「クッ・・・コネコちゃんは、ピアノの弾けないピアニストへ逆戻りかィ?」
事務所を訪れたゴドーは、開口一番、そう揶揄した。
手作り感溢れるニット帽。身体のラインを隠す、ぶかぶかなパーカーとスウェット。それは成歩堂のトレードマークとも言える格好ではあったが。つい最近、卒業した筈。
疎らな無精髭を剃り。額の一房を残して、髪をトンガリに撫でつけ。以前は着なかったベストをプラスしたスーツを纏い。数年のブランクを経て弁護士に復活した法廷は、様々な意味でニュースを賑わしたものだ。
日中は弁護士スタイルが定着してきたのに、突然野良猫の風体に戻ってしまったのだから、ゴドーが指摘するのも当然といえよう。
「・・そういう訳じゃありませんよ」
ソファへ深く座りダルダルな雰囲気を醸し出す成歩堂はニット帽を引き下げて視線を隠し、ゴドーのツッコミを歯切れ悪く流した。
「というか、今日は来なくていいってメールしましたよね?」
しかも早く帰れと言わんばかりの態度に、ゴドーの眉が持ち上がった。
「ふぅん・・・隠し事をするコネコちゃんも嫌いじゃないがな」
愉しげに唇の端をカーブさせながら歩み寄り、成歩堂が顔を顰めるのにも構わずドカリと隣へ座る。
「風邪でも引いたなら、念入りに看病してやるぜ」
「お気持ちだけありがたく受け取っておきます」
「って事は、理由もないのに俺との逢瀬をキャンセルしたのかィ?」
「・・・・・・」
ほんの少しトーンを変えれば、昔と比べて断然上手くなったポーカーフェイスが微かに崩れた。
離れていた時期はあったものの、ゴドーと成歩堂は娘・みぬき公認の恋人関係にある。みぬきとの生活を優先している為、ゴドーのマンションへ行ったりゴドーが来たりと多少距離はあるにせよ、『パパ達、ラブラブ〜』と冷やかされる位の仲だ。
今日からみぬきが修学旅行で家を空けるとなれば、久方ぶりに二人きりの時間が取れる。成歩堂もゴドーも、楽しみにしていた。ところが、喧嘩をした訳でもなくいきなり事件が舞い込んできた訳でもないのに、成歩堂が一方的に断ってきた。
成歩堂に関しては独占欲も所有欲も人並み以上に持ち合わせているゴドーが、はいそうですかと納得する方が可笑しい。乗り込んでみると、やはり様子が違う。
「素直に吐いちまえよ、まるほどう」
ゴドーは、逃がす気ゼロの笑みを披露した。
「何の事か分かりませんね」
言葉とは逆に傍目からハッキリ分かる程、成歩堂の上体が引いた。本心を掴みにくいと評されるようになって、数年。けれどゴドーに通用する確率は五分五分。しかも今回はとても分が悪く、そもそも自信がない。
速やかな逃走が唯一の有効手段だと一秒もかからずに結論を出し、そっと、尚かつ素早く立ち上がろうとした―――が。
「うぐっ!」
同時に伸び上がったゴドーが成歩堂へ覆い被さり、全体重をかけた。身長も体重もゴドーに劣る上、体勢が斜めになっていた成歩堂は一溜まりなく、再度ソファへ倒れ込んでしまう。
「観念するんだな」
ソファとゴドーの身体とに挟まれ、最早身動ぎもままならない成歩堂。それでも視線を避けるように、プイと明後日の方を向いた。
「可愛い真似、するじゃねぇか」
くつくつ喉の奥で笑い、ゴドーは成歩堂の頬を包んで向き直らせてから擽るように指を上へ滑らせていった。そのまま、成歩堂が身を強張らせるより早くニット帽の縁へ差し込む。
「ま、待った!」
「・・・ん?」
ゴドーとしては、別段意図があってした行為ではなかった。強いて言えば、一見硬そうで実は指通りのよい髪の毛がお気に入りだから掻き回したいと思っただけ。
故に、ずれたニット帽の下から、やけにリアルな猫の耳がぴょこんと立ったのを目撃した時。然しものゴドーも目を見張った。髪の毛と溶け込むような漆黒の毛並みは、艶やかな光沢を放っていて。緊張しているのか動揺しているのか、小刻みにピクピク動く。
「俺のコネコちゃんは、いつの間にネコっぷりを上げたんだィ?」
「・・・ネコじゃありません・・」
「とは、もう言えない筈だぜ」
「・・・・・」
深い溜息は、全面降伏の証だった。
―――決して忘れていた訳ではないけれど。復帰のゴタゴタで真宵への連絡が遅れた事は、事実。やっと時間を見付けて話したものの、既に真宵は別ルートから情報を入手しており。
拗ねた。
盛大に。
ひたすら謝り、みぬきにも援護してもらって、何とか許しは得られた。が。真宵は、悪戯という名の意趣返しを今回の上京でしていった。それが、綾里の秘薬による猫化。楽しそうに写メを撮りまくる真宵を責める気はなかったが、コスプレ紛いの格好は人目に晒せるものではない。
一日位で治るとの言葉を信じて引き籠もりを決め込み、ゴドーには黙っている事にした。
何故なら・・・
「クッ・・たっぷりじっくり、面倒みちゃうぜ!」
「いやいやいや、お願いですから触らないで下さいっ!!」
ゴドーが妙に張り切るのが分かりきっていたから。早業でパーカーの中へ忍ばせた手は、もう隠しておいた尻尾を探り当てて引っ張り出している。
「にゃあって啼きな、コネコちゃん」
舌舐めずりせんばかりの表情は、まさに獲物を前にした肉食獣。猫も肉食獣ではあるが、今夜は骨までしゃぶられるとの予感に、成歩堂は猫耳と尻尾をぶわりと膨らませた。