日  程 2003年9月6日〜8日
地  域 北アルプス 槍ヶ岳北鎌尾根 縦走
メンバー 河野・平岡(記録)

 7月、8月の計画が雨でブッ潰され、ようやくの9月5日、急行ちくまに乗り込んだ。目指すは北鎌尾根、河野&平岡の黄金ペア再び!である。

  このコースはいったん合戦尾根を登り、大天井の辺りから貧乏沢を下り、北鎌沢を登り返して北鎌尾根に取り付くという、いわば一山越してようやく目的の尾根、というバリエーションルートである。
  果たしてそれは、生命の危険をも感じる壮絶なる登頂であった。 何故か?体力と計画の間に大きな隔たりがあったから!!というところであろうか・・・。
 
  6日、中房温泉を立つも、なんだか怪しい空模様。最初のうちは「三度目の正直!」「いやいや二度あることは三度ある。」などと言っていたが、合戦尾根第一ベンチを過ぎるあたりから、小雨がパラつき、やがてシャレにならない本降りとなる。向こう一週間、全国一斉大快晴じゃなかったのか。
  「もーひらぱーはぁ〜」 我が岳士会では欠席裁判(という事は私が参加してないときばかりじゃないか。)により、今年の雨の多さは私=雨女のせいにされていたらしく、河野陽子は♪アメアメフレフレひらぱぁがぁ〜♪ と、何だか楽しそう。 しかし一向弱まらぬ雨に、だんだん本気で腹をたて「ちょっとひらぱー、どうしてくれんのヨ!」 はじめは「ンな阿呆な。」と流していた私も、最後の方は「河ちゃんゴメン。」(何謝ってんだ、アタシ?)マインドコントロールとは恐ろしい。

  午後3:00。今宵の宿、大天井ヒュッテ到着。 う、コースタイムを大幅に上回っているではないか。(またかよ^^; *蝶が岳敗退記読んでネ*)しかもワタクシちょっと風邪気味  ちょー、こんなんで明日行けるんやろか? 
 
 7日。待ってましたのドピーカン、5:00出発。ヒュッテより20分程の下降点より一般縦走路を逸れ、貧乏沢へ。道とはいえないまでも、何となしについてる踏み跡を飛ばす、飛ばす。ダハハハ、快調、快調、行けー、ガンガン下れー!!

  本日の行程は下って登って北鎌尾根経由の槍ヶ岳登頂、途中に小屋がないのでビバークイヤなら行くっきゃない、標準タイムは下り2時間、登り2時間、キタカマ6時間の計10時間。でも、こんだけ飛ばせりゃ夕方4:00には肩の小屋に着けるだろ〜♪と甘い期待。

  天上沢出会い少し手前で休憩中、後ろから一人の男性が現れる。お互い気を付けて行きましょうネ、と軽く挨拶を交わす。彼が、この日北鎌で見た唯一の人間であった。(貧乏沢では見たよ。ガイドらしきおじさんとロープにつながれたおばさんを。どっからどう来てあんな時間にあそこを登っていたのダロウ??)
  さて天上沢到着。 「え?」 あんだけ飛ばして2時間近くかかってんの?「4:00には肩の小屋」は甘い期待などではなく、明らかな誤算なのでは・・・エアリアマップの2時間とはワケが違うのだ! ひゅぅぅぅ〜(木枯らしの効果音)。

 気を引き締めて今度は北鎌沢を登りにかかる。事前研究により「最初の分岐は右!」登りも結構快調だ。貧乏沢の下り同様、なんとなくの足跡、(あれ?)と思う所には必ず巻き道や迂回路があり、「おかしいと思ったらそれはほぼ間違いだ」というネットの記録を実感する。
小一時間程登ったところで再び分岐にさしかかる。「次の分岐も右!」−−−これが間違いであった−−−。(後から見たら手持ちの資料にちゃんと「右へ行くのはずっと上での事、下方での右俣迷い込み注意」とあったのに、あー全く・・・。)

  ずんずん進み、沢が細くなったところでスリング発見。後から思えば、それはきっと懸垂に使用したのだろう、そのスリングを使ってかぶり気味の岩を乗っ越し少したった頃、河野陽子がつぶやいた。「・・・なんかおかしない?」
ヤな事言うなよ、と言い切れない懸念が、実は私の中にもあった。さっきと比べて踏み跡が細いのでは? そう感じつつも所々のペンキマークやゴミのあと、スニーカーにはチョットびびったが、人が通った形跡がいっぱいあって早めの決断を鈍らせてしまう、ここは魔の谷!!(単に自分が間違っただけ)明らかにおかしいと判断した時、引き返すのも容易でない草付きを相当詰めた後であった。
「間違ってるのは間違いないが(ヘンな日本語)、誰かが行ったという事は・・・」うっすら残る足跡が、これまた引き返す判断を鈍らせる。取りあえず踏み跡をたどると、行き着く先は崖っぷちであった。 黄金コンビ、ピーンチ!

 「・・・どうしよう。」茫然自失っての?ハッキリ言って思考回路停止してマシタ。枯れ木にもたれ、二人虚ろにたたずんでいると、ゴソ、ゴソ。さっきの兄ちゃんであった。 「でっしょ〜、間違いますよね〜、コレ!!」 (何、正当化してんだ、アンタたち。)まぁ相手も迷い混んでいるのだが、こういう場面で人に出会うのは何と心強い事か。
右手に強行突破した人の形跡を見つけた。しかしそこはヘタすりゃ谷底まっしぐら、の急勾配。 取りあえず、兄ちゃんが進む。「こっちみたいですよォー!」の声を聞いてから、続く我々。←ズルイ。またすぐ足跡がとぎれる。そんな事を繰り返しとうとう行き詰まってしまった。 河野陽子氏の顔にハッキリとした不満と不安が表れる。引き返すべきだ、と思ってるハズだ。尋ねてみる。「ひらぱはどうしたい?」
  私は引き返したくなかった。もうかなり来てしまっているし、戻る道のリスクも相当だ。時間と体力のロスは、多少無謀でも強行突破したであろう誰かの足跡で補いたかった。 「んじゃ、行こう!」河野氏の同意を得る。「でももし行き詰まったってアタシが行こうてゆったから、ってのはナシよ★」などと自己保身も忘れず加えるトコロはサラリーマンのいやらしさか。
ダメ元でハイマツの中を詰めてみた。痩せた尾根の両側に広がる枯れたハイマツの根っこ。ふと見ると、自分が踏んでいるのはハイマツだけだったりして(つまり尾根からはみ出してるワケね)コワイっちゅーの。もう少し、もう少し・・・「あったー!!!」 かすかな踏み跡が、しかし間違いなく北鎌の稜線へと続いている。 残る二人を呼び寄せ、雑木林をかき分け踏みしだき、上を目指す。30分程度たった頃、兄ちゃんが叫んだ。「出た!!」 
目的地である北鎌沢のコル一つ手前のピーク(P7)であった。

  「うわー、めっちゃ歩きやすい〜、さっきの道とエライ違い〜」さっきの、道ちゃうんですケド・・・(^^;) 
  肉体的にも精神的にもドっと疲れたし、ピークも一つ余分に越さなきゃならない。時間はすでに11:00、ここからさきは6時間、ガンバ!! 

  さて、いよいよの北鎌尾根、感じとしては西穂〜槍よりちょっと難しい、かな?しかしはっきり「ここがルート」と言い切れない部分が余りにも多く、オマケにでたらめなペンキマークがより危険な方、遠い方へといざなう。誤ったマークの大半は大天井ヒュッテの方が苦心して消去して下さったのだが、それでも全然ルートが見つからない時など、◎印が見えればやっぱりそちらに行ってしまうものである。 
  独標を巻いた少し先、再び進退窮まった。巻き道も見あたらず、基本に戻って稜線を行こうとするも、目の前にはだかる壁。こんなのがルートのワケない、と取りあえず千丈川側をトラバース。すると、右下方に心もとないかすかな足跡と、明らかに削り取られたペンキマーク。
  「ここや。思いっきり下って遠回りさせられるルート!」しかし、他にはないのである、先へ通じる道が。 「私らこっちから行ってみます〜ゥ!!」 稜線ルートを何とか探ろうとあがく兄ちゃんに誘いをかけてみるが、彼はこちらには来なかった。彼は真の単独行者なのだ。エライ!(←単に我々などアテにできなかっただけ)とは言うものの、最初から間違ってると分かっているルートに行っていいのだろうか?躊躇していると、頭上彼方より「こっちですー、ありました、道!!」 またしても兄ちゃんに助けられる。

 その後も同じ様な状況で、兄ちゃんを抜きつ抜かれつ、アップダウンを繰り返す。そうこうしているうち、本日の歩行時間が8時間を越えた。 ヤバ・・・、私は元々8時間程度しか行動できないのである。 あれよあれよとパワーダウン。「どしたん、ひらぱー!」「河ちゃん、ゴメン・・・」 ゴメンはいいから歩けー!!。「ひらぱーガンバレ!」河ちゃんの声に励まされつつも、足取りは非常に重い。

日没前に登頂できるか怪しい状況に陥る。場合によってはビバークか。 だんだん会話も途絶えがちになる。 時折「ガンバレ!」と言ってくれる河ちゃんも相当疲労しているようだ。 ふと横を見ると、可憐な白い花。
「河ちゃん・・・(ハァハァ)。」「ん・・・(ハァハァ)?」「・・・コレ・・・イワツメクサ・・・(ハァハァ)・・・・・どうでもいいか・・・」「うん・・・・どうでもいい・・・(ハァハァ)」私は高山植物を愛でながら登ろうと、花カードを持って来ていた。 河ちゃんに「なんか分かる花あったら教えて!」と言われていたのだけれど、こんな状況で何が花じゃい、とずっと我慢してたんだヨ〜。なのに一番どうでもいい時にゆってしまった、まー何てTPOの分からないワタクシ。

 5:30。マズイ。このままじゃ日が暮れちまう。ガスもでてきた。心身ともに疲れ果て、二人の脳裏に不安がかすり始めた頃、流れる雲より現れたるは荘厳な黒い山塊。 神秘なまでに美しい、槍の頂であった。

 いよいよ穂先に取り付くも、至る所に付けられた◎印に惑わされ、右へ左へよじ登る。本ルート上、技術的に一番困難だと言われるチムニーは右から巻いた。巻いたつもりであったが、次に現れたのは3m程度の乗っ越。足下は切れ落ちているし、岩肌はガスで湿っている。握力は微弱だし、もうほとんど惰性で足が動いてるようなモノ。もし、さっきが皆の言うチムニーじゃなかったら? 今目の前の壁を登った、そのあとに例のチムニーが現れたら? 
この乗っ越を再び下りるのは、私には不可能だった。

「コワイよーッッ!!」
いままでさんざん、別に怖くないのにコワイコワイ言いながら歩いてたのでこーのよーこは(うるさいなァもう)と思っていたかも知れない。でもこの時はホントに怖かったのだ。まじで。行くも地獄帰るも地獄、なら行くしかない。ええい、ままよ!!乗っ越しをガバッと登ると−−−祠であった。 と、同時に完全に日が沈んだ。時6:30。

「ひらぱぁ!!」「河ちゃん!!」
助かった喜びから不覚にも涙がこぼれた。河ちゃんに抱きつきたかったが、また河ちゃんも抱きついてくるかに思えた(誤解ならすんません)汗と霧雨でぐしゃぐしゃだったので、握手で我慢した。

あとは慎重に下るのみ。ヘッドランプを頼りにはしごと鎖をたどる。
肩の小屋到着7:00。先に到着していたお兄さんが心配して待っていてくれた。遅い夕食を取り、深い、深い眠りに就いた。

  翌朝起きてみると、いままでになく、体中が筋肉痛で歩行が困難であった。「いてーっ!!」「いてて、いてて!!」 
生憎の霧雨で槍沢の景観はあまりよくなかったが、そんなの吹っ飛ばすくらい私の心は晴れやかだった。いっぱいいっぱいの山行だったけど、河ちゃんの強靱な体力と精神力に助けられ、完登できた事、ほんとに有り難うございました。
(御礼にK野Y子さんが、「もぅ自然破壊でも何でもエエから道路開通して車とおして欲しいわ!!」などと暴言を吐いたことは黙っとこう。)
  
=山行情報=

* 交通手段  

○京都−塩尻:急行ちくま (ちくまは9月いっぱいで定期運行が廃止されます。長年お疲れさまでした!!(涙。)
○塩尻−穂高:特急ムーンライト信州 (接続が良く便利だが、指定券のみの発売なので、早めの予約をお勧め)
○穂高−中房温泉:タクシー (バス、タクシーともに¥1,610/1人)

* 日程について 

小屋泊なら一日目:大天井ヒュッテ、二日目:肩の小屋、意外に方法はないだろう。テントだったら初日に北鎌沢辺りで幕営か。いずれにせよ、二日目は抜ける方が賢明。前、二回の計画ではテント泊であったが、これなら確実に途中でもう一泊してたな、きっと。

*ルートについて 

岩稜のアップダウンと、ぼろぼろ、ガレガレのトラバースの繰返しである。HPには各難所が写真入りで公開されていたり、情報は満載だが、難所と感じるかどうかは個人の力量によるし、よほど顕著な場所以外を、それと特定するのは意外と難しい。また、道も必ずしもソコしかないというのではないので、余り情報にとらわれすぎず、行けそうな箇所を探しつつ、先へ進む方がよい。また、それが本ルートの醍醐味だった、と私は思う。
とは言うものの、間違ったペンキマークが散乱しているルートでも あり、(http://www.mcci.or.jp/www/otenjyo/me030718-01)そういう情報なしに取り付くとエライ目に逢う。まぁ、誰かが行けたのなら死ぬことは無いだろうが。技術的には、岩・沢登りをする人ならばさほどビビる必要もないと思うが、ロープなし(我々は8mm×30mを持参。使用せず)で行くなら特に、ここを登って、もし間違いだったら下降できるか、と念頭に登はんする必要がある。そういう意味で、ずっと気の抜けないルートであった。

<<Home <<List