Lost
「大好きだよ、オドロキくん」
成歩堂さんはニッコリ笑った。
その鮮やかな笑顔につられて、ソファに寝転がっている成歩堂さんの側に寄ると。額を柔らかい手で優しく撫でてくれる。
「気持ちいいですけど、子供扱いはしないで下さいよ・・」
記憶のない『母』の手はきっとこんな風に心地よいのだろうと思いつつ、でも家族としての甘やかしよりもっと欲しいものがあったので、少し唇を尖らせた。
「じゃあ、『大人』の扱いをしてあげようか」
成歩堂さんの細められた瞳が、とっても色っぽい光を浮かび上がらせる。魅入られて瞬きもできない俺の首筋に白くて細い腕が絡みつき、すごく近くまで引き寄せられた後、額、鼻の頭、頬へとキスが降る。
嬉しいけれど、やっぱりこれは家族にするようなモノ。キスの瞬間、反射的に瞑っていた目を開き不満を露わにすれば、成歩堂さんが今度は思わせ振りに微笑む。だから俺は、俺から『大人』のキスを仕掛ける事にした。
「好きだよ、御剣」
成歩堂が、捏造事件の起こる前にはよく見せていた、曇りのない笑顔で笑いかけた。
煩い程に指摘し続けた結果、今はもう無精髭がない事も相俟って、暫時ではあるが過去に戻った錯誤に陥る。愚かな懐古は即座に削除し、私はつられて緩みそうになった表情筋を引き締めた。
「・・今度は、どんなお強請りなのかね」
成歩堂の言葉が偽りだと思っている訳ではないが、完璧すぎる笑みはわざと造ったものだと経験則から判別できる。そして、こんな表情をする時は何か企んでいる事も。
「酷いな。人をタカリみたいに言うなよ。ただ言いたかっただけなのに。・・話は別だけど。この資料、御剣なら入手できるんじゃない?」
「・・善処しよう」
予想が当たっていても、仕事絡みのお強請りだったので軽く嘆息するに留めてやった。私の返答を聞くなり、成歩堂の笑みは変質する。気怠げな、妙に艶のある微笑みを唇だけに乗せ、だらしなく背もたれに上半身を預ける。
事細かに指摘はするが、『今』の成歩堂とて嫌いではない私は成歩堂との距離を詰め、見た目より滑らかな首筋を撫で上げた。
「仕事は恙なく終了したので、プライベートに移っても差し支えないかね?」
「・・・相変わらず、お堅いなぁ。そんなトコも好きだけどね」
小さく笑った成歩堂は、ソファでなく私へと身体を凭れかけさせた。
「好きですよ、ゴドーさん」
どこか含羞んだ笑みを向け、頬に添えた手へコネコそのものの仕草で餅みたいな感触の肌を擦り付けた。
ちくちくとした無精髭も嫌いじゃなかったが、やはり三十路を過ぎても滑らかな頬はどれだけ撫でても飽きない。唯一気に入らない事があるとしたら、髭を剃ったのがひらひらボウヤに言われたからだった点。絶対、感謝なんぞしてやらねぇ。
「俺の料理が、か?」
まず胃袋から落とす、との格言があるかは知らないが、少なくともコネコには有効だ。コネコの好物ばかりを栄養も考えつつ作って奢る内に、コネコは頻繁に俺の家に来るようになった。
「美味しい料理を作ってくれるゴドーさんが、です」
クスクス笑って、喉を擽る指にふんわりと目を眇める。もう少ししたら、きっとゴロゴロ喉を鳴らし出すに違いない。喉を辿り、顎のラインをなぞり、唇を突くと、迎え入れるように花弁が綻んだので、誘われるまま親指を差し入れる。
「ん・・・」
チュッチュッという音だけは可愛らしいが、舌の絡め方や爪の部分への甘噛みは高級娼婦の手管にも負けないだろう。
「クッ・・コネコちゃんは、特製・特濃ミルクを御所望かィ?」
ニヤリと笑って聞いた俺に、まるほどうは何とも複雑な表情をしてそっと指を解放した。
「コネコという年でもないし、そのオヤジギャグはどうかと思いますが・・まぁ、そんな所です」
ニャーニャー抗議しながらもっと撫でろと要求するのが、コネコでなくて何なんだとしばらく下らない論争を続け―――いつものように、深いキスが休戦の白旗代わりになった。
『好きだ』と自ら、そして平然と言う癖に。
キスも、それ以上も、拒んだ例がないのに。