「この雨じゃ、中止ですね・・」
窓に流れる水滴を見ながら、成歩堂が残念そうに呟いた。心なしか、トンガリもしんなりしている。
巌徒は背後に立って肩を抱いた。極自然に、成歩堂が寄りかかってくる。こうなるまでに費やした時間とやり取りを思い出して、巌徒の口元には薄く笑みが浮かぶ。
「ナルホドちゃん、そんなに見たかったのカナ?」
今からでも空にミサイルを打ち込んで雨雲を飛ばしてあげようカ?、と付け加えたら、たちまちビリジアンになってブンブンと頭を振った。本気でやると信じている辺りが、更に巌徒の笑みを誘う。まぁ、不可能ではないからまるっきりの杞憂でもないが。
「だって、来週巌徒さんは出張ですからね。晴れても、意味はないですし」
「・・・・・」
聞き逃しそうな程に、あっさり言われた台詞。勿論巌徒が成歩堂の一言一句でも聞き漏らす訳はないから、2秒考え、ゆっくり成歩堂の顎を持ち上げて問うた。
「・・ボクと、花火を、見たかった、トカ?」
「ッ!」
途端、パッと頬へ朱が散ったのが、言葉よりも明確な答え。
土曜日でも、家を空ける事が多く。今日は偶然、午後の早い時間に帰宅できたのだ。成歩堂は喜んでいたが、花火大会の事は、夕食の際に『家から見えるみたいですよ』と初めて口にした位で。
休んでほしいとも、楽しみにしていたとも全く匂わせなかったから、今の今まで成歩堂の望みに巌徒ともあろう者が気がつかなかった。
「いやいや、あの・・見られたら、いいなと・・」
顎を掴まれているせいで俯く事ができない成歩堂は、せめてもと目線を逸らすが。曖昧に口ごもるが。冗談にもしないし、否定もしない辺りが、巌徒の読みを裏打ちする。
「フゥン。・・花火、来週に順延されるんだ?」
巌徒は指を己の顎髭に戻し、すうっと目を眇めた。何やら考え始めたのを見て、成歩堂が急いで釘を刺す。
「あ、出張を取りやめたりしないで下さいね! ダメですよ?」
何の気なしに漏らした成歩堂の一言で、大事な会議―――巌徒にとっては成歩堂以上に大事なものはないのだが―――をすっぽかした過去がある為、二の舞になってはと心配したのだろう。
「イヤだなぁ、ナルホドちゃん。ボクは真剣に仕事に取り組んでるから、そんな事しないヨ?」
巴や直斗や、その他巌徒が直接間接問わず関わっている者全員が挙って異議を申し立てそうな台詞を真顔で発し、ニコリと微笑む。成歩堂が過去のちょっとしたお茶目を忘れていた場合は、出張は順延でなく消去していたであろう『黒さ』を欠片も出さず。
最近、成歩堂を通して真面目に仕事をさせようという動きが顕著になってきて、少々煩わしい思いをしている。ウカウカと踊らされる巌徒ではないから、適当にあしらってはいるが、それでも以前の巌徒であれば即座に『消去』していた案件に取り組む率が高まっているのは事実。
そしてそんな己を許容してしまうのも、成歩堂の影響である事は間違いない。
「でも、約束するカラ。ナルホドちゃんと、この家で、花火を見るってコト」
成歩堂の望みなら、『離れたい』以外であれば片っ端から叶えてやりたいと思う程に囚われているし。実現するだけの力も、ある。だから巌徒は、胡散臭いと称される笑みを成歩堂だけに向けるものに変え、やんわり成歩堂の両手を握った。
「・・楽しみに、してます」
来年か、再来年か、その先か。何年後でもいつかは巌徒が約束を果たすと信じている成歩堂は、ようやく表情を緩め、嬉しそうに笑い返した。
だが。『力』を手に入れたのは、きっと巌徒と成歩堂の生活を彩る為の事前準備だったに違いない、と確信している巌徒は、年単位で成歩堂を待たせたりはしなかった。
不景気の波は花火業界にも押し寄せ、今年は花火大会の中止も相次いだらしい。そんな中でも順調に売り上げを伸ばしている部門がある。
『プライベート花火』とも呼ばれるそれは、言葉通りお祝い事やイベントで花火の打ち上げを『個人』が依頼するもので。最後に仕掛け花火で文字を浮かび上がらせてプロポーズするのも、少なくないとか。
費用は数十万から百万単位と、内容と予算にあわせられるのも、人気の理由だ。
そう。
巌徒は『使い道があんまりナイんだよね〜』と庶民が聞いたらカチンと来る事間違いなしの私財で、花火大会レベルのプライベート花火をオーダーしたのである。
お約束のラストメッセージを見るまで、幸運にも家から鑑賞できる別の花火大会が催されたのだと素直に喜んでいた成歩堂は。
ドングリ眼が落ちてしまうのではないかと思われる程に驚き。
巌徒の金銭感覚と資産に、戦き。
これまで以上に巌徒との『約束』には細心の注意を払おうと、何故か自戒し。
でも嬉しかった事には変わりないので、(いつも甘いのだが)、グレードアップした甘い夜を過ごしたとか。