初期化しました





「くそう、御剣の奴……」
 苦々しげに呟いた成歩堂が、きっちりセットされたツンツン頭を掻き毟った。流石のトンガリも乱暴さに屈し、ぱらりと幾筋かが額や項へと撓垂れる。
「いやいや、問題は御剣じゃないよな」
 今度は所長机に両肘をつき、頭を抱え込む。
 ピンチだった。
 敬愛する師匠の教えに従ってフフフ…と笑って見たものの、自棄気味な上に、その顔はビリジアンを通り越して白紙を10回くらい漂白したような色になっていた。
 悩みの原因となっている案件は、最初から悪条件のオンパレードで。成歩堂には依頼人の無実が信じられたからこそ引き受けたが、周囲には散々その無謀さを咎められたものだ。
 現状は腹を括っていた以上に厳しく、依頼人の無罪に繋がる証拠も、証拠の矛盾点も殆ど見つからないまま第一回の審理を迎え。
 堅固な物証と新証人を『完璧』に準備してきた御剣から、それはもう、コテンパンに打ちのめされてしまった。
 何とかハッタリを連発して結審だけは逃れたけれど、ピンチ度は逆に高くなっている。
 魂が抜けた状態で事務所に帰ってきた後、蟀谷や肩や腰が痛くなっても構わずに事件と証拠と証言を検証して二時間が経過したというのに、1oも進展なし。
「所長サン、一息ついたらどうだィ?」
「・・・・・・・」
 タイミングを見計らってゴドーが訪れると、ゴーグルもしていないのに、所長机に突っ伏した成歩堂の頭からプスプスと煙が立ち上っていた。
「クッ…崖っぷちみたいだな」
「分かってます。こんな時こそ、ふてぶてしく笑うべきですよね」
 のっそり顔を上げた成歩堂は、言葉通り笑顔を作ってみせたが。口の端は引き攣っているし、目は完全に据わっている。
 ゴドーは、ゴーグルの下で眉を顰めた。
 これは、宜しくない徴候だ。
 突然、師事していた者を理不尽に失った成歩堂は、手探り且つ行き当たりばったりの状態で進まざるを得なかった。それが何年も続いた結果、『立ち止まる』事が不得手になってしまったようで。
 一呼吸おいて、一歩下がって、全体図を客観的に見る事も場合によって不可欠だが、成歩堂にはその小休止ですら許されなかった。
 躓いても、行き詰まっても、凹んでも。
 正しいロジックへ導いてくれる者は居らず、道を切り開く武器は、己の信念だけ。依頼人の運命をただ一人で背負う重圧は、如何ばかりだったのか。
 よく挫折しなかったと、表立って告げた事はなかったが、ゴドーは感心すらしている。
 だが、この先視野を狭めかねない弊害は、早めに取り除いた方が良いだろう。
 これまでは、ともかく。
 今は、先達者たりうるゴドーがいる。
 この先的確なアドバイスさえあれば、発現し切れていなかった能力も、間違いなく見事に華開く。
 成歩堂の開花を一番身近で見られるチャンスを、ゴドーが見逃す筈もない。
 スキルアップの為の、第一段階は。
 八方塞がりになった時、思考をリセットする方法になりそうだった。効果的な方法は幾つも思い浮かぶが、相手が成歩堂とくれば、実益と趣味を兼ねたゴドーオススメのものがある。
「まるほどう。そのままじゃあ、どれだけ考えたって逆転できねぇぜ」
「え…?」
 諦め悪く資料を引っかき回していた成歩堂の動きを止めるべく、珈琲カップを目前に突き出す。
 訝しげにゴドーの方を向いた面は、焦燥の影が濃くて。改めて、張り詰めた糸がプツンと切れてしまう前に緩めなければと思う。
「アンタに今必要なのは、リセットだろうよ。……ちょいと、来な」
「ご、ゴドーさん…っ!?」
 目を白黒させる成歩堂に構わず、仮眠室へと連れ込む。
 ろくな抵抗もしないでついてきた成歩堂は、簡易ベッドに投げ出されて初めて、ゴドーの示唆するリセット方法に思い至ったらしい。
 本格的に、思考能力が低下している証拠だ。
「いやいやいや、こんな事をしている時間はありませんって」
 焦ってベッドから降りようとしたが、ゴドーは成歩堂が背を向けたのをいい事に、立ち上がる前に背中からのし掛かって再度ベッドへ沈めた。
「うわっ!」
 馬乗りになり、片手で淀みなく引き抜いたネクタイを使って、成歩堂を後ろ手に縛り上げてしまう。
「ゴドーさん、ふざけないで下さい!」
 無理な体勢ではあったが、懸命に首を捻り、成歩堂が抗議してくる。
「俺が、遊んでいるように見えるのかい?」
 ゴドーは、ニヤニヤと人の悪い笑みで答えた。
 それなりの体重がある成歩堂を易々とひっくり返し、やはり腹の上へどっかり跨る。
「言ったろう? アンタは一旦、頭を真っ白にしなきゃならねぇんだ」
 顎を掬って歌うかのような口調で説くと、成歩堂は大きな溜息をついた。ゴドーの様子と拘束の具合から、逃れられないと悟ったらしい。
「だからって、こんな方法じゃなくても…っ」
 一動作でネクタイを抜き取られ。
 喋っている僅かな間にシャツの前が開かれるのに留まらず、スラックスを下着ごと脱がされた成歩堂の語尾が、非難と羞恥に掠れる。対するゴドーが、ネクタイ以外服装の乱れがない事も、納得いかないのだろう。
「コネコちゃん。腕に縒りをかけて、何も考えられなくしてやるぜ…?」
 成歩堂の準備だけを整えたゴドーは、わざと成歩堂が囁かれると腰砕けになる音域で告げ。
 数秒前まで成歩堂の首元に絡み付いていて温もりを残したネクタイへ、これ見よがしに口付けた。

                                          


落ち込んでいるというより、足掻いているだけ…?