物格(いた)りて后(のち)知至る。知至りて后意誠なり。意誠にして后心正し。心正しくして后身修まる。身修まりて后家斉(ととの)う。家斉いて后国治まる。国治まりて后天下平らかなり。 「物格る→知至る→意誠→心正しい→身修まる→家斉う→国治まる→天下平らか」と一直線の過程を描いている。一文だけ切り出してきたから余計そう見えるのだが、儒学の漢文は過程に限らず、このように一直線の途中説明の無い断定が多い。ここで書かれている意味というだけならば、以上のように矢印で描いた方が短く収まってしまう。各過程に至る詳細な説明は無く、この各過程と過程を繋ぐ一文一文の間を読み手は他の文章や経験で埋める、または実践が求められている。『大学』は上記引用のように儒者の自己修身から政治に至るまでの過程が書いている。上記過程の「格物」「致知」「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国」「平天下」は八条目とされる。この文の前にはこの八条目が逆に並べられ、古えの明徳を天下に明らかにするためには国を治むと、今度は目的のための何が必要かという観点から八条目を逆順に追っている。孔子の弟子の曾子(BC506-?)、または、秦漢の儒家によって書かれたと言われている。朱子学の祖、南宋の朱熹(1130-1200)の解説では以下のようになる。 物格るとは、物理の極処、到らざるなきなり。知至るは、吾が心の知る所、尽くさざるなきなり。知既に尽くさらるれば、即ち意得て実なるべし。意既に実なれば、即ち心得て正しかるべし。身を修むるより以上は、明徳を明らかにするの事なり。家を斉うるより以下は、民を新たにするの事なり。物格り知至れば、即ち止まる所を知るなり。意誠なるより以下は、即ち皆な止まる所を得るの序なり。(『大学章句』) 「格物」「致知」「誠意」の説明が一文づつされている。そして「格物」「致知」「誠意」「正心」「修身」と「斉家」「治国」「平天下」との分かれ目が説明されている。「格物」「致知」「誠意」「正心」「修身」は「明明徳」(明徳の明らかにする)という自分自身の研究、求道的なことらしい。「斉家」「治国」「平天下」は「新民」(民を新たにする)という啓蒙的なことらしい。「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国」「平天下」はまとめて説明され、「止まる所を得る」という思想の目的地のようなものが提示される。ただ、それは解釈であって何故その過程かは規範とされ、疑う余地の無い物とされている。「格物」「致知」「意既」「誠意」の説明もまた一文のみで一直線の形容詞が足されただけだ。 朱子以降も中国の科挙に合格した士大夫の間で八条目は様々な解釈がされていく。そもそも最初のテクストが曖昧なので様々な解釈が行われて当然である。その中で「身を修めてしかる後に家を斉うれば、即ち明徳は斉家の後に在るも可なり」(呂祖謙(1137-1181)『東莱別集』巻一)、「格物の格は、正に是れ「通徹して間なし」の意なり。」(羅欽順(1465-1547))、「「物、格され知、至る」は、本を知るなり。誠意・正心・修身は、本を立つるなり。本末一貫す。是の故に人を愛し、人を治め、人を礼するは、格物なり。」(王艮(1483-1541))、「明徳の字は、是れ八条目の主なり。格物・致知とは此の明徳を明らかにするを知るなり。誠意とは、此の明徳を明らかにする実なり。正心・修身とは此の明徳を心身に明らかにするなり。斉家・治国とは、此の明徳を家国に明らかにするなり。」のようにより八条目の関係が具体化されて説明されるものもある。漢字は一字で一つのWORDを指すために、意味の容れ物として中国の知識人自体も中身を理解するのに苦労していたようだ。そしてそれぞれの思想の照明の中で容れ物は様々に照らされる。 1685年に中国に布教に行った宣教師フランソワ・ノエル(1651-1729)は『中華帝国の六古典』という儒教の書物のラテン語翻訳本を出した。その中の上記文の翻訳は以下のようになる。 すべての事物の本性と性質について、なにが真か偽か、何が高貴か醜悪かが究明され、正しく認識されると、精神は知の頂点に達する。精神が知の頂点に達したとき、意思は善に対する真実の愛と、悪にに対する真実の憎悪に確立される。意思が善に対する真実の愛と、悪に対する真実の憎悪に確立すると、心の正しさが獲得される。自分の心の真実の正しさが獲得されたら、自分のすべての習慣と生活を正しくおさめることができる。自分のすべての習慣と生活を正しくおさめることができたなら、自分の家すべてを立派に規律、平和、調和とによってととのえることができる。自分の家すべてを立派に規律、平和、調和によってととのえることができたならば、自分の国の全土を正しく統治することができる。自分の国の全土を正しく統治できたならば、その範例によって、全帝国を感動させ、徳へと誘い、まとめ上げ、安穏にすることができるのである。 ここにきてやっと極めて論理的な文章に出会う。各漢字の容れ物の中身が明示される。 ・「格物」:すべての事物の本性と性質。本書ではそれは明代の政治家、張居正(1525-1582)の『大学直解』からの引用としている。 ・「格物」:天下の事物の道理 中国においてもより具体的な解説は既にされていた。しかし、原文ではなくこちらを採用したのには、原文では翻訳で対応する語も無く、曖昧で漠然とした断定であったからだろう。それに中国側としても明代末期であれば西洋の論理的な思考も多分に入ってきたと思われる。 『宋学の西遷』は儒学、特に朱子学を中心とした科挙による文治中央集権体制を確立したとされる宋明理学が17世紀の宣教師により西洋にもたらされ、西洋理性の確立に少なからず無意識に影響を与えたとして、宣教師がラテン語翻訳した儒学の文章と、漢文書き下しの原文を比較する書物だ。そしてラテン語翻訳された儒学がドイツ啓蒙リーダーのクリスチャン・ヴォルフ(1679-1754)により、ヨーロッパ思想に影響を与えた過程をその著書『中国人の実践哲学に関する講演』から検証している。私はその『宋学の西遷』を読む中で西洋思想との比較を通して儒学を中心に東洋思想の位置付けを見ていきたい。 |