私の王子様



「嘘だ」
 声が震える。
 足も、手も震えて。
「嘘じゃない」
 涙が流れる。
 流れおちて、絨毯に染みを作った。



 今日も今日とてびっちりと組まれた研修をこなし、やっと宿泊先のコンドミニアムに帰り着いたのは真夜中の事で。
 ふっと息を吐いて想起するのは、親友の成歩堂の事だった。
 携帯電話を開いて見て、そこに何の連絡もメッセージもない事に少しばかり侘しい気持ちになった。
 日本を発つまでは何とも思わなかったのだが、イギリスに着いた瞬間何かが足りない気がした。
 それは日増しに強くなっていく様で、さしもの御剣も自分自身の中の変化に戸惑うばかりだ。
 この感情に付けるべき名前で思い当るのは、ただ一つの名前だったが、未だにそれを御剣は認める事が出来ずにいる。
 それは単に同性だからというそれだけではなく、ずっと親友としてやってきたという事実があるからだ。
 それに何の不満も疑問もなく親友としての地位を築いてきていたのに、それを一変させてしまうのは余りに怖い。
 下手したら顔も合わせてもらえなくなる危険性があるから。
 だから御剣は今日も、頭に浮かんだ親友の顔を慌てて打ち消し、近くのレストランへと足を向かわせたのだった。
 折角キッチン付きのコンドミニアムに泊まっているというのに、御剣はその機能を十分に生かした事はなかった。
 料理が余り得意ではなかったというのも理由の一つであるし、仕事から帰ってくると疲れとだるさであまり料理をする気にはなれないという事もある。
 だが、最も大きな割合を占めるのが、やはり成歩堂の事なのだ。
 一人暮らしが長いという彼が作る料理は、想像以上に美味しかった。
 自分で作った料理を食べると、不本意ながら思い出しては比べてしまうのだ。彼との料理と。
 そして確実に自分の方が圧倒的に不味い。
 味の濃さも、コクも、優しさも彼の方が勝っていて。同じ手料理なのにこうも違うものかと愕然とした。
 一度その違いに辟易して以来、御剣は自炊する事を諦めてしまった。
 レストランに着くと、そこには嫌と言う程見慣れた顔があった。同じ研修を受けている狩魔冥だ。
 まるで兄妹の様に育った彼女は御剣に対して遠慮がない。
 案の定冥は御剣を見つけると、こちらの方へやってきて勝気な笑みを浮かべた。
「どうしたの、レイジ。疲れた様な顔してるわね。まさかあれ位でバテてしまった訳じゃないわよね?」
 一瞬、君はよく疲れないなと言おうとしたが、嫌味をものともせず、逆に反論してくるだろうと思い直してやめた。
 変わりにまさか、と強がった答えを返せば、お見通しと言わんばかりの顔がくすりと笑う。
「まあいいわ。折角だから一緒にどう?」
 誘われる言葉に、断る理由もないから従って、共に案内されたテーブルへと着いた。
 料理が運ばれてくるや否や、冥は驚くべき事を口にした。
「ところでレイジ。貴方今好きな人でもいるの?」
「な…っ!何を言っているのだ!?」
 "ソレ"は思い付いたけれど、直ぐに打ち消した言葉。
 関係性が崩れるのが怖くて、蓋をしてしまった思い。
「貴方を見てれば分かるわ。考えこんでる素振り見せて、携帯見ては落ち込んで。日本にいる誰かからの連絡を待っているんでしょう?」
 頼んだ料理であるローストビーフを口に運びながら、御剣は成歩堂と、彼の作った料理の事を思い起こしていた。あの味が懐かしいと、ただそう思う。
「連絡は、別に期待している訳ではない。連絡するようにと言った訳でもないのだからな」
 それは半分本当の事で、半分は嘘だ。
 成歩堂には何かあったら連絡する様にと言ってあったし、全く期待をしていなかったかと言えば嘘になる。
 期待していた。望んでいた。そんな気持ちを自覚する度、認めざるを得なくなる気持ち。
「…でも好きなのでしょう?」
 何もかもお見通しだ、とでも言いたげな冥の視線が、御剣を縛る。正確に言えば御剣の気持ちを。
 付け合わせのヨークシャープディングが、口内の水分を奪った様な感じを起こさせたが、これはきっと心理的な物も多分にあるのだろう。
 言い当てられた事が所以の。
 そう。もうどんな言い訳も利かない事を本当は知ってしまっている。
 関係性を壊したくない、など、ただの詭弁にしか過ぎない。
「好きだ」



 研修が終わったのはそれからたっぷり一か月後。
 御剣は研修から帰った直後に成歩堂に電話を掛け、帰ってきた旨と会いたいという気持ちを伝えて検事局へと戻った。
 終業後、検事局へと立ち寄ってくれた成歩堂の顔を見て、矢張り好きだと思い知った。
 愛しくて堪らない。
 思いを自覚すれば、言わずにはおれなくなる。
 だから御剣はお茶を入れる手間すら惜しんで、その気持ちを伝えたのだった。
「君が好きだ」
 御剣の真剣な様子を感じ取って、笑みを取り払った成歩堂が、ただ茫然と視線を合わせてくる。
 暫くの沈黙の後、成歩堂が言ったのは、嘘だ、という呟きの様な言葉。
 幾分眉根を寄せながら、嘘ではないと告げれば、目に見えて成歩堂の様子が変化する。
 閉じる事の出来ない唇や、手や足ががくがくと震えだし。
「嘘だ」
 再度言われた、その声までもが震えていた。
 そして眼差しが揺れる。
 一つの予感を抱きながら、御剣はしっかりと成歩堂を見据えて先と同じ台詞を口にする。
「嘘じゃない」
 こちらを呆然と見詰めたままの目からは、とうとう涙がこぼれ落ち、絨毯に丸い染みを作った。
 雫が落ちる度、新しい染みを作り、その染みが5つ程出来た時点で成歩堂は言った。
「…狡い。ずっと思ってたのは僕の方なのに。小学校の時からずっと、お前を追い掛けてたのに」
 逃げない様にゆっくりと歩を詰めて。
 イギリスで密かに購入していた土産を差し出せば、泣き笑いの顔でそれを見詰め、まるで王子様みたいだ、と言う。
 ガラスケースに入れられた、小ぶりのマーガレットのプリザーブドフラワー。
 それを手にしたまま殊更の様に恭しく笑って。
「私が王子であるのは君の前でだけだ」
 言ってやれば、マーガレットに負けない程の、綻んだ笑顔を見せてくれた。




※マーガレットの花言葉:真実の愛、誠実な心




正式名称、「サイト一周年+カウンタ1万ヒット+クリスマス+お正月+バレンタイン+ホワイトディ」のフリー小説第二弾。相互リクは、WD後の方がよいのかしら(笑)