身長差を利用して、巌徒は顔を傾けて成歩堂の黒々とした髪の毛へ口付けた。
きっちりセットされているトンガリを崩さないようなソフトな接触だったが、巌徒の吐息が滑って、くすぐったそうに成歩堂は片目を瞑る。
「巌徒さんって、ソレ、よくやりますね」
ちょっと照れながら、前々から思っていた事を告げる。
「ン・・・そうかな?」
接吻のスタート地点が『頭』である割合の高さを指摘すると、自覚症状はなかったのか、巌徒は眼鏡の奥の碧眼を僅かに見開いた。
「ン・・そうかもしれないネ」
コンマ一秒で記憶の回路を辿ったのか、今度は目を眇めて頷いた。
「ナルホドちゃんの頭の天辺から足の爪先まで、全部好きだけど。髪の毛は特別なんだヨ」
「・・・・・」
臆面もなく巌徒が宣うものだから、成歩堂の方が恥ずかしくなって耳朶を赤くする。ここですかさず『僕も同じです』なんて返せるスキルには、まだまだ到達できない。
耳朶に限らず、頭皮までほんのり赤らんでいるのを見つけた巌徒がクスクス笑みを溢しながら、再度温度の上がった頭に口付ける。
「見た目と違って、すごく柔らかいんだよネー」
ムースなどを使用してトンガらせているものだから、硬質な印象が強いのだけれど。
整髪料を落とした髪の毛は、しんなりと手触りがよく。
情事の後などに撫でると、なかなか手が離せない。
「刺さるんじゃないかって、よく言われますけどね」
既にツンツンはトレードマークで、口の悪い悪友などには凶器とまで称されているのだが。成歩堂自身は己の髪質など気にした事がなかったから、巌徒に柔らかいと言われてそうなのかな、と思う程度だ。
「ウン。ボクも硬いと思ってたから、ビックリした」
鋭角な尖りは、成歩堂の本質を象徴しているのだと。
成歩堂が翳す『真実』と同じで、迂闊に触れれば突き刺してくるのだと。
しかし、成歩堂の髪の毛は、優しく巌徒の手を迎え入れた。
そして、身の内に入り込んだ成歩堂の『真実』は確かに巌徒の心の臓を深々と貫いたけれど、傷つけたりはしなかった。
混じりけのない真実なんて、巌徒にとっては致死の猛毒にしかならないと考えていたのに。
肉に、骨に、血に、神経にまで行き渡ったそれは、気がついた時には巌徒を『変質』させていた。
いや、やはり成歩堂は一回、巌徒の息の根を止めたのかもしれない。
そして、似て非なるものとして覚醒させた。
そうでなければ、成歩堂の直向きさが。
沸き上がる成歩堂への想いが。
成歩堂から注がれる優しさが。
こんなに心地よく感じる事の説明がつかない。
『愛』など、幻想と歪みと顕示から発生する擬似的な自己欲だと捉えていた巌徒が、どっぷり『愛』に浸って抜け出せないでいる。
「ホントにナルホドちゃんは、逆転弁護士だよネ。驚かされてばっかりで、ボケる暇もナイ」
お惚けではあっても、呆けには程遠い巌徒が軽い調子で言ったが、成歩堂は何か真摯なものを感じ取った。
だから照れを堪えて、きちんと刈り揃えられた顎髭へ一瞬だけ唇を寄せる。
「いいじゃないですか、ちょうど。ずっと元気でいて欲しいですし」
滅多にない行動と、こちらも冗談めかしてはいるが成歩堂の本心が覗える言葉に、巌徒は数秒押し黙った後で高々と哄笑した。
「呆け防止には『刺激』が効果的らしいカラ、よろしくネ!」
心底愉しそうに『お願い』すると、成歩堂の身体に緊張が走って後退ろうとしたが、巌徒は抜かりなく両腕で囲いを作ってある。
「あ、あの・・巌徒、さん?」
「ナルホドちゃん。刺激的なコト、しようか?」
グリグリと、こちらは見た目通り硬い顎髭を柔らかな頬へ擦り付ける。
「いやいやいや、巌徒さんはそんなコトしなくても、ボケたりはしないと思いますよ?!」
ちょっとした触れ合いなら、ともかく。
時間は昼間だし。
場所は警察局長室だし、と成歩堂は焦って制止をかけたが。
「ンン? よく聞こえないなァ。耳が遠くなっちゃったかも」
「ぇぇぇえ?!」
心のデトックスに加えて。
身体の健康維持にも協力してもらうべく。
巌徒はニコニコ無邪気に笑って、成歩堂の異議申立を全て却下した。