鯉口:2




「成の字よォ・・一体おまえさんは、何の用事で来たンだい」
「え? あ、す、すみません。またね、ギン」
 ギンの鋭い眼光に射竦められ固まっていた成歩堂が、はっと肩を揺らし照れくさそうに頭を掻く。律儀にもギンへ小さく挨拶してから、ようやく夕神の方にやってきた。
 その際、ギンと夕神の間で穏やかならぬ視線が交わされた事には、勿論気付いていない。好戦的な眼差しを飼い主である夕神に寄越すとは、躾の問題なのか。それとも縄張りの主張を明確にするのは、本能なのか。
 どちらにせよ、一度じっくり話し合う必要がありそうだ。しかし、『今』話し合うべきはトンガリ頭の青い弁護士。
 ―――後日、記憶を振り返ってみて。とことん追い詰めてやると最後の決意らしきものが起こったのは、多分この瞬間。
「コレ、お渡ししたかっただけなんです。よかったら、召し上がって下さい」
 夕神は剣呑な目付きで睥睨しているだろうに、殺気が含まれていない事を聡く感じ取ったのかテリトリーの中へノコノコ入ってくる成歩堂。鈍感さと怜悧さの、奇妙な共存だ。完全な射程距離内で立ち止まり、差し出したのはありふれたビニル袋。隙間から、包装もされていない茶筒が見えた。
「夕神検事、気に入ったみたいだから。グレードは一つしか上げられなかったけど、一応、お祝いです」
「・・・・・」
「かなり濃く抽出されるって、お店の人が言ってました」
 送り主の真意はどうあれ。正式に復帰した夕神へ贈られたものは、一級品ばかり。間違いなく、成歩堂の差し入れが最も低価格の筈。だとしても、夕神の心を最も揺り動かした。
 成歩堂なんでも事務所へ、アポなしで立ち寄る度。成歩堂は仕事の手を休めて、自らお茶を出してくれる。夕神は底が見通せない程の濃い緑茶が好きで、毎回もっと濃くしてくれと要望すると、例の困ったような顔をしつつ夕神が満足するまで茶葉を加えて『どうですか?』と尋ねるのだ。
 依頼はそこそこあるのに経営が下手なのか、金にならない仕事ばかり引き受けているのか、稼ぎを血の繋がらない娘やイソ弁二人にそっくり回しているのか、いつまで経っても赤貧。それでも、貴重な筈のお客用茶葉を夕神に対して惜しまない成歩堂のお人好し振りは、底なし。
 もし、夕神が違う銘柄の茶葉を要求すれば。『あー、すみません』などと無駄に謝りつつ、怒る事なく取り替えるだろう。
 甘い。
 甘すぎる。
 成歩堂なら、切られたと認識する前に絶命させるのも容易いに違いない。
 これから本格的に法曹界の病巣を切り取ろうとしているのに、これ程暢気な成歩堂では、また真っ先に餌食となる可能性が高い。
 ならば―――薄汚い輩の犠牲となる位なら、その前に喰ってしまおう。
「ヘッ・・おまえさんは、大きな勘違いをしてンぜ?」
「はい?」
 成歩堂の手から茶葉を受け取り、窓枠へ乗せ。夕神は、柔らかいラインの顎をクイと持ち上げた。滑らかな感触と高めの温もりが、夕神を急激に餓えさせる。
 成歩堂と接触するまで自覚症状はなかったけれど。痕が残る程、夜毎虚しい涙を流し続けていた夕神は心底、渇ききっていたらしい。この渇きや餓えを本質から癒すモノは、どうやら一つだけ。自制はしても夕神に自虐の趣味はないから、取る行動も一つ。
「俺が飲みてェのは、成の字が煎れた茶だ。種類なんざ、どうでもいいのさァ」
「え・・はい?」
 顎を掬われた格好のまま、ポカンとする成歩堂。予想通り、夕神の示唆は全く伝わっていないようで。この年齢で、この晩稲っぷり。生まれ持った気質もあるだろうが、鉄壁とも言える過保護者達の成果でもある。
 厄介な反面、今だけは感謝してもよい。
「惚れた奴のなら、何でも美味く感じる。そう言えば分かンだろォ?」
「!?」
 鈍いにも程がある成歩堂とて、直裁な台詞をぶつけられて気が付かない訳がない。大きな瞳がますます見開かれ、本能的に夕神から逃れようと身体が動いたけれど。
 ダンッ!
 夕神はその流れを利用して体を入れ替え、成歩堂を壁際へと追い詰めた。
「ありがたく、いただくぜ」
「夕神検―――っ!?」
 そして、刀が一閃するより素早く成歩堂の唇を貪った。




 髪の毛一筋も余さず、全て喰い尽くして。
 その後は身命に賭して、夕神が護る。


                                          


何とかユガナルっぽくなりましたv