He said, "I will not destroy it for the ten's sake."
(『私はその十人のために滅ぼさないであろう』:旧約聖書より)
「・・・花火でも、打ち上げようカナ」
万年筆を机に放り、巌徒が漏らした。
表情もトーンも特に『黒い』ものではなかったが、巌徒の上っ面は糸鋸刑事の『大丈夫ッスよ!』と同程度にしか信頼していない直斗は、尋ねてみた。
「それって、血や肉が飛び散る花火ですか?」
答えるか答えないか判別しがたい時は、直球勝負に限る。
局長室で巌徒と二人きりという最悪の環境下、書類地獄に落とされている直斗のライフポイントがそろそろ尽きかけて絡め手を繰り出せないのも、一つの理由だったが。
「ソウ。黒煙に覆われた空に、業火の赫が照り返るのはなかなか綺麗だヨ」
巌徒はモバイルを操作しながら、事も無げに肯定した。
もしかして巌徒の黒い指がenterをポチッと押せば、少なくない有機物がプチッとdeleteされるのだろうか。
何も『知らない』のに止める程、偽善的な正義感を持っている直斗ではなかったけれど。
「うーん。再考の余地はあるかもしれませんよ」
滅多にない直斗の干渉に、巌徒も少し不思議そうな目で眺めた。
その時。
コンコン。
小さなノックが、辛うじて消えずに響く。
「!」
今日の来客は全てキャンセルしていたし、緊急の用件なら秘書が内線で連絡してくる筈。そのどちらでもない合図に、今度は扉へと不審な眼差しを投げ掛け―――巌徒は、何かに気付いたのかさっと別のモバイルを見遣った。
「ナルホドちゃん!」
そして、恒例の瞬間移動。
扉が開いたと思ったら引きずり込まれ、巌徒からギュウギュウと熱烈な抱擁をうけた成歩堂は驚いていたものの、巌徒は腕を緩めようとはしなかった。
「会えて嬉しいヨ。ンン、ナルホドちゃんだぁ・・」
「はは、アポなしなんですけど・・・平気、みたいですね」
巌徒の肩越しに直斗へ会釈する成歩堂が、苦笑とも安堵ともつかぬ息を零した。
『成歩堂サーチ』の点滅が、成歩堂の接近を告げていたのにも気付かず。
成歩堂が恥ずかしがるのを承知の上で、直斗がいても膝抱きしている所から察するに、巌徒の方もそれなりに飽和状態だったのだろう。
が、それも過去形。
局長室の雰囲気が、一変した。
瘴気で淀んだ空間が、浄化されて。
『大丈夫ッスよ!』と胸を張っておきながらやっぱり大丈夫ではなかった糸鋸刑事のミスが原因で、急遽警察局に寄らなくてはならなかった成歩堂。
その情報を偶然入手した直斗は、『成歩堂くんが来て癒してくれないと、局長も俺も仕事放棄するからv』と可愛くメールを送っておいたのだ。
やっぱり疲れた時には成歩堂くんだよね、と自画自賛していた直斗とご機嫌な巌徒の視線が合ったので、わざと生真面目なモードで質問する。
「休憩の前に。・・懸案事項は、どう処理しますか?」
答えが分かっている問いでも、聞きたい時がある。
「ン? 晴れたから、延期するヨ」
案の定、巌徒は『クダラナイ』考えを消去したらしい。直斗も、軽く頷いた。
「ま、折角の青い空を曇らせるのは惜しいですからね」
「・・・?」
一人話の流れが分かっていない成歩堂は、きょとんとした顔で巌徒と直斗を見ていたが。
二人がそれぞれ『作っていない』笑顔を向けると、すぐに鮮やかな笑みを返してくれた。