ネパール再会の旅---「Last Pradise」---by Y.Hiraoka


2001年12月30日夜、カトマンズ到着。
6年前の卒業旅行で初めて訪れた異国の地。
多くの人と知り合い、日本に戻りたくないとすら思った日々。再びかの地に戻ってくる事を夢見続けたこの6年間。そして皮肉な事にテロの影響で手に入れる事ができたエアチケット−−
電気も電話も無い村に連絡する術もなく、果たして彼らに会うことができるのだろうか−−−
期待と緊張の入り交じるなか、私は今、漸く夢の扉をノックすることができるのだ。

 そんな感動とは裏腹に、本旅行記は喜劇の幕開けとなる。

 31日、サユリと私はサリーを作るため、タメルという街の老舗を物色する。 黒目がちな瞳にツンと高い鼻、か細いネパリ女性がサリーを身にまとう姿は芸術的に美しい。よし、我々もサリーを着てカトマンズの街を練り歩くのじゃ! 店のおじさん連中と写真撮りまくり(だって撮ってくれって言うんやもん)ーの、ビデオ(何か知らんけど「見ろ」って言うんやもん)見ーの、大騒ぎしながら散々品荒らしをした上、私が選んだのは裾に刺繍が施された、鮮やかな藤色のシルク。いざ、変身!!

 ところが・・・。

 頭ボサボサ、足もとは泥だらけのスニーカー、「いかにも日本人!」てな腫れぼったい目にまん丸い顔、体型も悪すぎ。いやーこいつぁブザマだ。事実、一歩店から出るとそこはもう爆笑の嵐!トボケた日本人二人がワケも分からず体を布でグルグル巻きにして、いかにも「今作ってきましたー!」てな感じで脱いだ服を入れたドデカ袋を両手に、背中丸めてそそくさと歩く(寒かったから)姿は確かに笑えたと思う。「何じゃありゃ??」と大きな目をさらに大きくじろじろ見る人、ゲラゲラ笑う人、そして「見なさんな!」といさめる母親「ひいい〜恥ずかしい!!」「恥ずかしすぎるー!!」カトマンズの夜市にお笑いを提供しながらホテル到着。

 ホテルでは年越しパーティが催されており、恥ずかしついでにとそのまま参加する。

 このホテルは従業員もお客もトンデモなくテンションの高いヘンな人たちばっかりで、踊るわ歌うわの大狂乱であった。「It's  Nepalidance!」「嘘付けー!腰振っとるやんか!!」「うぎゃー舌出してる〜、ヘンタイっぽいヨ〜」「What means HENTAI?」「HENTAI means gentlemen ?」「違うー!!」「話しの流れで分かるでしょー!!」ああ、ネパールの青年達に大いなる誤解を与えてしまった。でも楽しいからいっか。調子に乗って私もネパールの有名なフォークソングを1曲披露、皆で大合唱の大騒ぎで2001年は幕を閉じる。
 2002年1月1日、チトワンへ移動。ガタピシのおんぼろバスで約7時間。

 途中の道は「こんな所に人って住めるのか」と我が目を疑う程の山の中、見る物全てに興味津々だ。あれは幼稚園だろう、小さい子が集団で体操してたりして、成人の識字率わずか34%(女性に至っては18%だとか。)のこの国で、何となく嬉しくなってしまう光景だ。

 両側を深い渓谷に阻まれた道、その遙か彼方に目をやると信じられない高さでそびえ立つヒマラヤの山塊。天を突き破るかの迫力に、その高きがゆえに青白く輝く雪。きっとそれは神々の住処へと通じる唯一の道しるべなのだろう・・・と、普段宗教的に無頓着な我々でさえ、そう感じずにはいられなかった。

 さて、チトワン到着。公の交通手段がなく、個人では来にくいため、今回はバスとホテルをパックで申し込んでいる。本当は前に泊まったホテルに泊まりたかったのだが、連絡先も、どこにあるかも分からないので仕方あるまい。
 ここでの楽しみはジャングル散策や象の飼育センター等々、色々あるのだが、私は全然落ち着けなかった。「勢いに任せてここまで来たけれど・・・」
 分かっているのはホテルの名前と、空き箱の裏に殴り書きした彼らの名前。6年前の別れの朝、慌てて書いて貰った唯一の手がかり。
 昼食を終え、ホテルの人に尋ねると、目的のホテル「ヒルミテージ」は意外にも700m先だ、という。私とサユリは 私とサユリは地図を見ながらヒルミテージの看板を発見、畏る畏る中に入り、受付の男性に例の空き箱を差し出して尋ねた。

「I stayed your hotel 6 years ago, Do they work here now ?」「・・I wrote this .」
「・・ええーっ!Are you Krishna? Do you remember me ? 」「n・・・Yuko and Kayo(当時の同行者)」「・・・・!!!」

 結局、7人の内3人がまだヒルミテージで働いており、余所に移った2人も会いに来てくれた為5人まで会うことが出来た。年間500人もの宿泊客が有るそうで、無理はないけど一瞬私を忘れている人も中には居たが、少し話すと驚く程細かい会話の内容を覚えているのにはビックリした。蚊に刺されて○○がいじけたこと、皆で子象を見に行ったこと、こんなお菓子を食べた、あんな歌を歌った等々・・・。そしてKayoの結婚式の写真を嬉しそうに眺めている。

 Last Paradise−−−人はこの国をそう呼ぶという。
 ここでは皆日の出、日の入りで生活している。犬も山羊も鶏も水牛も、全部放し飼いなのに何故誰も争わないんだろう。ホテルの一歩裏手には土で作った粗末な家に住む人々の暮らし。きっと海外旅行など望むことすら無いだろう。 どんなに溶け込みたいと願っても、所詮我々はrichな旅行者に過ぎないのだ。それなのにただの一度も冷たい視線を向けられたことがないのはなぜ?「ナマステ」と挨拶すると100%笑顔で返ってくるのはなぜ?

 サユリと二人、のんびり川面に沈み行く夕日を眺めながら「本当の幸せって何やろう・・・」と陳腐な台詞が口をつく。「もう何も要らんなー、何も欲しくない。」「普段一体なにしてたんやろなー・・」 目の前の川には小舟が流れ、ほとりでは子供と子山羊が遊んでいる。
−−最後の楽園−−人はこの国をそう呼ぶという。

 散々遊び、楽しいこといっぱいであっと言う間に2日が過ぎた。もう行かねばなるまい。ホテルの車で遠く離れたバス停まで送って貰うと、そこにヒルミテージの二人が見送りに来ていたのにはサユリも感動していた。

 次に移ったポカラという街でも前回泊まったホテルに宿泊、再会を果たす。ここはマチャプチャレという山がよく見える美しい街なのであるが、この頃から私とサユリの腹に芳しくない症状が現れ始め、ほとんど部屋にこもりきりであった。

 カトマンズに戻り、元居たホテルに顔を出すと相変わらずの狂乱歓待ぶりであった。「Hi〜、This is no gentleman !!」・・・「ヘンタイ」の意味を知ったと見た。スミマセン・・・。
 我々の体調が良くなかった事と、他へ行くよりホテルの人と遊んでる方が面白かったので、出国間際までずっとホテルにいた。前回トレッキングで一緒だったガイドの人もホテルを尋ねて来てくれたので、結局大方の目標は果たせたのであった。

 何だか私の「懐かしの旅」になってしまったが、サユリが明るく同行してくれた事も大きな要素であったし、
一時もイヤな思いをする事のない1週間であった。

 私の心は今、満たされている。あったかいもの、幸せな気持ちでいっぱいなのだ−−−。

(記/画:Yuko Hiraoka)                                   左:カレーなるサリー姿のHiraoka嬢

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