恋に師匠なし:1


「Trick or treat.」

そう言って、可愛らしくウインクを投げてきた人物に、成歩堂は言葉を失くすほど驚いた。



10月31日。
今日は10月最後の土曜日で、小学校はもちろん、星影事務所も当然お休み。
溜まっていた家事を片付けたり、そこそこやるべきことはあるのだが。
「みぬきちゃん。どっか行きたいとこ、ある?」
「うーん。季節カラーの新しい衣装、欲しいかな〜」
「あー、確かにそろそろ買いに行かないと…って衣装?衣装なの?」
「うん。だから布屋さんに」
などと親子の会話を楽しんでいた自宅での午前中。
ピンポーン…――
殆ど来客など無かったこの部屋で、珍しく呼び鈴のチャイムが鳴った。
「まるほどう」
「あ、はい。出ます」
ソファでカップを傾けていたゴドーに促され、成歩堂は玄関へパタパタと向かった。
因みに、ここのマンションは一般的に言えば、上級クラスにあたるのではないだろうか。
当然ながら画面付きのインターフォンなるものが設置されていたが、成歩堂をはじめ他の誰も、それを使ったためしがなかった。
番号を入れなければエントランスにさえ入れないセキュリティ、玄関の鍵も特殊加工。
セールスもおちおちと侵入できない仕組みになっている。
来客があるとすればそれは親しい人のみ。
せっかくの機能を使わずに済んでいることは、逆にありがたいことなのかも知れなかった。
「はーい」
実質、数人にしか解除番号を教えていない。
誰だろうと思いながらも、成歩堂はためらい無くドアを開けた。

「Trick or treat.」

そして冒頭に戻る。
一瞬の間をおいて、成歩堂はその丸い目をさらに丸くした。

「ちちち……千尋さんっ!!?」

成歩堂の声は、中にいたみぬきにも聞こえたようだ。
「パパー?」
玄関口まで顔を覗かせたみぬきに、成歩堂よりも先に千尋が声をかけた。
「おはようー、みぬきちゃん」
「おはようございます。…お姉さん、だぁれ?」
「まーおりこうさん。私は綾里千尋。真宵のお姉さんよ。はじめまして」
「真宵お姉ちゃんのお姉ちゃん?」
知った名前が出てきたからか、みぬきはパッと表情を明るくした。
「そう。今日の…そうね、夕方くらいまでかしら。パパを借りてもいい?」
「え゛」
「みぬき知ってる!"ちひろさん"っていったら、パパのお師匠さんだもんね!いーよ!」
「いや、ちょ、みぬきちゃ」
「いい子ねーみぬきちゃん。お父さんにも伝えといてね」
千尋のその言葉でハッとした。
リビングのゴドーにも、こちらの様子は聞こえているはずだ。
なのに姿を見せない。
「っ、ゴドーさんっ」
そんなコネコの焦った声に、ようやく一家の主(あるじ)が顔を見せた。
ゆったりとした部屋着にシンプルな眼鏡。
それでも、コーヒー片手に立っているだけでサマになるなんて。
その視線に千尋を捉え、ゴドーは口角をニヤリと上げた。

「…………クッ」

「ホラ。お許しが出たわよ、なるほどくん」
「いやいやいや!え、今の許可ですか?OKなんですか?」
強引に成歩堂を連れ出そうとする千尋に、ゴドーはカップを僅かに掲げた。
「早めに戻してくれ」
「心得てます」
「パパー、お土産よろしくねー」
「っあの、せめて財布と携帯くらい…っ」
みぬきに手渡されたショルダーバッグを受け取り、成歩堂は導かれるままマンションを出た。
千尋に逆らうなんて選択肢は、成歩堂の中に初めからないのだ。
エントランスを抜け外へ出る。
風は殆どなく、ぽかぽかとした陽気が何とも気持ち良い。
空を見上げてから、成歩堂は1度深呼吸をした。
そして隣りの千尋へと、僅かに顔を下向かせた。
「…千尋さん」
呼べばすぐに向けられる視線。
以前と何も変わらない、尊敬して止まない強い視線。
「お久しぶり、です」
「うん。……でも、全然そんな気がしないわ」
クスッと笑う千尋の言葉に、成歩堂も確かに、と苦笑した。
実際には、前回会ったときから1年も経っていない。
しかし、単純にもう会えないのではと思っていた成歩堂には、今日の再会は素直に嬉しかった。
「…えーと、真宵ちゃん、ですか?」
千尋を霊媒出来るのは、真宵か春美のどちらかしかいない。
いつもなら髪型や装束などで判断可能なのだが。
背中におろされた長くキレイな髪に、1つボタンベストのオシャレなスーツ。
髪も服も、まるで生きていた頃の千尋そのままだ。
「さぁ?」
しかし尋ねた成歩堂に対し、千尋は悪戯っぽく首を傾げただけ。
「今日は1日、私とデートしてね。なるほどくん」
「え」
「言ったでしょ?"Trick or treat."よ。デートしてくれないなら、イタズラしちゃうから」
「…それって、『ぼく』を差し出さなくちゃ、ぼくに悪戯するってことですか?」
「さすがね、なるほどくん。飲み込みが早いわ」
そう言って千尋は、成歩堂の左腕に自分の腕を絡めた。
結局、同じことではないかと思いながら、成歩堂は千尋と共に駅へと向かった。



「お昼にはまだ早いわね。どこかでお茶でも飲まない?」
電車を降り、暫く歩いてから、千尋が成歩堂を見上げて言った。
「そ、そうですね…」
あれからずっと、2人の腕は絡められたままだ。
午前中といえど今日は土曜日。
休みの人もいれば、仕事中の人も街中には溢れていた。
すれ違うたびに、殆どの男性が千尋をその目に捉えていく。
成歩堂は誇らしさと、そして少しの気恥ずかしさをひしひしと感じていた。
千尋は文句無しに美人だ。注目されるのは当然だろう。
でももし、隣りにいるのが自分ではなくて。
(…ゴドーさんだったら)
誰もが羨む、美男美女のカップル。
「ぼくよりも、ゴドーさんの方がお似合いですよね」
そう思ったら、つい口から出てしまった。
千尋にキョトンと見上げられ、成歩堂はハッとした。
別に他意はない。素直な気持ちを口にしただけなのだが。
ヘンな風に捉えられたかもしれない。
「あっ、いえ、ぼくは別に」
「馬鹿ねー、なるほどくん。センパイなんかと歩いたら気が散って仕様がないわ」
「へ?」
「あ、この喫茶店知ってる?ケーキが美味しいのよ」
ぐいぐいと引っ張られ、成歩堂は歩道沿いにある喫茶店の扉をくぐった。
チリンと扉の鈴が鳴る。
「いらっしゃい」
カウンターに初老のマスターが居るだけで、他に客の姿は見当たらない。
千尋に引かれるまま、成歩堂は1番奥の席についた。
「すみませーん。ケーキセット、2つ。ケーキはお任せで」
メニューも広げずに、千尋はカウンターへと声をかけた。
珍しくも無いことなのか、カウンターのマスターも「はいよ」と答えただけだ。
「勝手に決めちゃって良かったかしら?」
決めてから言われても、と成歩堂は苦笑した。
「千尋さんのお勧めなら、ぼくは構いませんよ」
「あら、大人になっちゃって」
「そりゃ、大人ですから」
テーブルに肘をついて、成歩堂は店内へと目をやった。
使われている、木材そのままの色合いの店だ。
10もないテーブルに各イスが2脚ずつ。
あとはカウンターにも5脚ほど。
壁沿いに設置された棚の中には、ビッシリと詰め込まれたレコードの山。
(あ…そうか、ここは)
どうりで見覚えがあると思った。
以前、仕事中にゴドーとばったり会った喫茶店。
また来ようと話していたのに、なかなか時間がとれずに訪れる機会の無かった場所だ。
しかし、そんなこと千尋が知っているわけが無い。
偶然かと、成歩堂はクスリと笑った。

程なくして、2人の目の前にケーキセットが運ばれてきた。
「こっちが和栗のモンブラン。下はタルトになってるよ」
成歩堂の皿を示して、マスターはそう付け足した。
「そいで、こっちのミルクレープはカボチャだよ。クリームは甘さ控えめだから」
これは千尋のケーキの説明。
まさに季節限定、といった感じだ。
コーヒーの入ったカップをそれぞれに置いて、「ごゆっくり」と静かにカウンターへと戻って行った。




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