proud of you:2




目元と口角をこの上なく優しく和らげ、記憶に長く残る印象的な声音で

「 congratulations 」

 と祝辞を述べ、打ち合わせたグラスを半分程呷った。

「バレてました? 一所懸命、隠してたんだけどなぁ…」

 いつもの癖で顎を擦り、いつものザラザラした感触がなかったので手持ち無沙汰に離してしまう。
 その手を、ゴドーは他の客やバーテンダーから見えない位置でそっと掴んだ。

「情けない事に、アンタが勉強しているのは気づかなかったんだがな。浮気するなんて、たっぷりお仕置しちゃうぜ!」
「いやいやいや、浮気じゃないでしょう?!」

 『お仕置き』と聞いて、成歩堂の身体は条件反射で逃げを打つ。それを見越してゴドーは手を捕獲していたから、失敗に終わったが。

「俺に隠し事をして、俺でないモノに夢中になっているなんざ、浮気ととられても仕方ないんじゃあねぇのかい? ま、お仕置きは後回しにするとして」

 ゴドーの大きな手に包まれ、指で手の甲を撫でられているだけなのに、成歩堂は固まって動けない。まさしく蛇に睨まれた蛙状態だ。

「………アンタは、自分が思っている以上に有名人なのさ。受験者の中にまるほどうの名前が載っていたら、いくら機密事項でも、情報は千里を駆け抜けちまう」
「ええ? って事は、みんな知ってたんですか!?」

 衝撃に、ゴドーの不吉な予告も意識の外へ追いやられてしまう。
 秘密にしていたのは、落ちたら恥ずかしいというのもあるが、成歩堂の周りの者達は必要以上に過保護だから、気を使わせない為もあったのだ。
 しかし、思い返せば。
 御剣から、普段のペース以上に差し入れ(日用雑貨プラス最新の法令集)が届いたのも。
 新人研修だと、ゴドーが王泥喜を引っ張り回すようになったのも。
 牙流検事が、ライブや練習見学などでみぬきを連れ出す回数が増えたのも。
 成歩堂が受験を申し込んだ後からだ。
 とはいえ、その時期は王泥喜が成歩堂なんでも事務所の新しいメンバーとして登録されたのと重なっていたから、成歩堂の家族でもある、新米弁護士を可愛がってくれているのだと思い込み、享受していた。

「うわぁ……みんなにどんな顔で報告したらいいのか………」

 バレるまで黙っておこう、なんて暢気に構えていた成歩堂だが、話は変わってしまう。
 成歩堂が秘密にしているのをおそらく歯痒く思いながら、それでも応援し、見守っていてくれたのだ。これで合格していなければ、それこそあわす顔がなかった。

「にっこり笑えば、OKだろう。それ以上のサービスはしなくていい」
「ゴドーさんてば………」

 勝手にやってる事だから軽く遇え、とざっくり切り捨てるが。それすらもゴドー達の、成歩堂への思いやりに違いない。

「みんなのお陰で、また弁護士に戻れましたよ。ありがとうございます」

 予行練習とばかり、まずゴドーに鮮やかな笑顔を向けた。

「………礼だけにしな。サービス過剰だ」

 7年間纏っていた気だるさのない、人目を奪う表情に、ゴドーがダメ出しを食らわす。
 こんな笑みを惜しげもなく与えられたらただでさえ多いライバルがまた騒ぐ、との危惧からゴドーは命令したのだが。

「いやいや、それじゃあ失礼でしょう。無茶振りしないで下さいよ」

 己の、造っていない微笑みがどれ位の威力をもつのか自覚していない成歩堂は、無頓着に突っ込んでくる。
 キュッ、と成歩堂の指を包むゴドーの手に力がこもった。それ程強くなかったから、成歩堂はゴドーの心中など気付かなかったのだが――。

「その話も、後だ。今は早くソイツを飲んじまいな。場所を移るぜ」

 ゴドーのトーンが微妙に変化し、手の他に、太腿を接触させてきた。

「え……?」

 堅い筋肉に腿の外側を擦られ、その感覚に気を取られてゴドーの台詞を聞き取り損ねる。
 聞き直そうとして、ゴドーの方を向いた成歩堂の目の前に差し出されたのは。
 懐かしい、プラチナ色のキーカード。

「ちゃんとお嬢ちゃんには、断ってきたんだろう?」
「……ぁ………は、い」

 再度、耳元に落とし込まれる睦言。
 操られたように、成歩堂は頷く。
 みぬきは『特別』な存在だから、ゴドーより前に試験合格を告げて二人で喜び、ビビルバーまで送って行ってから、バーに来たのだ。
 幼くとも利口で理解のある娘は、『ゆっくり羽根を伸ばしてきてね☆』と笑顔付きで成歩堂を送り出してくれた。
 故に、バーで祝杯をあげた後はゴドーの家に行くか。ゴドーの性格からして、どこかに部屋を取ってくれるかもしれないとは考えていたが。
 ゴドーは先手を打って、このホテルのスィートルームをチャージしていた。

「二人っきりで、ゆっくり、祝おうぜ……?」

 『前みたいにな』と付け加えられ、過去ゴドーとスィートで過ごした官能的な夜が記憶に蘇る。
 幸せな想い出だけがある場所だからこそ、遠ざかり。
 弁護士復帰を報告するのに、ここを選んだのだ。
 そんな成歩堂の心境を、ゴドーは違える事なく読み取ってくれた。
 胸に広がる喜びのまま、成歩堂は返事をするより先にカクテルを飲み干した。カッと喉をアルコールが焼いたが、芯にある熱はそれよりも数段高い温度で成歩堂を灼く。

「――チェック」

 成歩堂にあわせてグラスを空にしたゴドーは、バーテンダーに声をかけて釣りを待たずにバーを後にした。




 高層階へ向かうエレベーターの中で。
 何組か他の客がいるというのに、背広の裾から背中へと右手を忍ばせたゴドーは、脇腹のやや背骨側をゆるゆると摩り始めた。
 たとえ前に立っている客が振り返ったとしても、ゴドーが何をしているのかは分からないだろうが、そういう問題ではない。
 咎めるような視線を送ったが、ゴドーは素知らぬ表情でエレベーターの表示版を眺めている。
 指と手の平だけが。
 蠢き、神経を弾き、淫らな波を成歩堂の内側から引き出そうとし、誘いかける。
 僅かな愛撫だけでも、燻っていた燠火は勢いよく焔を再燃させ。
 少し足を縺れさせながら部屋に入った途端、キスを仕掛けたのは成歩堂からだった。

「……っ……く………」

 しかし数秒で主導権はゴドーに持っていかれ、1分もしない内に接吻だけで四肢の力も根こそぎ奪われてしまう。

「コネコちゃんは、腹ぺこなのかい? なら、たっぷり食べさせちゃうぜ!」

 ぐったりと委ねられた肢体を軽々と横抱きにし、成歩堂の異議をキスで封じながら器用に寝室へ運ぶ。
 ポスン。
 それなりに体重のある成歩堂を、上質なスプリングを備えたベッドは柔らかく迎え入れた。
 が、硬質で勁捷な身体がすぐさま、押しつぶさんばかりにびったりと覆い被さってくる。

「あ、あの……ゴドーさん。スーツ、脱ぎたいんですが……」

 成歩堂は圧迫感もあってゴドーの胸を押し、唇が解放されるや否や訴えた。
 既にネクタイは解かれ、シャツのボタンは下まで開けられ、ベルトも外されている。だが背広もスラックスも身につけたままなのだ。
 セミオーダーとはいえ、成歩堂の財政からしてみれば高価な買い物だし、立て替えてもらったバーの代金もきっちりゴドーに返すつもりだ。
 だから、買ったばかりのスーツをクリーニングに出す羽目になるのは避けたかった。
 しかし、ゴドーは。
 成歩堂にのしかかったまま己の上着、ネクタイ、ベストを放り投げると、口の端を決していい予感のしない形に歪めた。

「祝いに、スーツなんざ幾らでも仕立ててやる。ビジネス用の、うんとストイックなやつをな」
「気持ちだけで十分なんですが……」

 スラックスはジッパーが下ろされ、下着毎膝まで脱がされたがそこで止まり、やはり脱がされない。
 脳内で点滅する危険信号が、どんどん大きくなっていく。
 場所こそ、堅いカウンターの上ではなくてクッションのきいたベッドだが。
 このシチュは、覚えがある。
 厳密に言えば、先刻聞いたばかりのストーリーに酷似している。

「だから、このスーツは――バーで話した事を実現したら、お払い箱だ。お仕置きに、な」

 悪い予感が当たり、しかも『お仕置き』の単語まで添えられたものだから、成歩堂の身体は悪寒で萎縮した。

「意味が分かりません! 僕が何をしたって言うんですか!?」

 全力でゴドーから逃れようと藻掻きながら反論する。時折ゴドーが匂わす『お仕置き』の理由が、成歩堂には皆目検討もつかなかったから。

「やれやれ、これだからコネコはコネコなんだろうぜ」

 ゴドーの嗤いが、ますます凄惨なものになっていく。

「俺以外に色気を振りまいて、隠し事をして、浮気して、これからも俺以外を誑かすコネコちゃんを、ここいらできっちり躾ねぇとな?」
「いやいやいや、隠し事以外は冤罪です!」

 最後の抵抗に、大音声で突っ込んではみたが。
 いつも以上に成歩堂を喰い尽くすスイッチの入りまくったゴドーが、異議を認めるなんて事は、ない。




 成歩堂は、7年前この部屋で過ごした数々の甘い記憶がすっかり塗り替えられ、『お仕置き』についでトラウマになる程、強烈な夜を理不尽にも奢られてしまった。





 だが。
 気絶するように眠りに落ちる一瞬前。
 額への優しい口付けと。

「――よく還ってきたな、成歩堂。俺はアンタを、誇りに思うぜ」

 呟かれた掛け値なしの賞賛に。
 滅多に聞けない呼び方に。
 それだけで、ゴドーの悪辣振りを水に流してしまいたくなったのは、言わぬが花。


                                          


「大人」というより、大人の悪戯…。そして、渋さと色気はどこに行っちゃったんでしょうねぇ。貰って下さい、とはとても言えない話です(泣)