Lost:2
「愛してます、成歩堂さん」
眠たげに半分閉じられている事の多い、本当は大きな瞳が限界まで見開かれ。流星のように通り過ぎたのは、経験の浅い俺でも分かる『恐怖』。
「愛している、成歩堂」
ティーカップが、割れんばかりの勢いでソーサーに置かれ。一客だけで、糸鋸刑事の給与より高額かもしれないアンティークの行く末を、しかし私は一顧だにしない。
「愛してるぜ、コネコちゃん」
昇り詰めた成歩堂の爪が、猫のように背中へ立てられ。その致死と再生の刹那を狙って耳朶へ落とした告白は、いかにするりと逃げるのが得意な野良猫でも聞き流せない筈。
『愛している』と口説いた途端、怯えた様を懸命に隠しながら『よく分からない』と嘯く。
訳の分からない事を言わないで、とやんわり咎める。
相変わらず冗談ばっかり、と真剣には受け取らない。
成歩堂は『愛』という感情だけを、頑なに拒む。受け入れないし、信じないし、持とうとしない。
勿論それには、理由がある。
切っ掛けは、牙流霧人との関係。
7年間、霧人は成歩堂に『愛しています』と囁き、親友兼恋人として付き合ってきた。
成歩堂が真実に気付いて苦しみ悩みつつも、真実を明らかにした時。
霧人が『貴方を騙す為の嘘です』と言っていたのなら。
深く傷付いただろうが。これで利用されたのは二度目だと、己の見る目のなさを嘆いただろうが。
成歩堂は愛する気持ちを持ち続けた筈。恋愛沙汰となると、とんと盲目になってしまう己を猛省はしても、いつかバッドエンド以外の結末が迎えられるかもしれないとの楽天的な希望から。
だが、霧人は逮捕後、面会要求に応じてやってきた成歩堂に対して『愛しています』と告げたのだ。
逮捕前と何一つ変わらぬ表情、声質、微笑み、眼差しをもって。
成歩堂の人生を恣意に掻き乱しながら、その理由として愛だけを挙げる。
『僕が憎かったのか?』と尋ねても、『愛しています』。
『僕を殺したかったのか?』と核心に触れても、『愛しています』。
霧人と話せば話す程、成歩堂は混乱した。この事件は、手段や過程などは悉く詳らかになっても、動悸だけは曖昧なまま。有り体に言えば霧人を『愛していた』成歩堂は、当然ながら『何故』を知りたかったのだが、結局答えは得られなかった。
かつて霧人が『愛しています』と口にする度、小さな花を咲かせていた成歩堂の心は。
霧人がアクリル板の反対側から『愛しています』と言った回数だけ、壊れた。
何とも間の悪い事に。
その後、綾里でちなみの日記が発見され。年齢より大人びている真宵は、成歩堂の心情を慮ってひた隠しにしていたのだけれど。少女らしい正義感と成歩堂への好意に満ち溢れた春美は、成歩堂に喜んでもらえると信じて誇らしげに報告した。
真宵の心配を押し切って、強引に目を通した日記に書かれていたのは。
『馬鹿で愚かで単純なリュウちゃん。でも「愛しています」。「愛している」からこそ、傷付けるのです。利用するのです。嘲笑うのです。リュウちゃんの流す純粋な涙の一粒一粒こそが、私の「愛」の結晶なのです』
騙されただけではなかった。甘言と無垢な微笑みと双子の存在を駆使して、成歩堂をスケープゴートへ仕立てた原点は、ちなみの『愛』。
成歩堂を心底愛していたから、操ったのだと。
もう成歩堂には、愛がどういうものなのか分からなくなっていた。成歩堂の愛とは慈しみであり、感謝であり、育成であり、寛容であり、向上だったのに。
彼等の愛は、悉く真逆に位置していたから。
真実を見抜く能力に長けた成歩堂は、彼等の言動が彼等にとっての真実である事を見抜いてしまい。
故に、静かに狂っていった。
影と闇を内包した者が成歩堂に惹かれるのは、自明の理だ。
焔に、蛾が群がるのと同様。マイナスで歪んだ感情を多く秘めた者には、成歩堂の純粋さは永遠の憧れであり、何を犠牲にしても手中にしたい燦めき。
ちなみも、霧人も、成歩堂の赫きを欲し。しかし求めるあまり近付きすぎて、焔に灼かれるのと同時にその灰で焔を消してしまった。
二度も光を途切れさせられた成歩堂の魂は弱り、焔は熾火と化して燃え上がる気配をみせない。
けれど、王泥喜は。御剣は。ゴドーは。
霧人達と同じ属性だとは自覚していても。霧人達のような愚行は繰り返さないと誓っている。
焔にふらふらと吸い寄せられる蛾だとしても、その羽ばたきで存分に空気を送り、いつか蒼く透き通る焔を甦らせてみせるのだと。
愛を見失ってしまった、本当は誰よりも愛情深い成歩堂。
再び、愛を見付けられるのか。
そして誰の愛を信じるのか。
その答えは、まだ遙か彼方。
色々と設定が甘いのですが。それ以前の問題ですね(泣) 池之神さま、せっかく素敵なリクエストを下さったのに、申し訳ございません。いつでも、リテイクを承ります!
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