HP管理人 こうちゃんの部屋


Vol.3【骨折り日記】

管理人が気ままに作るページです。今回も山とは関係ありません・・・。スイマセン。

1999年2月にスキーで骨折し、5月のGWまでの3ヶ月間、一体こうちゃんはおとなしく何をしていたのか??の謎を解く、あまりにもつまらない当時の日記です。
毎週毎週スキーや山に出かけていた自分にとって、遊びに行けないのは凄くつらいことでしたが、ただ歩いたり、走ったりできることが如何に幸せなことなのかを身にしみて感じました。

以下、お暇つぶしにどうぞ。

         

2月18日(木)

イタリアスキーツアーを終え、関空着。
現地で病院に行かなかったので、帰宅後、近所の整形外科の某K医院へ。恥ずかしいが患部を暴露し、レントゲンを撮ってもらう。その結果、「顕著な骨折は見られないが、症状からいって写真には写らない程度のひびが入っている。でも放っとくしかない。」先生は写真を撮る際、私がちょっと動いたか何かで、ぶれてはっきり分からないとのたまわれるが、写真には骨が明らかに横ズレしている部分が写っていた。でもお医者様が骨折じゃないって言わはるし、これって元からこういう骨なんかなー。(と、勝手に解釈した。)
おけつの骨の故障は、柔道選手なんかに多いらしい。しばらく運動はだめと忠告され、帰り道に悔し涙

事故当時の様子を思い出してみる。
だだっ広いゲレンデ。ストックを意図的につかず、後ろに回して小回りをしていた。コンタクトを着用している時は、サングラスをしていても風が目にあたって涙が出てくる。目が潤んで前が見にくくなっていた。地面に露出していた岩には全く気付かなかった。スピードを出したまま、岩に乗り上げた。私自身は覚えていないが、目撃者によるとその後一回転して落ちたらしい。とにかく、転けてコースアウトした斜面を落ちて行き、止まれ止まれ…と思ったことは覚えている。…止まった。ふうう。しばらく動けなかったが、おそるおそる手を動かす。脚も動いた。…良かった…。起きあがろうとすると、立ちくらみがする。しばらく落ち着くまで寝ころんでいた。後で起きあがり回りを見て驚く。雪不足のためか、そこら中岩が露出している。手足が折れても頭かち割ってもおかしくないくらい。無事であったことに神に感謝。

仲間のいるところまで戻ろうと立とうとするが、ひどい立ちくらみと脱力感で一人で歩くことができず、肩を借りてコースへ戻る。スキー板はエッジが剥がれてしまっており、もう使えない。仲間には申し訳なかったが、早めに下山してもらうことになった。

気分が悪いので、ホテルに戻って夕食の時間まで横になる。悪寒がひどく、お尻が痛い。その日はコルチナで過ごす最後の夜だったので、何としても晩餐には出たい。少し遅れてテーブルについたが、ほどなくしんどくなってきて、申し訳ないけど、と部屋に戻ろうとすると立ちくらみで倒れそうになった。廊下で一休みしていると、ホテルの人が大丈夫か聞いてくれた。(本当は酔っぱらいだと思ったらしい。)事情を説明して、打撲がひどいから気分がすぐれないのだと言うと、ホテルに医者がいるから後で部屋に呼んであげるという。しかも要らないというのに車椅子まで持ってきた。せっかくだから好意に甘えて車椅子で部屋に戻ってベッドで寝ていた。
しばらくすると…。
「急病人はどこじゃ?」部屋のドアがバンっと開いて、オレンジ色のつなぎを着たレスキュー隊男女2人組が突然入ってきた。「???(ひょっとして私のことか)」おいちょっと待て。誰が救急車呼んだんや。ホテルのあほ〜!!明朝ベニスへ旅立つというのに、今から病院なんか行くわけにはいかない。スキー場で転んで、気分が悪くて痛いけど、大丈夫だと必死に説明。女性の方は看護婦らしくて、しきりに病院行き勧める。嫌だ嫌だと言い張り、ほんじゃ、血圧だけ測らせてというので測るのと、かなり低かったらしく、アンタは死にかけているから病院に行こうという。アホか、私は元から血圧が低いんじゃ、大丈夫だからと再度必死に説明。看護婦さんは、そんじゃ今日は帰るけど、明朝状況が変わらないようならもう一度呼んで、とやっと出ていってくれた。
翌朝、気分はよくなっていた。お尻がめっちゃ痛いけど、まあ何とかなるだろ。と、無事コルチナを後にしたのであった。


2月19日(金)

久々に出勤したが、痛みがひどく仕事にならない。夕方まで我慢し、念のためラグビー部の先輩が教えてくれた某K村整形外科に行く。再びレントゲンを撮ってもらった結果、「第五仙骨骨折」と診断される。(仙骨って尾てい骨のことです。要はお尻の骨を折りました。)先生いわく、「ばっきり折れていますねー。こんな折れ方は非常に珍しいですよー。金槌かなんかで思いっきり横からぶんなぐらんと、こんなきれいに折れません。これは痛かったでしょうねしかも折れた下部の骨が体の内部に入ってしまっているので、うーん、ほっとくか、治すか…治すとしても、うーん紹介状を書くので、市民病院の整形外科へ行ってください。」「先生、あの、治るんですかね」「大丈夫だと思いますがね、とにかく市民病院の先生と相談してください。」
昨日の医者は何だったんだ?何でこんなはっきりした骨折がわからんねん??やっぱりあの横ズレは骨折やないかい。どないしてくれんねん!

被害箇所は、ちょうどお尻の割れ目のはじまる所。確かに、事故当時ぶ厚いスキーズボンを履いていたにも関わらず、ここの皮がぺろっと剥けて出血していた。
まーでも、こんなにぱっきり折れていたっちゅうのに、よく次の日ベニスの街をあんだけぶらぶら歩き回れたもんだ。ちょうどイタリア全土がカーニバルの時期で、しかもあの日はツアー最終日、街中に仮装した人があふれ、1日中お祭り騒ぎだった。「オペラ座の怪人」の仮面舞踏会のダンサーみたいな人がうじゃうじゃいてさ。このアタシがホテルで寝ていられる訳ないっしょ!

2月22日(月)

紹介状を握り締め、大津市民病院へ。母親の友人が、昔同じようにスキーで仙骨骨折し、整形後下半身を固定するために数ヶ月ゆりかごのようなギプスをはめっぱなしだったそうで、そりゃもう大変だったそうな。うげげ、ミイラにはなりたくないぜ。

診断の結果、内部に入った骨も特に影響はないらしく、ほっといても勝手に治るそうだ。1.52カ月で痛みがなくなり、骨がくっつくらしい。入院なんてことにならなかったので、一安心したものの、この先最低2ヵ月もおとなしくしないといけない。
今シーズンは雪も豊富でこれからが楽しい楽しい山スキーの季節だったのに
悔しい。

2月23日(火)

会社では1日中座っての業務なので、こたえる。午後からかなり痛みがひどくなり、更衣室でしばらく横になった。

だいたいやね、普通骨折っていうたらさ、ギプスはめるとか、松葉杖つくとか、三角巾で手をつるとかしてさ、痛々しいやん。小生、ほったらかしで見ためには健常者だし、場所が場所だけに笑い者にされるし、ろくなことあらへん。ほんま痛いっちゅうねん!

眠る時は仰向けになることができない。でも、どの方向に体を向けても痛い。夜中に痛みがひどくなり熟睡できず。

2月24日(水)

再び市民病院の診断結果を持って某K村整形外科へ。先生いわく「二人の医師がほっておいても大丈夫と判断したのだから、ほっときましょう。私一人でほっとくことに決めるのははっきり言いまして不安でした。手術をする、しないはあなたの一生に関わることなので、将来ほっておいたことによって何か不都合なことがあった場合、私は責任を負えません。かといって、ここを処置するのは、全身麻酔が必要で、うちではできないので、市民病院に判断を仰ぎました。」正直な先生ですな。
痛み止めの薬をのんでいるが、全然効かない。絶えず鈍痛がある。
「先生、市民病院でもらった痛み止め、全然効かないんですけど。」「そんなん、骨にひびがいっただけでもすごく痛がらはるのに、折れてたら痛いのは当然です。痛みをなくすような薬はありません。」「はあ」毎日寝不足なんですが。

3月2日(火)
普通の早さで歩けるようになった。

3月4日(木)
痛みが随分ひいてきた。どちらかというと、骨折部分より右尻の打ち身の方が痛
い。少しでも早歩きしようとすると、ここがちぎれそうに痛い。

3月5日(金)
自転車がこげるようになった。歩くよりも自転車に乗る方が楽だ。

3月7日(日)
仰向けになって長時間眠れるようになる。
座っている時の圧迫感はとれず。

3月9日(火)
市民病院へ。「もうしばらくおとなしくしておくように。」
さんざん待たせてそれだけかいな。私って別に治療しているわけでもないし、整形している訳でもなく、医者にとったらつまらない患者かも。

3月13日(土)
骨折してからほぼ一ヶ月がたった。自宅近くの音羽山へ。音羽山は東海道自然歩道にあるハイキングコースにもなっている山だ。標高は低いが、自宅から歩いてアプローチできる。
登りはゆっくり歩いたので大丈夫だったが、下りがおしりにひびく。

まだ全く走れない。

3月20日(土)
大津シネマクラブの鑑賞券をもらったので、雨の中自転車で膳所公民館の近くま走る。駐輪場手前でスリップし、転倒。自分の鈍臭さに嫌気がさす。ジーパンがちょっと破れたが、幸いお尻は無事だった。油断禁物、KYKY!ゼロ災で行こう、ヨシ!

夜、横になってずっと眠れるようになった。

3月23日(火)
朝の散歩コースを少し長くした。聖徳太子堂から国分郵便局へ。

3月28日(日)
再び音羽山へ。歩くのは支障なく、下りも2週間前と比べると随分楽になった。
小走りが少しだけできるようになった。
夜、寝ている間の痛みがない。

3月29日(月)
毎朝の散歩のコースを、徒歩から小走りに変える。ゆっくりなら何とか走れる。

4月2日(金)
市民病院検診日。骨折箇所の周りに新しい骨が形成されているそうだ。私もレントゲン写真を見せてもらったが、ぼんやりと白いもやが写っているだけで、どこが新しい骨なのかさっぱり分からない。先生にスキーをやってもいいかやんわり聞いてみた。「!?スキー!?そんなん、だめだめ!またこけたらどうすんのー!!今年はあかんて。」来週末にひょっとしたら行けるかも、と密かに期待してたんだけど、もう完全にあきらめた。

4月4日(日)
いつものハイキングコースを歩く。平地は走ってももう大丈夫だ。

4月5日(月)
朝の散歩コースが骨折前と同じコースに完全復帰した。
痛みも随分なくなってきた。

4月9日(金)
2ヵ月ぶりにパンプへ行く。ボルダーは今までのように落ちるわけにはいかないので、超簡単なところしか行けない。リードも墜落したときの衝撃が怖いので、トップロープでこわごわと登る。10bまで登った後、dを行こうとしたが、全く歯がたたず。

4月10日(土)
大津シネマクラブ例会で『変面』を観る。変面の大道芸人のおじいちゃんと、男の子の弟子として買われた少女をめぐる哀と愛の物語。めちゃ泣けます。お勧めの逸品!

4月11日(日)
いつものハイキングコースへ。何か、こればっかり。だって暇なんだもん。
もうすぐ2ヶ月だ。GWには復活したい。

4月25日(日)
武奈ヶ岳へ一人で15kgのぼっかトレーニングへ行った。久々の山と荷物。調子はまあまあ、特に痛くもならない。
これでGWは穂高に行けるぞ!

         

この後、GWに前穂北尾根に無事行くことができました。3・4のコルで何と5時間近くも順番待ちをして、岳沢に降りたのが23時半という、今思えばアホみたいな山行でしたが、当時の私は、復活できたこと、山に行けたことがただそれだけで無性に嬉しかった。その時の気持ちをずっと忘れずにいるためにも、当時のメモ書きをここに載せておきます。


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