「まるほどう、ご所望のカフェ―――」
繰り返し強請られ、渋々白い泡と甘味で魅惑のアロマを薄めた代物を作ってやったゴドーは、成歩堂の姿が目に入った所で声を潜めた。
書類を手に持ったまま、首を傾けて微かな寝息をたてている成歩堂。ここ数日掛かりっ切りになっていた事案が一段落し、ふと気が緩んだのかもしれない。ゴドーが珈琲を淹れるべく席を空けた数分の沈黙で、睡魔に負けたらしい。
再び弁護士の資格を取って働き始めた成歩堂を、パラリーガルとしてフォローしてきたゴドーだから、その忙しさも大変さも十分把握している。
音がしないよう静かにマグカップを置き、やはり静かに隣へ腰掛ける。書類もバインダーへ戻すと、ゆっくり成歩堂の身体を引き寄せて自分の肩へと凭れかからせた。急を要するものはないので、しばらく休んでも問題はない。
「クッ・・・寝顔はまだまだコネコちゃんだな」
一大センセーションを引き起こした復活劇。不死鳥の弁護士だの青い魔法だのと一躍有名になり、仕事振りもなかなか良い評価を得ているが。一端仕事モードを離れれば、童顔でうっかりでのんびりな青年の印象が強い。
強かさを身に付けた弁護士でも。
一人娘を溺愛する父親でも。
後輩を、それとは分からぬ心遣いで大切に育てる先達でも。
野良猫の気紛れさを追加したコネコでも。
どんな成歩堂でも、ゴドーの内に沸き上がるのは愛しさだけ。
とはいえ、穏やかな心情に落ち着いたのはかなり歳月が経った後。出会った頃は、親しくなる要素など全くなかった。
憎んで。
嘲って。
戦って。
敗れて。
ある意味分かりきった結末を迎え。禊ぎでもしたかのように、負の感情は消滅する。
それからは。
恋して。
秘めて。
別れて。
戻って。
長く、擦れ違いの時を過ごした。
それが最善だと周りと自らに信じ込ませ、本心を深く押し殺す日々は、己の未熟さと運命に唾を吐きかけ後悔に塗れた日々より数段虚しく。投げ出さなかったのは偏に、成歩堂の痛々しい生き様が目の前にあり、ここで目を背けたら完全に取り返しが付かないと直感で悟った為。
今になって思えば。敢えて綺麗事を言えば。あれは不可欠な空白だったのだろう。ゴドーも成歩堂もそれぞれの艱難辛苦を乗り越えた結果、最後には互いの存在を穏やかな心で受け入れられて。
告げて。
抱いて。
愛して。
愛し続ける―――。
「コネコすぎて、帰る場所を間違えるなよ・・?」
周囲がまた賑やかになり、成歩堂とみぬきとゴドーでひっそり作っていた輪が、一挙に広がった。事務所としても家族としても、絆は育ち、着実に深まってきている。
それは喜ばしい事ではあるものの、譲れない点はある。
成歩堂の心に、解けない謎と消えない瑕疵を残した者。
輝ける未来へ、正しく導いてやりたいと思う者。
慈しみ、世界中の幸福を集めて与えたい者。
その他にも、成歩堂の心へ留まる者は増えていくばかり。沢山の想い毎、大切にするつもりだが。
『伴侶』の立場だけは、誰にも譲る気はない。
ゴドーはベストのポケットから取り出したプラチナのチェーンを、不自由な体勢ながら器用に成歩堂の首へつけた。その先端には、シンプルなデザインのリングが一つぶら下がっている。
何年も何年も、成歩堂に渡される刻を待ってゴドーの元で眠っていた『証』。ようやく日の目を見る事に、感慨すら湧いてくる。
「思い出せなかったら、お仕置きしちゃうぜ!」
笑みを湛えた唇を、そっと髪へ落とす。
実は、今日は記念日。
遠い日の約束を、果たして成歩堂は覚えているだろうか。
何度だって、新しいスタートを切る。
二人で在る、未来の為に。