この世でたった一つ、確かなモノがあるとしたら。
人は必ず死ぬ事。
生まれた瞬間から、死へのカウントダウンが始まるのだ。
しかし脆弱な精神しか持たない人間が、その恐怖に耐えきれる筈もなく。夢や希望や愛を創り出して神経を麻痺させ、短い生涯を乗り切ろうとする。
巌徒は生まれながらにして『救い』を必要としない、稀少な人種で。『畏れ』と『畏れ』る人々を自由自在に操る事ができた。
別段、楽しくてやっていた訳ではない。巌徒にとって世界が思い通りに進むのは当然で、どんな事象も表層の極浅い所を引っ掻く程度の些末さ。
そして、『人』が憎い訳でもなかった。ただ、人間が無意識下で教えられずとも強制されずとも呼吸するのと、同じレベルで。巌徒の身体に流れる『悪』くて『黒』い血が人の闇を欲して蠢くまま、非業の混沌を造り出してきた。
概念に照らせば、己が『悪』である事も。人々が忌避する『黒』歴史を敢えて展開している事も。悲鳴と怨嗟と狂信に塗れるが故に碌な最期を迎えない事も、理解していた。
だからといって、悔い改める気などない。寧ろ、どんな終幕を迎えるのか愉しみだったのだが。
―――巌徒は、出会った。
ギザギザ頭の、青い弁護士に。
新人らしからぬ勝率をあげる弁護士がいると小耳に挟んだのは、毎日齎される膨大な情報の一つ。駒になりうるか、邪魔な存在になるか、考察する必要もないか。脳内の『未決』のエリアに放り込んだ。
先見に優れている巌徒でも。背景の一部に過ぎないモノに心動かされるとは、予測不可能で。想いを自覚した時には、かなり驚いた。というか、ひよっこ以下の、殻付きの新人弁護士と出会ってから、実に様々な感情が生じるようになった。
加えて物理的にでも精神的にでも成歩堂が傍らにいると、『血』が鎮まるのだ。無くなりは、しない。それは巌徒の一部であり巌徒の基でもあるから。けれど大人しく深部に沈み、成歩堂への想いが広がってきてもそのまま混ざり合う。
白と、黒と、赫だけで構成された世界に、鮮やかな青が滲む。これまで狭くて無限な箱庭へ入り込んできた異物は、即時か。もしくは、襤褸になるまで玩具にした後で破棄した。何の感情も持たないまま。
なのに、天空の彩りのように、青はいつまででも眺めていたくて。壊す事しか知らない黒い血が、壊そうと頭を擡げたりもしなかった。
成歩堂の存在は、特別。異物にして、変化。変化にして、作用。
そう悟った巌徒は。
「ナルホドちゃんがいなくなったらどんな気持ちになるのか、すごく試してみたいナ。でも、人は壊れたら戻らないしネ」
甚だ物騒な導入で、成歩堂の頬を引き攣らせ。
「だから、末期の水をとってくれル?」
告白を大きく通り越したプロポーズをした。
「だから、末期の水をとってくれル?」
ツッコミも、いれられなかった。
第一、接続詞の使い方がおかしいのではなかろうか。イントネーションは独特でも言葉を操る事にかけては御剣すら赤子レベルに等しいから、わざとああいう言い方をしたのだとは思うが。
それにしても。初めて会った時に具合が悪くなる程の『コワサ』を感じた巌徒から、告白される日が来るとは。しかも、一時期は敵対関係にすらあったのだ。正直、最悪の結末だって覚悟していた。
まだまだ年数が少ないとはいえ、人生、何が起こるか予測不可能。
そして、歩堂の恋愛において『普通』は望めないらしい。一度目は、恋愛に至っていない恋愛だった。後々、あれが彼女の愛し方だと言われたものの、頷ける要素は少なくて。
二度目は、年齢も立場も生き様も思考も掛け離れ。同じなのは性別だけ、というこれまた特殊なシチュ。恋愛の神様は、とことん成歩堂に試練を与えたいとみえる。
今でも。
未だに。
巌徒の闇を感じると、全身が戦く。
ちっぽけで未熟な己が、巌徒の為に何か出来るのか不安になる。
しかし、巌徒が驚く程優しい微笑みを見せるから。
最近、近くにいると巌徒の内に在る『モノ』が静かにしているから。
思い切って、一歩踏み出してみようかと思う。
「巌徒さんも、僕の最期を看取ってくれるのなら」
「―――アッハッハッ! やっぱりナルホドちゃんは、オモシロイね」
お互い、敢えて確約を与えなかった。不思議で不安定な締結ではあるものの。
二人は、始める事を選択した。