いざ尋常に勝負:2
「学さん、こんにちは。お邪魔します」
機械のモニターへ釘付けになっていた巣古森学が、ぱっと振り向く。
いつもの仏頂面とは異なりどことなく楽しそうな表情をしており、それはかなり珍しい現象なのだが。水族館での様子を詳しく知っている訳ではない成歩堂は、別段不思議に思わずこれもスルーする。
「よく来たな、にいちゃん。今日はじっくり調べさせてくれ、よ―――」
ややアブナイ発言をしつつ成歩堂の前にやってきた学は、そこでようやく肩に置かれた手と、手の持ち主である長身で長髪で、時代がかった羽織とロングブーツといった出で立ちの男を認識して語尾を途切れさせた。
外見を含めてバリバリの存在感を持つ夕神に気付くのが遅れたのは、興味のあるものしか視界に入れない学者eyeの成せる技である。
『何だぁこいつは』と口程に語る視線で、じろじろ夕神を頭の天辺から足先までを観察する。対する夕神もすっと切れ長の双眸を眇め、ボサボサの髪、不健康そうに削げた輪郭、二の次にされた身なりの学を分析した。
「僕で実験するのは止めて下さいよ。―――ああ、遅くなりましたが紹介します。こちらが荒船水族館の獣医さんで、巣古森学さん。こちらは心音ちゃんに縁のある、夕神迅検事です」
「ふーん」
「・・ヘッ」
成歩堂は大人の、常識ある対応をしたというのに。
方や、これからの法曹界を支えていく中心人物の検事と。方や研究一筋で頑迷な所もあれど、常に動物の側に立って数々の貴重な実績を重ねる獣医は、顔を合わせた一秒後にはお互いつまらなそうな表情でそっぽを向いた。
「ええと・・学さん、エルとエールの研究は順調ですか? あ、夕神さんもエル達の事は知ってますよね? シャチの中でもかなり賢いらしいので、今はメインで調べているらしいんですよ」
誤解のしようもなく反友好的な態度に戸惑ったものの、二人を引き合わせた身としては早々に諦める訳にもいかず、橋渡しを続行する成歩堂。
特徴的な眉を軽く寄せ、焦りつつも雰囲気を改善するべく奮闘する姿に『グッとくるな』『喰いてェ』と二つ程の呟きが漏れたが、幸いにも発した本人以外には聞こえなかったようだ。
「あァ、あの不届きなシャチだろう? 性格の矯正は進んでンのか」
「ゆ、夕神さん!?」
「治療はしてるが、本能が強くてな。それにイレギュラーなのは、エールじゃないぜ」
「学さん、エールはどこか悪いんですか?」
夕神が、エールのキス事件を把握済みな事も。学が、妙に成歩堂へ懐いているエールを調査し、成歩堂への執着を取り除こうと色々試している事も、成歩堂は全く知らず。
成歩堂より事情通らしい二人が、それまでの無関心から一転して急に意味深な話をし出したものだから、目をまん丸にして交互に見遣った。鳩豆状態な成歩堂の姿は、童顔も相俟ってかなりあどけなく映り。
「心配しなくても大丈夫だ。俺が何とかするさ」
尖っていながら感触は柔らかい成歩堂の髪をやや乱暴に掻き回し、学はそのまま項へ手を滑らせてグイ、と己の方へ引き寄せた。
研究一筋で『人間』という生物には禄に興味を抱かなかった学の中へいつの間にか入り込み、エールの事を指摘できない位、執着を覚えてしまったイレギュラーな存在―――成歩堂。
学にしては積極的に関わっていき、今ではお巫山戯を装って抱き締めても苦笑一つで許されるまでに親しくなった。いずれは、懐で飼うつもりだ。巣立ちは永遠になしで。それ故、危険要因は排除しなければならない。
学に成歩堂を取られた為、宙に浮いた手を握り締める夕神へ『ガキは引っ込んでろ』的な視線を向ける。
「仕事で手一杯みてェだから、俺達は退散するかァ。深海魚ゾーンがオススメだって、元・ホストの囚人が言ってたぜ」
学の挑発を真っ向から受けた夕神は長い腕を伸ばして成歩堂の腰へ巻き付け、即刻奪い返す。反撃する間もなく行われた早業に苦虫を噛み潰したような顔をしている学へは、『オッサンが無理すんなァ』的な嘲笑で牽制する。
深海魚ゾーンという薄暗く、かつ雰囲気のある場所に連れ込んで舐めて噛んで味わって、その後は持ち帰って余す所なく喰ってしまいたい程、腕に納めた年上の男に惚れているのだ。
誰が、渡すか。
それは夕神の思いであり。奇しくも、学の考えでもあった。
唯一といってもよい意見の一致だったが、内容が内容だけに、夕神と学がこの先親交を深める可能性は限りなく零に近い。
「学さんも夕神さんも見詰め合っちゃって・・・もしかして、僕はいない方が仲良くなれそうですかね」
「黙りなァ」
「すっごく、失礼な話だな」
そして、あろう事か成歩堂から鳥肌が立つような誤解をされてしまい、その原因となった相手への好感度はマイナスを突破した。
とはいえ、まず対処すべきはライバルの排除ではなく。成歩堂の鈍感さかもしれない。