「コネコちゃん」
「バンビーナ」
「ベイビー」
『何か、ヘンなの増えたーっっ(汗)』
またしても魔のトライアングルに引きずり込まれた成歩堂のHPはガタオチで、最初から突っ込みもできない状態だった。
バンビーナの意味もまだ聞いていないのに、直斗までもが意味不明な呼び方をしている。己に向けられた名称だとは思いたくないが、この異空間にいるのは4人だけでしかも3人とも成歩堂をガン見しての発言だったから、とぼけるのは無理そうだ。
「あの・・・僕には成歩堂龍一という立派な名前があるんですが」
猫、鹿、赤ん坊なんて、名前にも外見にも、そして自己判断になるが性格にも3種類の要素は含まれていない筈。
この際突っ込みより全否定でいこうと考え、なけなしの気力を奮い立たせる。
「うん。格好いい名前だよね」
「テキーラみたいにぐっとくるぜ」
「しかも、俺とお揃いって所がチャームポイントだな」
「いやいやいや・・感想を聞きたい訳ではなくて、ちゃんと名前で呼んで下さいよ。それから、『龍』の字はただの偶然です」
『クッ・・照れてるのかい?』という約一名の戯れ言は、聞き流すに限る。
「だがなぁ、バンビーナ。俺達は昨晩、テキサスの太陽並みに熱い議論を戦わせたんだ」
「どの呼び方が、成歩堂くんにピッタリかってね!」
「朝の4時までぐっとくるテキーラを呷りつつ話し合ったが、決着はつかなかったのさ」
酔いも疲れも全く窺えないとはいえ、飲んだくれた挙げ句に完徹で仕事にくるのはどうかと指摘したいが、それ以上に重大な問題がある。
「そんなくだらない事、真剣に話し合う必要はないでしょうに・・」
開いた口が塞がらない。3人の真剣な眼差しも、イヤだ。
「大ありだぜ、コネコちゃん! 今年、コスタリカ地方の豆が不作だったのに匹敵する大問題だ」
『激しくどうでもいいって事ですね?』と突っ込む寸前、たっぷりアロマの入った珈琲マグが視界に入ったので、止めておいた。
精神的なダメージに加えて、肉体的なダメージまで奢られたら泣いてしまうかもしれない。
「豆の出来高はさておいて。決着はつかなかったけど、結論はでたよ」
「そう、バンビーナに呼び方を選んでもらおうってな!」
「・・・・・」
HPのゲージ残量は、1p以下だった。
もはや言葉もない成歩堂へ、3人は10p程距離を詰める。
「コネコちゃん」
「バンビーナ」
「ベイビー」
「「「どれがいい?」」」
選択肢が少なすぎる上に、選びたいものが存在しない。
無理にどれかを選んでも、更なる騒動に発展しそうな予感がする。
けれど、選択しない限り解放してもらえないのだろう。
ピンチだ、と顔色をビリジアンにした成歩堂だったが。
「あ、ナルホドちゃん発見。・・溺れてるね?」
異次元空間に突如現れた黒い手が成歩堂の腰を掴み、ふわりと囲みから脱出させたのである。
「巌徒、局長・・」
人前なのに敬称を忘れそうになって、急いで付け加える。
そんな成歩堂の心情をしっかり読み取った巌徒はくすりと笑いながら、背中から成歩堂を抱き締め―――3人とガッチリ目を合わせた。
成歩堂には見えないのをいい事に、革手袋と同じ色のオーラを吹き上げて。
この珍しい生き物を弄くりまわしたいのだろうが、それを許されるのは巌徒だけ。そこの所を、今日は改めて教え込むつもりだった。
その前に、もう一つはっきりさせておくべき事がある。
「キミたち、分かってないね。ナルホドちゃんは『エンジェル』に決まってるじゃナイか」
巌徒もかなり真剣な気持ちで発言したのだが、残念ながら一番に反論してきたのは成歩堂。
「いやいやいや、それも勘弁して下さい・・(泣)」
巌徒は、大切な人だけれど。
だからといって、いい歳をした大人が、しかも『男』が『エンジェル』などと呼ばれて嬉しいかどうかと言えば、正直引いてしまう。
トリオに囲まれていた時と同じくダラダラ冷や汗を流して見上げてくる成歩堂を、(成歩堂が振り向いた瞬間、跡形もなく邪悪な空気を消滅させて)つくづく眺めた巌徒は。
ふむ、と小首を傾げ。
あ、ちょっと可愛いかもと、場違いな感想を抱いた成歩堂の肩を抱き。
「じゃあ、そこんトコロ、ゆっくり話し合おうか?」
「え・・?」
「今日はもうあがるから、後はヨロシクねー」
ひらひらと空いている手で、一方的に帰宅を告げた。
「ちゃっかり、成歩堂くんをお持ち帰りですか?」
「コネコちゃんを保護しなきゃならねぇぜ」
「あー、この後バンビーナと現場に行くつもりだったんだがな・・・」
満足な結論も得られないまま鳶に油揚げをさらわれるのを阻止しようと、3人はそれぞれ抗議と共に追い掛けようとしたが。
「お待ちなさい」
ピシャン、と素晴らしく軽快な摩擦音がして、3人の爪先1pの所へ鞭が叩き付けられた。
立ちはだかったのは、巴と響華と冥。
傍若無人、恐いモノ知らず、天上天下唯我独尊と自分勝手なペースを貫き通す3人ではあったが、この女傑達相手では、流石に強行突破はできない。
自然と、動きが止まる。脳でなく、本能が危険を嗅ぎ取って。
・・・彼等だって、命は惜しいのだ。
「前々から、皆さんとはじっくりお話ししたいと思っていたんです」
「リューへのちょっかいが、目に余るんだよねぇ」
妙に成歩堂を気にいっている彼女達から、時折からかいが過ぎると窘められたりもしたけれど。今日の『ちょっかい』だって、レベル的にはそう酷いものではない筈。
「局長の魔の手から、救う方が先だと思うんだがな?」
「ああ、ベイビーが悪い人に連れ去られていく・・」
何が彼女達の逆鱗に触れたんだ、と思考を巡らす一方で、こちらを何度も振り返っているのにどんどん巌徒の促しで警察局の出口へ向かっている成歩堂が気にかかって仕方がない罪門兄弟。
「クッ・・狸ジジイは、どんな魅力的な条件を出してきたんだィ?」
ゴドーはあまりのタイミングの良さ、冥達と巌徒の間で交わされた思わせ振りな視線などを総合的に鑑みて、巌徒の事を決して好意的には受け止めていないであろう彼女達が、敢えて巌徒側につく理由を挙げてみた。
「馬鹿がまた馬鹿な事を考えているけれど、馬鹿馬鹿しすぎて答える気にもならないわね」
ヒュン、ピシャン!と貴族的なフォルムの頬に僅かながら紅をさした冥が、高圧的に言い放って、ついでに鞭も華麗に放つ。
「穿ちすぎですわよ、ゴドー検事」
それはもう美麗なのに、周囲の気温を2・3度下げる笑顔で応える巴。
漂う冷気に動きを封じられた3人の運命は、火を見るよりも明らかだった。
後日、冥達が『仕事』という名目で、それぞれ一日ずつ成歩堂と二人っきりで行動して、それぞれの思い通りに成歩堂を構い倒したとか。
地獄の3丁目まで追いやられたゴドー達だったが、それ以降も『コネコちゃん』『バンビーナ』『ベイビー』(ついでに巌徒の『エンジェル』)呼びは止まず、その度成歩堂が真っ赤になって異議を唱えたりだとか。
成歩堂の周りでは、いつも何かしらの騒動が起きるというのが検事局・警察局共通のお約束になる日は、そこまで来ていた。