『ふたりの碁』(18)北斗杯(壱)
その日、ヒカルは大阪にいた。
「そうか。進藤くんは大阪が初めてなのか」
「うん。去年の夏休みに家族と神戸には行ったけど」
「……夏休みか。懐かしいね」
ヒカルと会話しているのは、柔和な顔をした青年だ。
「芦原さんは、大阪は何回目なの?」
「年に5回ぐらいは来るかな」
お好み焼き屋で食事を終えると、芦原がヒカルをもう一箇所案内すると言い出した。
「大阪棋院に行こう」
「え? 忘れ物でもしたの?」
「ちょっと知り合いに用があってね」
「だったら、午前中には会えば良かったじゃん?」
「……え!? 違う、違う。日本棋院の大阪総本部じゃなくて、『大阪棋院』に行くんだよ」
「何が違うの?」
「だから、大阪で独自に運営している大阪版『日本棋院』があるんだよ。日本棋院とは別な組織なんだ」
「えっ!? そんなのあるんだ?」
「そういうこと」
「へぇ。大阪棋院か……」
芦原待ちとなったヒカルは、1Fにある碁会所を覗いていた。
大声の大阪弁が飛び交う様は活気があって、良く顔を出していた碁会所を思い出させた。
「俺も誰かと打ってみるかな」
大阪棋院の対局室に出入りしていても、碁が強い人間とは限らない。普通の碁会所とそれほど変わりばえしないだろう。
しかし、こういう場所を訪れる人間にとって、碁の強さというのは重要な価値観である。強い人間はだいたい一目置かれるし、発言権が大きかったりする。
威張ってそうな人でも捜そうかな……。
きょろきょろと周りを見渡す。
「なんや? 相手探しとるんなら、俺が相手しよか?」
「あ……」
背こそ高いものの、相手は同年代の少年だった。
「でも……子供じゃなぁ」
思わず本音を口にしてしまう。ヒカルの数多い欠点のひとつだ。
「なんや? 俺やと弱そうで相手にならん言うんか?」
「そうじゃないんだけど……」
ヒカルが否定しようとするが、言い切る事ができない。なぜなら、それが本心だからだ。
「俺の実力、見せたる。後悔させたるわ」
ヒカルとは対称的に、少年は意欲的に対局を始める。
少年が最初に黒石を置いたのは、盤の中央。
「初手天元!?」
さすがに意表をつかれた。
……面白ぇ。
俄然、ヒカルはやる気を出した。
どれだけやるのか見せてもらう。
少なくともヒカルは初手天元を相手に打った経験がない。いや、そんな手があることすら知らなかったのだ。
一方、相手は初手天元で戦うことに慣れているだろう。
これは大きなハンデとなる。
初手天元。
それは隅を狙うより、直接的な効果が少ない。だが、その石は盤面全てに影響を及ぼす。だからこそ、天元の石が活きるか死ぬかが、勝負の分かれ目だろう。
ヒカルは、天元と他の石との連係を阻む様に手を進めていった。
天元の石を孤立させ、盤上への効果を封じることで、勝利を狙ったのだ。
ヒカルや芦原が去った後、あらたな客が碁会所へ顔を出した。
「ん? どないしたん?」
奇妙な雰囲気を感じ、少年は不思議そうに尋ねる。
「どないしたもこないしたも……。今頃になって来よってからに」
「だから、なんやねん?」
「お前の初手天元が、東京もんのガキに負けたんやで」
「俺のて……、初手天元は俺が生み出した手やないし、まだまだ、試してる最中なんや。初手天元だけで勝てれば、なんの苦労もせんわ」
彼自身、初手天元に固執しているわけではない。自分が強くなるための、方法論の一つに過ぎなかった。
「そやけど、ジュンのヤツがなぁ。どないなヤツやった?」
ジュンと呼ばれた少年が、自分を負かした少年の顔を思い返す。
「年は俺等より下やろか? ガキみたいなツラしとって……」
そこへ、先ほどの観戦者のひとりが慌てて駆け込んできた。
「アイツ、プロやで!」
「なんやて!? ホンマか?」
「さっき、西川プロと話しとったらしい。芦原プロと一緒にここへ寄ったそうや」
「おっちゃん。ソイツの名前は?」
プロと聞いて、少年が尋ねる。
「進藤ゆうたな」
「進藤プロ……。なら、近いうちに会うやろ。ジュンの敵討ちはそん時にしたるわ」
(ここまでが16話相当分で、もっと肉付けしてから公開する予定でした)
その機会は早くも訪れる。
18歳以下限定の、日中韓ジュニア団体戦、──北斗杯。
出場者を決めるためのトーナメント戦が公表されたのだ。
北斗杯、代表選抜東京予選。
まずは、東京枠を4人に絞るための予選が行われた。
ヒカルの対戦相手は、1年遅れてプロになった院生時代の先輩・本田だった。
ここで、ヒカルは再び、初手天元と遭遇する。
地力の違いもさることながら、大阪から帰ったヒカルは、塔矢アキラを相手に何度も検討しているのだ。もちろん、佐為だっていろいろと知恵を出してくれた。
予習復習をこなしていたわけで、本田は非常に不利な選択をした事になる。
軽く一蹴されて、彼は投了した。
「凄いな、進藤。こんなにあっさりやられるとは思わなかった。まったく動揺してなかっただろ?」
「前に大阪行った時に、初手天元を使われたことがあるんだ」
「まさか、社か!?」
「ん? 名前は知らないけど、せいぜい院生ぐらいの実力だったよ」
「なんだ。別人か」
「その社っていうのは誰の事?」
「師匠のところへ、関西棋院の吉川八段が来てたんだ。その弟子の社清春ってのと打ったんだけど、そいつが初手天元を使ったんだ。凄く強くて、軽く捻られた。研究会の先輩も唸ってたくらいだ」
「……俺が戦ったのは、その戦法をマネたのかもな。その棋譜教えてくれる?」
「ああ。いいよ」
日を改めて、日本棋院の中部総本部や関西総本部、そして関西棋院からもジュニアのプロが集う。
北斗杯選手選抜戦、1回戦。
2回戦にコマを進めたのは、日本棋院のヒカル、和谷、越智。関西棋院の社の4人だった。
北斗杯選手選抜戦、2回戦。
ヒカルvs社。和谷vs越智。この対戦の勝者2名が北斗杯に出場となる。
(初手天元、打ってこねぇかな)
場違いにも、ヒカルは対局が楽しみで仕方がない。
しかし、ニギリは彼にとって残念な結果として表れた。
(俺が先番か、ついてねぇ。……待てよ?)
ふとした思いつきに、ヒカルは笑みを浮かべた。
(それなら、俺が打てばいいんだ)
ヒカル、初手天元。
(……っ!? こいつ!)
顔を上げた社が、ヒカルを睨みつける。
ヒカルが関西棋院で初手天元を負かした事は社も知っている。それに、先日やりあった本田プロとも交流があれば、自分の存在にだって辿り着くだろう。
だからこそ、自分相手に初手天元をしかけてくるのは挑発に思えた。
(初手天元を受けるのと、しかけるのは別や! 俺に勝てると思うんやないで!)
ヒカルは資質を武器に、社の経験則に挑んだ、
天元の黒石を、封じようとする社に、活かそうとするヒカル。
定石らしい定石のないこの対局は、対局者同士のセンスで紡がれていった。
天元周りの攻防と、4隅の確保で、常に闘いの焦点が移動し続ける。
まさに定石破りな対局は、盤面だけでなく、観客をも混乱させていた。
選抜責任者の渡辺や敗退者達は、対局者の傍で話し合うわけにいかず、別室で棋譜を並べてリアルタイムに検討をしている。
早めに決着のついた和谷や越智も、異様な展開に呑まれた様子だった。
北斗杯監督の倉田や塔矢アキラが顔を出した時、ちょうど決着がつく。
ギリギリで天元が活かされた。黒の半目勝ち。
勝者は進藤ヒカル。
そして、越智康介のふたりが北斗杯代表となる……はずだった。
ところが、出場権を勝ち取ったはずの越智本人が、この結果に異議を申し立てた。
負けはしたが社の実力は明かであり、組み合わせの運だけで北斗杯の出場権を手に入れるのは、越智のプライドが許さなかったのだ。
越智は、出場するのならば自分の力で勝ち取りたいと主張する。
翌日行われた追加の対局で、越智は残念ながら敗退する結果となった。
あとがき:……いまさらですが、囲碁を打てないのに書くって難しいですねw。