鯉口:1
透明の硝子で切り取られた風景は、コンクリートジャングルの隙間に申し訳程度の自然を嵌め込んだ味気のないもの。
しかし、それすら夕神にとっては貴重な絵画と同じ価値を有し。時間さえあれば、飽きもせず眺めてしまう。
新しく与えられた執務室は、角部屋で。一般的な造りより、窓が一面多い。夕神がわざわざこの部屋へ配属されたのは、察するに御剣検事局長の計らいなのだろう。
年若くして検事局長の地位についた御剣は、先日の裁判を機に法曹界の改革を公然と押し進め、断固とした采配を采配を振るっている。実際、ここは亜内検事の執務室だったのを例の査定時に移動させたのだ。
けれど、外界と隔絶されていた夕神に開放的な部屋を割り当てたように、玲瓏な面差しの下には人情味がある。一時期ダークサイドに堕ちていた御剣が元来の真っ直ぐな性根を取り戻したのは、お人好しという形容がぴったりくる幼馴染みが尽力したからだと何かの資料で読んだ。
「・・ヘッ・・・」
長年拝めなかった『外』を無心で鑑賞していた筈が、いつの間にか思考へ『青』が忍び込んだ事に気付き、夕神は唇を歪めた。無我の境地などお手のものなのに、尖った髪型をした童顔な弁護士を閉め出そうとしても上手くいった例がない。
恩師の愛娘をトラウマから救ってくれ。執念で追い続けてきた敵の亡霊を逮捕し。夕神の命をも繋いでくれた。一生かかっても返しきれない恩義と、成歩堂の為なら拾った命をも惜しくない感謝の念は勿論ある。
しかし、成歩堂への想いは義理だの敬意だのの段階を疾うに越えており。最近では、成歩堂を見れば『喰いてェ』と猛烈な飢餓感が湧いてくる。鉄の檻に閉じ込められ。音のない死の接近でたいぶ精神がやられたのは自覚していたが。別の意味でも可笑しくなったらしい。
何故なら―――あの成歩堂龍一に惚れるなんて、愚行にも程がある。性的嗜好が180°転換したのでさえ、選択の不味さと比べれば些細な事。意志の力で何とかできるのなら、最も避けたかった相手だ。
鈍くて、ツッコミの鬼と呼ばれている癖に天然のボケで、信じやすくて騙されやすくて流されやすくて。一方、真実を追い求める成歩堂は誰にも止められず。最後には、いつだって全てを暴かれてしまう。
成歩堂みたいな人種は人畜無害の顔をして、惚けた会話の合間に本質を言い当てる。顔見知り程度の付き合いなら、まだしも。真摯な関係を築きたいと思ってしまったら・・・無傷で切り抜ける事は諦めた方がよいだろう。
全てか無か。相討ち覚悟か。
兎に角、中途半端な構えで相対すれば、得られるものは昼行灯のような笑みと。懐へ入れた者全てに向けられる、平等な慈愛。
そんなもので満足できる段階を、自覚のないまま通り過ぎていたらしい夕神は、静かに鯉口を切った。
元々、成歩堂から貰ったに等しい生命。ならば、それを捧げる事にどうして躊躇いがあろうか。
コンコン
「・・入りなァ」
今日はもう十分すぎる程の訪問者があった為、一瞬無視しようかとも思ったのだが。入り口の札は『在室』のままだったし、幾許かの予感が掠めたので許可を出す。
「失礼しますー」
覇気とは程遠い、髪型と違って尖った所のない声を出して現れたのは、夕神がそうであって欲しいと心の何処かで希求していた青い弁護士。成歩堂は大きな瞳でキョロキョロと執務室を見回してから、どこか遠慮がちに足を踏み入れた。
「お疲れの所、すみません。すぐ、お暇しますから」
バサッ!
窓際に佇む夕神の方へ歩き出した成歩堂が、突如羽根を大きく広げて音を立てたギンに気が付き、歩みを止める。
「あ、ちゃんとギンの場所もあるんですね。ギン、こんにち―――」
「ピーッッ!」
「き、今日も元気みたいで何より」
「ピィッ」
止まり木で休むギンへ律儀に挨拶するも、ギンが途中で鋭い嘴をクワッと開けて鳴いたものだから、ダラダラと冷や汗を流して少し後退っている。鷹は飼い主以外には関心を抱かないと知ってはいるようだが、それでも毎回接触を試みるのはお人好しの為せる技か。ただの動物好きか。
ギンの方も、成歩堂に対しては他の者には見せない反応を示す。生態を知らない者からすれば威嚇しているとしか思えない羽撃きや高鳴きも、ギンが自発的にする時点で珍しい行動なのだ。成歩堂の意識を向けさせる為、と言ってよいかもしれない。
そこはかとなくギンナルなのは、見逃して下さい…。
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