仁賢天皇系と継体天皇系並立説について仁賢天皇系と継体天皇系が並立したという説がある。根拠は下記になる。 ①仁賢天皇の后、糠若子郎女とその娘、春日小田郎女が、欽明天皇の后、糠子郎女とその娘、春日山田郎女と名が相似し、同一人物と見られる。まず、系図を見ていこう。
この説が正しいとすると、下記が成立しなくなる。 ④継体天皇と仁賢天皇の娘、手白髮郎女から欽明天皇が生まれた。④の親子関係が正しいとすると①の同一人物は2世代差がある。また、2世代ずらすと、継体天皇は雄略天皇と同世代になる。継体天皇の寿命は古事記に43歳と記載されるため、即位年の前倒しも難しい。こうなると雄略天皇の年代も少なくとも19年以上後ろ倒しになるので下記も成立しなくなる。 ⑤雄略天皇が稲荷山古墳出土鉄剣に刻まれた471年ワカタケル大王であること。 私見としては、仁賢天皇と糠若子郎女の子は春日小田郎女のみなので、系図を見る通り、和邇氏が自身の地位を高めるために、系図に仁賢天皇との関係も入れて、それを無視出来なかったためと考える。仁賢天皇は古事記に王(みこ)の名で記載されているため、即位自体が疑われるが、仁徳天皇系の継承者であるため、系図に入れることも重視されている。また、日本書紀に残酷な天皇として描かれる謎の多い武烈天皇の事績は、当時の蘇我氏を中心とした豪族の同意で暗殺された崇峻天皇の事績を連想させ、その歴史観から武烈天皇の事績が構築されたようにも見える。③の安閑天皇、宣化天皇の系統が即位出来なかったのは、④の仁賢天皇つまり仁徳天皇系の血筋を継承出来なかったという従来説が正しいように見える。 R03.10.02 |