主婦は、井戸端会議をするらしいけれど。
主夫の成歩堂は、結婚してから三年、一度もした事がない。
住んでいるマンションは、プライバシーを殊更重視する人々用に設計されていて、他の住人と擦れ違わないで生活できてしまうし。日々の買い物も、大半がお取り寄せで済むし。
というか、顔馴染みができる程、一つ所に通うのをゴドーは渋る。ゴドーが気にかけるような危険も機会もないと成歩堂は思っていても、却下し続け。結果、主婦仲間はできなかったものの情報の氾濫している昨今、井戸端会議の中身は察しがつく。
今、たまたまつけていたテレビでも言っているように、歳月を経るとトキメキがなくなるとか、会話もなくなるとか、悪い所ばかり勘に障るとか。夫の言い分も妻の言い分も理解し得る特殊な立場にいる成歩堂は、しかしどちらにも共感しきれないでいた。
曰く、甘い言葉をかけていたのは最初だけ―――ゴドーはエロトークぎりぎりの睦言を朝昼晩、時間も場所も構わず紡ぐ。
曰く、結婚記念日は疎か誕生日も覚えていない―――最低月に一回は金と手間のかかったイベントが催され。
曰く、もう何年もセックスレス―――不謹慎かもしれないが、少しは枯れてくれないかと何回も真剣に願った。
そう。夫のゴドーは、ことごとく普通の枠から外れているのだ。
所謂、世間一般との違いを実感する度。成歩堂はラッキーだなぁ、としみじみ思う。主に夜とか閨とか夫夫の営みには、ツッコミ所と異議が多数あれど。三年経っても、ゴドーの愛情は全く薄れていない。
倦怠期の訪れを密かに待ち望む程、愛されている自覚はある。そして、それがどんなに恵まれているのかも。ゴドーみたいな愛情深い夫と出会う確率がかなり低い事は、年を重ねる毎に理解できてくる。
ピンポーン
柔らかなチャイムが部屋に鳴り響き、成歩堂はハッと物思いから戻ってきた。この着信音は集合エントランスではなく玄関だから、おそらくゴドーが帰宅したのだろう。
早足で向かい、何回となくお仕置き付きの注意を受けたからドアスコープを覗いてからチェーンと鍵を解除する。
「ようやく帰って来られたぜ、まるほどう」
「お疲れさまです、ゴドーさん」
「三年目の十一月二十二日だ。一緒に迎えられて嬉しいぜ」
「僕もです。素敵なお土産、ありがとうございます」
抱えきれない大きな花束と。多分、花束以外のプレゼントの紙袋と。頬への軽いキスと共に渡された成歩堂は、少々照れながらも心からの礼を告げた。
今までに二回、『いい夫婦の日』をゴドーが盛大に祝ってくれたから、今年は忘れずにいられた。成歩堂なりに頑張って料理にも気合いを入れた。―――もう、記念日を忘れてのお仕置きは、御免なので。
「お風呂も夕食も、準備できてますよ。どうしますか?」
「健気な奥さん、嫌いじゃないぜ! だが、俺の答えは一つしかない。チョイと待っててくれないかィ?」
「・・・ごゆっくり・・」
一応健康体になったとはいえウィルスを寄せ付けない方がゴドーの為なので、何回かの小競り合いの末、帰宅直後の雪崩れ込み禁止を徹底させた。数少ない、成歩堂の主張が通った事例である。
しかし手洗い嗽が終わった後は、主導権はゴドーに移行し。風呂と食事に次ぐ第三の選択肢(成歩堂)が選ばれる事も多々あるから、成歩堂は食事を温め直し、花を花瓶へ活け、できるだけ忙しくしていた。
「今日も、美味そうだな。まるの次に」
「っ・・ゴドーさんの贔屓目ですよ」
尤も、何の気配もなく背後へ立ったゴドーに抱き竦められてしまえば、もう逃げ場はない。一瞬身を固くした成歩堂はそろそろと息を吐きつつ弛緩し、反転した。カーブを描いた口角が意味する所は明らかで、今度はのろのろと背伸びする。
「お帰りなさい」
「奥さん、ただいま」
チュッ
三年越えても、送りと迎えのキスを成歩堂からする事に羞恥を覚えるのは可笑しいのだろうが。恥ずかしいものは、恥ずかしい。少し赤らんだ頬が、成歩堂の心情を現していて。ゴドーの笑みが一層深まった。
「ちょっ、ゴドーさっ!?」
深まったのは、そこはかとなくエロい笑みだけでなく。成歩堂がしたキスより何十倍もディープなものをゴドーは仕掛け、その場で成歩堂を押し倒した。
―――きっと。来年も再来年もその先も。ゴドーと成歩堂は同じような『いい夫婦の日』を過ごす事だろう。