欲望という名の接触
法の暗黒時代――既得権益にしがみつく者達からすれば黄金時代と言えるだろう――の始まりとなった二つの事件、その中心にいた二人が、法の暗黒時代の夜明けを告げる、一条の暁光となった一連の事件の収束から、はや1ヶ月が経とうとしていた。
泥の中を這いずり、それでも捏造という闇に一人挑んで、見事その闇に打ち勝った奇跡の弁護士が、恩師の娘を護る為に重い罪を着てまで沈黙を貫き、真犯人を己が命を賭して追い続けた検事と共に、“亡霊”の罪と正体を暴いた云々、掌返しなマスコミの無節操に、成歩堂なんでも事務所の成歩堂龍一は、過去のバッシングを忘れた太鼓持ちっぷりに、怒りやら何やらを通り越して「それはギャグで言っているのか?」を味わう羽目になったのだが、それは置いといて。
話題の弁護士3人が雁首揃える成歩堂なんでも事務所ながら、営業何それ美味しいの? な方針故に、それなりにゆったりたっぷりのんびりしている。
そんな成歩堂なんでも事務所には、依頼人より法曹界及びその周辺の住人の来訪が頻繁だ。
偶々近くに来たから、等々の理由で立ち寄り、成歩堂手ずから煎れた日本茶や紅茶やコーヒーやでまったりしていくのは、持参のカリントウをぽりぽりやってる科学っ娘、1ヶ月一万円生活ばりな日々が涙を誘う乾麺スキー、刑事辞めても諜報員で充分食ってけそうなハードボイルド、開拓時代の西部から来たようなイケメンカウボーイ、という濃ゆい警察関係者とか。
他にも、世の四十路男を余りの格差にorzと落ち込ませること請け合いな、渋さに野性と知性が絶妙にブレンドされた、大人の男の落ち着きと色気を纏うパラリーガルを筆頭に、妬みより先に敗北感にフルボッコされるだろう、きらびやかながらも涼やかで、気品と親しみやすさを兼ね備えた美青年、30半ばの若さと、地位相応の重厚さが相反せず調和し、ともすれば冷酷とも取れる貴族的な高雅さが、宿る知性と峻厳を光らせる美丈夫と、イケメン爆発しろとは正にこのことな美形検事やら美形検事局長も、足繁く事務所にやって来る。
更には荒削りながらも端正な顔立ちに、強固な意思と野生の猛獣めいた空気を帯びた国際捜査官や、正しく英国紳士の見本とでも言うような、一見素朴な温厚さの中に深い知性が覗く考古学者、目元の傷が端正な顔立ちに野性味を添え、騎手然とした立ち居振る舞いが印象的な赤毛の美丈夫と、接点が見えない海外からの訪問者まであるから、ソレ何てカオスは否めない。
それはさておき、元弁護士で元検事な経歴から若手に助言をしてくれるパラリーガルには感謝しているし、可愛い娘の可愛い憧れの向かう先というのはちょっと面白くないが、娘が喜ぶので美形検事にもそれなりに感謝はある。
立場的にも忙しいだろうに、頼んだ資料を態々届けに来てくれる美形検事局長には、感謝の他にも親友としての敬意と友情を抱いている。
それらを踏まえて、成歩堂が「僕って友人に恵まれてるよね」と娘に打ち明けたところ、ちょっぴりビミョーな顔をされて、ちょっぴりショックだったが閑話休題。
事務所に訪れる面々に、事件の収束後から、新たな面子が増えた。
実戦の為に打たれた野太刀の如き剛硬と鋭利を備え、猛禽に似た雰囲気が、どことなく近寄り難さを感じさせる偉丈夫の名を、夕神迅と言い、“亡霊”の事件で成歩堂と共闘した囚人検事その人である。
夕神の来訪目的を、恩師の愛娘であり、成歩堂なんでも事務所所属弁護士でもある希月心音だと、成歩堂は解釈している。
が、最近何と言うか妙に近い気がしてならない。
心音とのではなく、自分と夕神の物理的な距離が矢鱈と近く、まあ、友人として気を許してくれるようになったってことなのかな、と成歩堂は解釈することにしたのだが、「迅兄ぃ成歩堂さんに近過ぎズルい!」と成歩堂と夕神の間に素早く割り込み、遠い異国の友人の小さなお供を彷彿させる唸りを上げる――尤も彼には噛み付き攻撃が成歩堂限定でもれなく付いてきたが、心音のそれは大層可愛いらしい――心音の行動の、小動物っぽい可愛さと微笑ましさに、ついついパパ目線になってしまうのは内緒である。
だから夕神に、壁際に、まるで閉じ込めるように腕で左右の退路を塞がれ、追い詰められた状況というのは、成歩堂にとっては全くもって理解不能なものであった。
「……なァ、成の字。ちょいとばかし警戒心が留守過ぎるんじゃァねえか?」
成歩堂よりも高い位置にある夕神の双眸の、不可解な熱さが酷く――いたたまれない。
「……いや、友人に警戒心て言われても……」
その目をどうにも見ていられなくて、成歩堂は視線を床に落とす。
そんな成歩堂の“友人”の言葉を、夕神は鼻先でせせら笑った。
「おめえさんのそのでかい目ン玉ァ、法廷外じゃとんだ節穴みてえだなァ」
喉の奥に籠るような夕神の笑いに、成歩堂の肩がびくと震える。
「俺も他人ん事言えた義理じゃァねえが、どいつもこいつも、鼻っ先に餌ァぶら下げられた空きっ腹のケモノみてえな目で、おめえさんを見てんだぜ?」
言い、夕神はゆっくりと、しかし確実に距離を縮めていく。
夕神の、呼吸、体温、発汗、皮膚の血流の増減まで感じ取れる程の、パーソナルスペースへの侵略に、成歩堂は為す術もない。
「……なァ、成の字。人間の頭ン中の、「食」ってえ「欲」の隣に何があるか、おめえさん知ってるかい?」
頑なに合わそうとしない視線を、形のいい顎にかけた手で半ば強引に己のそれと合わせた夕神は、行為の強引さに似つかわしくない穏やかな声を、成歩堂の耳に落とし込む。
「……し、知ってる、訳、ないでしょう……」
平静の装いが破綻しているのが手に取るように感じられる、幾ばくかの怯えと多大なる混乱に掠れがちな成歩堂の声に、夕神の胸の裡で、ずくりと爛れた疼きが興る。
世慣れている癖に妙なところで物慣れてなく、そのまっさらな場所に踏み入りたいと欲を煽る、本人には自覚奇妙な無垢さ。
「そうかい、なら覚えときなァ……そいつァ「色」ってえ「欲」だ」
夕神の、半回り年下の癖に低く艶のある声に、成歩堂の耳朶が赤みを帯びた。
「……だから、それがっ、」
「鈍いにも程があらァ……まだ分かんねェかい? 心底惚れちまったおめえさんを、喰いたくって仕方ねえンだよ」
だから、なァ。と。
囁くほどの音量に込められた、思いがけない誠実さと切実な響きに、絡め取られて身動き出来ない成歩堂に、夕神は、喰わせて貰うぜ、と宣告するや、その唇に噛み付いた。
数日後、弁護方針その他諸々の打ち合わせの為、拘置所に夕神かぐやを訪れた成歩堂は、あなたの弟さんが人生のやり直しの出だししょっぱなから色々道を踏み外しかけてますお姉さんからもそこに道はないと説得して下さい、と、冷や汗だらだらで頭を下げることとなるのであった。
【戦場のイリュージニスト】
昔のひとは言いました。
――恋は戦争、と。
成歩堂なんでも事務所所長の成歩堂みぬきには、頭の痛いモンダイがあった。
目に入れても痛くない程大大大っっ好きなパパこと成歩堂龍一、ではなく、その大大大っっ好きなパパに群がるパパ狙いのオオカミ達である。
パパの持つ「ド天然」と「鈍感」の二大要素が天然の要塞になっているけど、難攻不落の要塞への勇敢なる挑戦者は頭文字Gの不快害虫よりしつっこい。
マジック・パンツに放り込んで消失イリュージョンできたらなぁ、と思わなくもないが、当のパパ本人が、そのオオカミ達を「大切な友人」認定しているからそれも出来ない。
以前この事務所にいたパパの助手の、綾里真宵の従姉妹の春美から聞いた限りでは、塀の中にまでパパ狙いのオオカミがいるとかいないとか。
言われてみればパパを陥れたアレも、塀の中からしょっちゅう手紙を送ってきている。
新しく事務所(+α)に加わったココネさんのお陰で、パパ狙いのオオカミからパパを守るのは大分楽になったけど、オオカミも増えたからあいこだろうか。
ド天然で鈍感で、沢山苦しい思いをして、傷付いたりもしたけど、その分優しくて直向きで強い、大大大っっ好きなパパの為、成歩堂みぬきは今日もまた戦場に立つのである。
因みに、成歩堂なんでも事務所の+αとは、先の所長綾里千尋(故)が妹真宵を通じてみぬきに託したもので、当時のその名を「世間知らずな成歩堂龍一をオオカミから守る守護者の団」、通称SOえ(略)と言い、法律事務所時代は千尋・真宵姉妹と狩魔冥検事、綾里姉妹の従姉妹である綾里あやめらからなる最強の盾であり、オブバーサーに鹿羽うらみ、虎狼死家某を擁する最強の矛でもある。