきが中心となって土日の二日間が完全なフリーになるよう手配してくれたのは嬉しいけれど。お洒落でちょっとお高めなホテルのディナーをプレゼントしてくれたのには、無理しているのではないかと驚きが勝った。
 加えて、そのサプライズは母の日だからとニコニコしながら言われれば。冒頭のように『母親じゃない』とのツッコミが喉元まで込み上げてしまう。一体、みぬきの父親として頑張ってきた数年間は何だったのだろう、と。
 成歩堂だって、一応は理解している。
 事件から数年後、ゴドーが現れてから成歩堂とみぬきの生活は心身共に向上した。全体的に苦節の時ではあったが、ゴドーが加わるビフォーアフターは雲泥の差。
 事件で手一杯の成歩堂の分もみぬきを慈しみ、可愛がってくれたのはゴドーで。父親の役割も母親の役割も、それこそ成歩堂より何倍もそつなくこなしていた。そんな包容力だっぷりで頼りがいのあるゴドーを例えるなら、母親より父親。重々、承知しているけれど―――。
「アンタは俺の奥さんなんだから、『母親』で間違いないだろうぜ!」
「いやいやいや、奥さんでもないし!」
 そう、成歩堂が何とか母親扱いを回避したい理由はここにある。
 成歩堂とゴドーは、そのようなアレ的関係で。済し崩し的に、成歩堂が受け入れる側だ。成歩堂は、ゴドーとの恋愛関係は兎も角、閨での役割など一度たりとも口にした事はないのに、どうやら周囲にはバレているらしく。
 故に、母親と称されるに違いない。そのニュアンスを感じる度、成歩堂は居たたまれないような気分になる。どうにも、恥ずかしくて恥ずかしくて。
 あと数年で不惑になるのに、ソッチの面では未だ初心さの抜けきれない成歩堂であった。 「クッ・・まるほどう、そんな事を言っちゃっていいのかィ?」
 慣れた様子でホテルの駐車スペースへ車を止めたゴドーが、助手席へと身を乗り出した。緩やかに弧を描いた口元と眇められた淡い双眸は、成歩堂の警報装置を激しく作動させる。
「う・・そういう意味では・・」
 ゴドーへの想いを否定したい訳ではないから、ゴドーの指摘に成歩堂はモゴモゴと言葉を濁す。
「なら、まるは俺のコネコちゃんで奥さんで決まりだな」
 成歩堂の気持ちなんてまるっとお見通しなゴドーは、素早く唇へキスを落とし。成歩堂がビックリしている間に車を降り、助手席のドアを開けて恭しく成歩堂をエスコートした。




 人工照明で煌びやかに彩られた街は、毎日多くの時間をそこで過ごしている筈なのに、まるで別世界のように見える。雰囲気マジックってすごい、と成歩堂はぼんやり夜景を眺めていた。
「まるほどうが見るべきものは、もっと他にあるんじゃないかィ?」
 窓のうっすらとした反射だけを前触れにゴドーが近寄ってきて、成歩堂をガッチリ抱き締める。苦笑と共に、成歩堂は腕の中で反転した。
「ゴドーさん・・相変わらず気障ですね」
「クッ・・胸の内を、素直に吐露しただけだぜ」
 掠める口付けを額、鼻先、頬へと贈られ、苦笑はくすぐったそうな吐息に混じって消える。 
 みぬき達のプレゼントは、ホテルディナーと日曜までの母親業解放。この、如何にもなスゥイートルーム宿泊は、ゴドー個人のセッティングと解すべき。
 何年経っても恋人に甘いよな、と少々の呆れ。それから、気恥ずかしさと喜び。偶には水入らず恋人と二人きりでゆっくり過ごしたいと願うのは、成歩堂も同じ。ただ、言動に出すには羞恥が勝るだけで。
「・・ん・・っ・・」
 だから、次第に深くなっていくキスを拒まず。そっと両腕を広い背中へ廻す事で、精一杯気持ちを伝える。
 たとえ。
 さり気なく、それでいて成歩堂が意識する程度の速度で背広のボタンが次々と外され。身体のラインとぴったり添っているウエストコートとシャツも、後を追い。素肌を直に触れられる一方、一枚また一枚と服が剥ぎ取られていっても。
 ここで流されると、母親のポジションが確定してしまうとの予感があっても。
 今日の服装一揃いを買ってくれた時の、『恋人に洋服を贈る意味は知ってるよな?』との思わせ振りな台詞と笑みが脳裏に過ぎっても。
 霰もない姿が窓硝子に反射していて、顔や肌が火を噴くのではないかと思う位、羞恥を覚えても。
 成歩堂の中に、ゴドーから逃れるという選択肢は欠片もなかった。