Raub:2
真名の付け替えも、神乃木によって打ち破られたのは分かっている筈なのに、ゴドーは敢えてその名を唱えた。突き刺すような魔力を秘めた鋭い目線をもってしても、今の成歩堂を隷属させる事はできない。
何もかも理解していて、そう呼ぶゴドーに。成歩堂はゆっくりとだが、瞼を開き。
眩しい陽光の中では僅かに色彩が薄れる二つの『緋』を見詰めた。
ニヤリと肉感的な唇を嗤いの形に歪め。鋭利な牙を少し覗かせたままゴドーは近寄り、二人の唇が重なる寸前まで見合い続け。
所有のキスを、した。
「んんっ!」
まず、声を奪われ。ゴドーの舌で徹底的に嬲られるそれが、成歩堂のものではないような錯覚に陥り。唾液を一滴残らず吸い取られていく。
「〜〜ァ・・っ、ん・・」
知らずあの日々で教え込まれた事をトレースし、ゴドーの首に両腕を絡み付かせる。バチバチバチッと白銀の火花が瞼の向こうで炸裂して現実を思い出しかけたけれど、鋼のごとく堅い肢体にすっぽりと抱かれ、その熱さと居心地の良さと深まる一方の口吻に思考はゴドー一色に染まった。
「・・・・ふ・・っ」
意識まで『緋』で染まる前にキスを中断させたのは、当然主導権を握るゴドーの方。ぷつりと切れた銀糸を綺麗に拭ってから、そっと身体を離す。
「無粋なヤツが来ちまったようだ」
重い瞼を持ち上げれば、ゴドーが顔だけを後方へ巡らせていた。どんな術を使って結界内に入り込んだかは成歩堂には窺い知れないが、神乃木がゴドーの来訪を感知した事を、ゴドーもまた察知したのだろう。
「迎えに来るまで、イイ子にしてるんだぜ?まるほどう」
駆け付ける神乃木と対決するつもりはないらしく、最後にカリリと下唇へ強めに歯を食い込ませ―――姿を消した。
「・・・ふ・・っ・・」
成歩堂は幹に背中をずりながら、座り込んだ。
ゴドーはまたしても、成歩堂に己を刻み付けていった。何の効力も有さない筈の所有印を、『儀式』代わりに。
ゴドーが宣言を果たしに現れたとしても、弟妹の事がある限り、成歩堂に行く気はない。
けれど。
もし、またゴドーが訪れて『まーる。来いよ』と言った時。
傲岸で支配者然としていて、けれど幼子のような直向きさで成歩堂を求める手を取ってしまいたいという想いを抑える事は、無理かもしれない。
刹那にも満たない時間で城へ戻ったゴドーは、安楽椅子に身体を投げ出して鬱蒼と瞳を閉じた。
新月に陽の元へ出、小賢しい弟が仕掛けた忌々しい術からの攻撃に晒された肢体は重く気怠い。しかし唇を舌でなぞれば、『永遠』の甘く芳しい味が未だ残っている。
払った代償は少なくないが、成歩堂はゴドーにとって唯一なのだから、愛液の一雫だとてその価値はある。
そう、吸血鬼としての性を曲げる程に、囚われている。
本性を隠して付き合っていた頃に、成歩堂の事情は聞いていた。弟妹達に資金援助をする事は簡単だ。だが、眷属になれば外見の成長は止まる。数年とはいえ、弟妹が一人立ちするまで傍らにいれば、周囲から不審に思われる可能性が高い。成歩堂だけならゴドーが匿えばすむものの、人間界で生きていく弟妹はそうもいかない。
故に、成歩堂は人間のままでいさせてくれとゴドーに懇願した。ゴドーの齎す悦楽に朦朧とし、身も世もなく悶えながらも、潤みきった双眸を真っ直ぐにゴドーへあてて。
ゴドーが受諾しなかったからこそ、成歩堂は神乃木の元へ逃げ込んだが。神乃木達が成歩堂にかけた単純にして効果的な術―――結界内から成歩堂を連れだそうとすれば、術が発動して成歩堂の心臓を止める―――は多少の時間は要するが解く事はできる。
しかし、弟妹の問題がある限り、成歩堂は何度だってゴドーの元から逃げ出そうとするに違いない。
魔物の中でも高位にあるゴドーにとっては、人間を『儀式』にかける事など何の支障もなく遂行できる筈だった。だが、この為体はどうだ。
逃げられ、ゴドーが相手をしたくない者を見事に引き当てて庇護を得、いかなゴドーとて安易には手出しできない文字通り命を賭した術でゴドーを拒絶している。
つくづく成歩堂は、ゴドーの思惑をあっさり超える。変わり種の人間だ。
しかし一度極上の身体を味わった所為もあって、飢餓は一秒毎にゴドーの魂を灼く。これ以上、離れてはいられない。たとえ、ゴドーが妥協する羽目になっても。
ふと、考える。純粋な魔物であった父は、妥協という業腹がどうしても受け入れられなかったからあのような最後になったのか、と。
「クッ・・埒もない事だぜ」
遙か昔に無くした筈の感傷を一笑で吹き払い、これからの算段だけを脳内へ巡らす。
結論から言えば、成歩堂の望みを叶えると同時に眷属とする方法は存在する。
今までは、ゴドーの独占欲がその選択を熟考させなかっただけで。魔物の血に従うならば、成歩堂の心に住まうのはゴドーだけでよく、成歩堂の気持ちがほんの僅かでも寄せられる者は、悉くこの世界から消滅させてしまいたかった。
だが、弟妹を失ったら成歩堂が哀しむと考えて思いとどまれるのは、まだ人間味が残っていた証拠。しかしゴドーの譲歩もそこまでで、弟妹に手を出す代わりに成歩堂の拉致へ及んだ。
気は進まないが、もう一段階譲歩するしか状況は打破できないようだ。しかし、それで成歩堂を手中にできるのなら、ゴドーは敢行するだけ。
弟妹の問題が解決した暁には、今度こそ成歩堂を逃さない。おそらく成歩堂も、素直にゴドーの手を取る。
先刻だって、『行けない』と雄弁なオニキスは告げていたけれど。
『行きたくない』ではないのだ。
成歩堂の想いがどうあれ、攫って身も心も喰らい尽くす事に変わりはなくとも。ゴドーが吸血鬼であると発覚する前まで成歩堂がゴドーへ向けていた心が、今尚消えていないという事実は餓え―――希求―――を一層募らせる。
早く、強く、深く。
成歩堂を己が腕に収めたい。
ゆらり、とゴドーの体躯から朱いオーラが燻る。
濃密で、鮮暉で、虚沖な緋の陽炎は、魔力の高まりを意味するもので。
『運命』の訪れは、間もなく。
ロミジュリ風ですが、ラストは勿論ハッピーエンドです(笑)
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