お節と聞いて脳裏に浮かぶのは、実家に住んでいた時母親が作ってくれた素朴なもの。
五の重まであり、重箱も漆塗り沈金の豪勢なお節料理は初体験だった。
「お口に合うとよいのですが・・」
いつもながらそつなく控え目な椎木がそっと置いたのは、成歩堂の生まれ育った地域特有のお雑煮。技が、細かい。
「ありがとうございます。美味しいです」
ふと、館の主人である巌徒に合わせた味付けにしなくていいのかという疑問を感じたが、胸の内に留めておいた。それも、数ある秘密の一つなのだろう。
「どうぞ」
だから聞く代わりに、酒器を取り上げて巌徒の杯を満たした。
「ン。ナルホドちゃんも呑みなよ」
お屠蘇には小中大の杯がついていたのだが、正式な飲み方を知らない成歩堂が戸惑っていると『こんなの、適当にサ』と軽く笑って中サイズのを渡してくれたのだ。
「ああ、少しでいいですっ」
並々と注がれたお酒に慌てる成歩堂。この家で不味いものなど一度も出てきた事はなかったが、美味しすぎるのも問題だ。口当たりがよくて、日本酒があまり得意ではない成歩堂もついつい杯が進んでしまう。
でも目の前にずらりと並んだお節を、まだ全種類制覇していない。酔っぱらう前に、是非とも味わっておきたかった。
「ふぅん、気に入ったノ? また来年も作らせるから、焦らなくてイイよ」
「巌徒さん・・」
不味いものは食べないが、美味しいものを食べてもそれ程表情に現れない巌徒。今も、一箸ごとにカルチャーショックを受けている成歩堂とは違い、淡々と口に運んでいる。
しかし、色付き眼鏡の奥にある光は、柔らかい。
鬼が笑う事なんて歯牙にかけず、平然と来年の約束をしてくれる。
―――作られたものではない優しさが、時折表面化する。
暖かくなって雪が溶け、地面が姿を見せるように。
綺麗なだけだったこの屋敷が、人の温もりで息付き始めたように。
まだまだ、不安定で細い繋がりだけれども。少しずつでいいから、確かなものが築けていければと思う。
巌徒から死角の位置で、椎木が目頭を押さえているのが見え、笑いが漏れそうになるのを寸での所で噛み殺した。いつかは、椎木がいちいち感動しない日が来るかもしれない。
「来年も、楽しみにしています」
一年の始まりも、すごく楽しみだった。
*おまけ*
「巌徒さま。いつでもお使いになれます」
「ありがと。ナルホドちゃん、行こうカ」
「え? はい・・・」
食後、微酔い加減でまったりと過ごしていると。椎木がやってきて巌徒に何事かを報告した。
鷹揚に頷いた巌徒は、成歩堂の手を取って部屋を出る。訳が分からないものの、成歩堂は大人しく巌徒の後をついていった。
巌徒が立ち止まったのは、一階のある一室。前を通った事はあっても、中に入った事のない部屋の一つ。
巌徒が扉を開け放つと―――視界へ飛び込んできた光景に、成歩堂は絶句した。
そこは、和室になっていた。洋館だけれど、幾つか和風仕様になっている部屋もある為、それだけでは驚かない。成歩堂の度肝を抜いたのは、和室のその先。
サンルームっぽい所に一つ。
サンルームと、庭の間に一つ。
十人は余裕で入れそうな檜と石造りの『お風呂』が、鎮座坐していた。
「温泉。お年玉だヨ」
「いやいやいや、あり得ませんから!」
久々に、指付きで突っ込んでしまった。
日本は、有数な温泉地帯。掘れば、大抵の場所から温泉が湧く。
が。
最近は技術が進歩して掘削費用は1mにつき6〜8万円と安くなったらしいが、この屋敷周辺で温泉の話は聞いた事がない。という事は、かなり深くまで掘り下げなければ湧かない筈。
プラス、部屋の改装費と内湯・露天風呂の設置を考えたらビリジアンまっしぐら。
成歩堂は温泉で寛ぐのはいいですね〜なんて、うっかり話した己を激しく自省した。
「来年は、お年玉も禁止ですっ!」
しかし、来年の為にそれだけは叫んでおく。