「まるほどう」
周囲の空気を低く震わせて。同時に濃密なモノに凝縮させる艶やかな声音。
独特の、ゴドーだけが織りなせる旋律を思いがけず近距離で聞かされた成歩堂は、ピッと跳ね上がって気配とは逆の方向に体が動いた。
それは、嫌悪からではない。脳裏の『捕らえられる』から『逃げなくては』というニューロンとシナプスの作用によるものだ。一種の生存本能とも言えよう。
が、ゴドーは先手を打っていて、成歩堂の手首を筋張った手でやんわり、けれど成歩堂が振り解けない力で握っていた。
「な、何でしょう・・?」
ガクン、と僅か一歩で逃亡を阻まれた成歩堂だが、己でも何故そんな真似をしたのか理解していないものだから、二重の意味で困りきって眉根を下げた。ついでに、ゴーグルで見えない筈のゴドーの視線が何だか痛くて顔も俯けた。
俯いた先には、ゴドーの指三本で拘束された成歩堂の手。その光景を目の当たりにした瞬間、一つの記憶が蘇る。今考えれば、赤面モノの会話。
「すごく、早いぜ?」
あの時と同じように、緊張を見抜かれる。しかし、あの時のように惚ける事はできない。
こうしてほんの少しでも触れられるだけで、心臓はバクバクと脈打ち、顔といい耳も首筋も赤くなってしまっているのだから。赤が視認できないゴドーとはいえ、常に顔色の濃淡で鋭敏に成歩堂の状態を察知している。
トットットッと、緩く圧迫されている為に成歩堂自身も鼓動のリズムを知覚する。
確かに、早い。誤魔化しようもなく、成歩堂はゴドーを意識している。
「なぁ、まるほどう」
手首を握ったままゴドーは、成歩堂の目の高さまで持ち上げた。触れあった二人の手越しに、ゴドーの強い視線が成歩堂の微かに揺らぐそれを捕らえるのが、分かる。
「脈は、あるんだよなぁ?」
親指を外し、その場所へ肉感的な唇が寄せられる。ドクリ、と一際大きく胸が跳ねた。
「言葉だけじゃないって、そろそろ証明してもらっちゃってもいいかィ?」
人差し指の代わりに、熱い吐息を。中指の感触は、少し乾いた皮膚の啄みへとスライドし。
「コネコちゃん、アンタを食っちまいたいんだ」
もう、ゴドーは成歩堂に一切触れていないのに。残された余韻が。ドク、ドクと手首を起点にして熱い血潮と共に全身へと広がっていく奇妙な疼きが。成歩堂を身じろぎもさせない。
「ゴドー、さん」
極度の緊張で口腔内がカラカラに干上がっていて、成歩堂が絞り出した声は掠れていたけれど。成歩堂は、逃げなかった。
たとえゴドーの唇が、手首の次にどこへ訪れるか、薄々予想がついていても。