弁護士のネクタイとガリレオの温度計



夏場であればフル稼働する――それでも環境と財布に優しい省エネ運転で、あるが――エアコンも、暑さの山を2ヶ月も越えればお役御免となる。
それはここ、成歩堂なんでも事務所の慣例で、寒冷前線が本気を出すまでしばしの休息がエアコンに与えられる。
それはさておき、些か室温低めの所長室では、成歩堂龍一がデスクワークに励んでいた。
手続きに必要な書類の作成に事件資料の整理等々のデスクワークを、早急に必要なものを除いて、成歩堂は、自分に弁護の依頼が入っていなくて、かつ新人二人が在席していない時を見計らって行っているので、所長室のソファーの背凭れにジャケットを掛け、ネクタイを緩めて首もとのボタンを一つ外している、本人的には「所長としての威厳のないところ」を、新人二人に見られたことはない。
ただ、そんな細やかな意地は、思いがけない集中力を招いたようで、デスクワークが粗方片付いたところで視線をふと巡らせれば、窓の外では、街の明かりが天体写真の模倣を惜しみなく披露しており、所長室にもしんとした肌寒さが忍び込みつつあった。
デスクを離れ、凝った肩を解すように軽く伸びをしたところで――かちり、と所長室と応接室を繋ぐドアが開いた。

「よう、邪魔するぜ」

低いがよく通る声の方へと、成歩堂は身体ごと視線を向けた。
ドアの前に立つ男の、長身に黒いスーツと羽織、足元はブーツという出で立ちを目にする度に、成歩堂は日本史の講義で触れた、幕末のある人物を――敗北より他の未来が無くても、滅び行くものに準じた侍を連想してしまう。
それ程に、男の生き様は苛烈で潔い、とも。

「びっくりしたなあ。気配消さないで下さいよ、夕神検事」

成歩堂がそう苦笑混じりに返せば、半分程が白髪に変じている前髪の下に、猛禽に似た鋭い双眸を有する男――夕神迅は、その鋭い双眸を、ほんの一瞬僅かに広げた。
七年間見てきた、切り取られた狭い空を連想させるジャケットの武装を解いてい珍しさ、だけではなく、寛げたシャツの襟元に緩く纏わる色鮮やかなネクタイが、覗く肌の白さをより際立たせているようで、何故だか目が離せない。
おまけに、白いウエストコートが見せ付ける、腰のラインの細さはどうしたことか。
それでいて、自分が他人の目にどう映っているか、まるで解っていないときているから性質が悪い。

「おめえさんが気ィ抜け過ぎるだけだろうが」
「あはは、それよく言われますよ。だから控え室で消火器に頭と記憶吹っ飛ばされるんだ、って」
「そんなもんに吹っ飛ばされて、吹っ飛んだのが記憶だけってえおめえさんも大概だなァ」
「まあ、燃えてる吊り橋から冬の川に落ちたけど、風邪で済んだし、運がいいんでしょうね」

他愛もない会話をしながら、ごく自然に距離を縮めた夕神は、ソファーの背凭れのジャケットに伸びた手を取るや、片付いたばかりのデスクの上に、巧みな体捌きで成歩堂の上体を磔ていた。
瞬きする程の間に、非常に問題ある体勢に移行させられ、はて何か琴線に触れるようなことがあったかと訝る成歩堂を他所に、夕神は慣れた仕草でネクタイを引き抜き、ウエストコートとシャツのボタンを外していく。
数ヶ月前、目眩がするような強烈な口付けから始まった攻勢にウッカリほだされ、所謂恋人としてお付き合いするに至った夕神のそういうスイッチの「理由」が、成歩堂には今一理解出来なかった。
これが年代の壁かなぁ、とひやりとした外気ではなく、掠めるように触れてくる指先の熱に、ぞくりと肌が震えることを意識の外に追い出そうとする成歩堂に、夕神は、お見通しとばかりに殊更弱い部分に指を滑らせる。
殺し損ねた、鼻にかかった甘ったるい吐息に、夕神が笑う気配を感じた成歩堂は、仕方がないと目を閉じた。
片隅の、貰い物の温度計がシリンダーの中で示す室温を、こんな場所でこんな事をする理由にして。




きっとユガミんは、幾らナルを食べても食べても餓えは収まらないでしょうね(笑) 神聖な所長室でナニをやっているんだか…。けしからん、もっとやれvv