日  程 2000年9月15日〜17日
地  域 山形県・黒伏山南壁 中央ルンゼ
メンバー 河野・梁瀬(記録)

OGKU浪漫紀行「陸奥の大岩壁に男のロマンを求めて」

 「黒伏山南壁!?、なんでわざわざそんなところに!。一体そこに何があるの?」
9月三連休の行先をしんのすけ(西村アルパインマスター)に告げたこうのすけは、こう言われたそうだ。彼女がなんと答えたかは知らないが、もし、俺がその場にいたなら、ニヤリと笑ってこう答えていたろう。「ロマンですよ、ロマン。男のロマンを探しに行くんですよ。」
 ロマン。男はこれを求めて北に向かう。決して南国、常夏の島に向かったりはしない。金属バットで母親を殴り殺した野球少年が、単身チャリンコと駆って向かったのは南ではなく北だった。それは、北の大地にロマンがあると信じたからにほかならない(ホントかよ!?)。そして、松尾芭蕉、宮沢賢治、間宮林蔵、彼らもまた、北の大地にロマンを信じた輩達だ(!?)。
 という訳で、OGKUチーム石山の俺とこうのすけは、片や男のロマンを求め、片や陸奥の温泉を求め(?)、一路、東北山形を目指したのであった。

<9月15日>
 快晴の下、ミョージ(明星山P6南壁)にしときゃよかったかな、と、ちょっと後悔しつつ、北陸道を終点の新潟目指してひた走る。新潟からは下道を走り、夕方、ついに陸奥山形入りした。適当なラーメン屋で夕食を済ませ、夜9時頃、黒伏山のふもとに到着し、スキー場の駐車場にテントを張って就寝。

<9月16日>
 4時に起床し、朝食、準備を済ませ、誰の所為だか例によって怪しげな空模様の中、南壁に向かって出発。ミソジ遠藤さんのACMLでのアドバイスにより、さほど迷うことなく1時間ほどで取付に到着した。
 天気は曇り。ただ、風が強く、風雲急を告げまくってる感じ。降ってくる前に登ってしまわなくては。スピード重視のため、エイドのある奇数ピッチ目を老猾なアルパインクライマー(俺)が担当し、フリー主体の偶数ピッチをOGKU屈指のハードフリークライマー(こうのすけ)が担当するということで、7時半、中央ルンゼ登攀開始。

・1P目(V+)俺
 いつもの如く最初だけは、可能な限りフリーで、という崇高なる精神で取付くが、数週間前、大蛇との格闘(?)で傷めた左足が痛むのをいい訳に、いきなりA0が炸裂する。さらに、後続パーティが出現したため、あおられちゃかなわん、と、さらに掴みまくり、完全に歯止めが利かなくなる。

・2P目(III)こうのすけ
 容易なフェース。特記事項なし。

・3P目(A1)俺
 後続を意識して、猛スピードでアブミを掛け替える。フリー魂は何処へ?。こうのすけは、A0でさらにすごいスピードでフォローしてきた。ぬぬ、なかなかやるぜ。

・4P目(III)こうのすけ
 容易なスラブ。特記事項なし。

・5P目(III+)俺
 容易なスラブ。特記事項なし。

・6P目(IV+)こうのすけ
 いよいよ核心部に突入。ルンゼ右寄の垂壁を直上する。ホールド、スンタンス共に斜めに傾いており、やな感じ。しかし、急激に高度感のでる非常に登り応えのあるピッチ。登攀ラインの右側は、積木を積重ねたようになっていて、一個引っこ抜いたら壁全体がジェンガのように崩れ落ちそうになっていた。

・7P目(A1)俺
 A1となっているが、このトポ(日本の岩場)のA1には必ず、III〜IVのフリーが入る。ここもIV程度のフリーの後、A1と思われる箇所に到着。しかし、3回程の掛け替えで済みそうと見るや、ここにきてフリー魂が復活。レイバックからトポ通りのヒールフックを炸裂させるが、股関節が固くて後ろにひっくり返りそうだ。なんとかレッジに乗込むことに成功したが、今度は目前の壁が立っていて、またもやひっくり返りそう。困った時のガバ頼みで必死に探すが見当たらず、そのかわり、目の前で黒々としたボルトが「掴んじまえよ。楽になるぜ。」とその存在をアピールしていた。粘ったあげく、結局俺はフリークライマーにはなれなかった。ここで一句。
「アルパイン ボルト掴んで 何故悪い」

・8P目(V+)こうのすけ
 小垂壁を越え、ブッシュを少し登る。小垂壁の部分が、所謂、ワンムーブV+。されど、フォローなのにA0。さっき頑張り過ぎて左足がいてーんだよ、ブツブツ。

・9P目(A1)俺
 ファイナルピッチ。オールA0で行こうとするが、結局、2回程アブミを使った。支点は、よく利いていたが、全てにクリップ。こうすれば、登攀終了時にほとんどのギアがこうのすけのところに集中し、俺様は身も心も軽くなっているって寸法だ。俺って天才!。

 てなわけで、11時半登攀終了。所要4時間(標準タイム4〜5時間)。おー、速いではないか。まあ、あれだけ掴みまくったからなあ。結局、後続パーティは追いついてこず、2ピッチ程登っただけで降りちまったらしい。こんなことならじっくりとオールフリーで登るんだったぜ(ウソ)。
 あとは懸垂7回で取付きに戻る。取り付きには、この壁で命を落した仙台山岳会の中川直樹氏を偲ぶレリーフがはめ込まれており、こう書かれていた。

中川直樹ここにあり。
我が言葉は我なり。
我が行動は我なり。
我ここにあり。
登山の魅力は死を感じられること。
危険を伴わない登山はしたくない。
(中川直樹君の手記より)

カッコいい!。カッコよすぎる・・・。我、陸奥の地にて、アルパインクライマーの心意気を見たり!。きっと彼も男のロマンを求めた輩に違いない。

 下山後、こうのすけの買ってきたるるぶ山形に載ってた東北最大(級?)のナントカっていう温泉に行き、その後、これまたるるぶに載ってたナントカっていう蕎麦屋で夕食をとりつつ、翌日の行動を検討する。俺は帰りのことも考え、今日のうちに少しでも南下しておき、関東のどっかの岩場に行くことを主張したのだが、こうのすけは、折角買った「日本100岩場 北海道東北偏」を何としてでも活用したいもんだから、山寺のフリーエリア(黒伏から近い)を強固に主張してきた。まあ、山寺なんか一生行くかどうかわからんので、午前中だけでもやってみることにし、この日は、奥山寺キャンプ場(ただの空き地)にテントを張った。しかし、「日本100岩場」など買わんでも、山寺なら赤本にも載ってたのだが。

<9月17日>
 早朝、例によって熟睡できぬまま、シュラフの中でぼーっとしていると、突如フライをうつ雨音が。やはりきた。河野あるところ雨有り。河野いないところに雨雲湧かず。全く止む気配なく、結局1本も登らず撤収。
 折角だから、家路につく前に、本物の山寺(立石寺)に300円払って観光に行く。俺と同じく(?)陸奥にロマンを求めた俳人松尾芭蕉が「閑さや 岩に沁み入る 蝉の声」を詠んだ場所だ。ここには、強傾斜の凝灰岩の岩が無数にあり、寺なんかなかったら、鳳来湖に匹敵する高難度フリーエリアになっていたろう。また、危険なため修行僧以外立入り禁止の場所も有り、非常に興味を持ったが、登攀具を車に置いてきたのでやめておいた。
 こうして、我々の陸奥ロマン紀行は、終わりを告げた。で、そこにロマンはあった
のかって?。うーん、少なくともSAVE ON(山形のジモティックコンビニ。岐阜のタイムリーみたいなやつ)には売ってなかったな。
 帰りの車中にて。
こうのすけ「ところで、ロマンって何?。」
俺「えっ?。」
こうのすけ「だから、ロマンってどういう意味?」
俺「えーと・・・、栗・・、のことかな・・・。」
こうのすけ「・・・・・・。」

・黒伏山南壁中央ルンゼについて
 壁の上半分がほとんどブッシュに覆われた南壁において、唯一、稜線付近まで岩の露出しているルート。遠目からでもはっきり登攀ラインが見て取れる俺好みのルート。支点は非常に多く、かつ安定している。その気になれば、オールフリーもそれほど困難ではないかも。こうのすけは、アブミなんていらなかった、と豪語していた。
天気もなんとか持ちこたえ、後続パーティにあおられることもなく、静かなる陸奥クライミングであった。最後に一句。
「閑さや 岩に沁み入る “ビレー解除!”」(字余り。ついでに季語もなくなっちまったぜ。)

おしまい。


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