『フルメタル・アタック!(2)』めんそーれ、北朝鮮

 

 

 

 九龍は、護衛対象であるはずのかなめから、完全に嫌われていた。着替え中の更衣室に侵入したり、ベランダに忍び込んでバスタオル一枚の姿を見たのだから、当然の結果と言える。

 だが、二人の関係が改善されない一番の理由は、九龍自身にあった。緊急時には、拳銃を突きつけて言うことを聞かせるつもりなのだから、関係修復の可能性はゼロに近い。

 

 

 

 陣代高校2年生の修学旅行の目的地は沖縄。現在彼らは飛行機に乗り込み、雲海の上を進んでいた。

 座席で軍事雑誌に目を通してた九龍に声がかけられる。

「ねえ、先生」

「あん?」

 相手は受け持ちクラスの生徒である信二だった。先日の一件で、九龍に親近感を持ったらしい。九龍としては、珍しく軍事的な話が通じる相手のため好きにさせていた。

 ちなみに、ネガをネタに信二を脅していた村野は、自分から信二に謝罪して、その後は顔を合わせると逃げ出すようになった。彼に何があったか、信二自身は聞かされていないが、なんとなく想像はついた。九龍にとっては、二度と面倒が起きないように処理しただけなのだが、信二が九龍に好意を見せるのも納得できる話だった。

「あれ見てよ」

 信二が指さした、窓の外──そこに見えるのは一機の戦闘機である。

「へぇ……」

 日本の領空に飛んでいるはずのない戦闘機――韓国空軍のF−16戦闘機が飛んでいた。

 それを視界に捉えて、九龍の口元には笑みが浮かぶ。

「なるほどな……。やるじゃねぇか」

 危機的状況にあることをすかさず察知し、なおかつ、九龍の顔には笑みが浮かんでいた。それは獲物を目前にした、肉食獣の笑みであった。

 この飛行機は沖縄へ向かっていない。窓外の戦闘機から予測される答えは一つだけだ。

 ハイジャックされた飛行機が外交ルートのきわめて狭い国に着陸することになれば、救出の手段は非常に制限されることになる。

 九龍にはこのハイジャックの目的が予想できた。そして、相手の正体も。

 

 

 

 飛行機が着陸したのは、狭い飛行場であった。

 ビルと言うよりも倉庫のような建物が散在し、博物館に展示されているものより整備状態の劣る戦闘機が目についた。その中で異彩を放つのがカーキ色に塗装された最新鋭のASである。

 乗客が窓外の景色を見て訝しんでいると、コクピットからの放送が流れた。ハイジャック犯による犯行声明である。

 犯人は“こだわりのある革命家の集い”と名乗った。

 

 

 

 ハイジャックされたはずの機内だったが、陽気な笑い声が響いていた。

 人質となった乗客は、機外に出ることこそ許されなかったものの、拘束されたり監視されることはなかった。そのため、思い思いに暇をつぶそうと試みたのである。主に、陣高生たちが。

 カードゲームやボードゲームにカラオケ。しまいには通路でミニ四駆を始める者までいる。ちなみに、彼らの脳天気さは、この冬に起きる豪華客船ハイジャックでも再現されるものだった。

 そんな騒ぎが不意に鎮まった。

 機体の出入り口に複数の人間が姿を見せたのだ。覆面を被り、機関銃を手にしたハイジャック犯である。

 なにも話そうとはせず、視線が機内を見渡した。

 かなめは視線があったように感じて、あわててうつむいた。身を縮めるようにして、時間が過ぎ去るのを待つ。

 だが、男達の足音はかなめに向かって近づき、かなめの隣で止まっていた。

「カナメ・チドリ」

 男は英語で話しかけた。

「いえ……私は……」

 かなめはとぼけようとしたが、相手は英語が通じることを初めから知っているようだった。

 マスコミ用のビデオ撮影だというテロリストの説明を理解できた人間は少なかったが、男の態度からかなめを連れ出そうとしていることは皆にも理解できた。かなめが英語で拒んでいるが、相手は意に介そうとしない。

「ちっ……」

 九龍が小さく舌打ちした。気に入らないことではあったが、犯人と揉めて目をつけられるのはさけたい。やつらの目的がかなめだけならば、残りの乗客すべてを殺すことになっても、奴らが痛痒を感じるはずがないのだ。

 機会を得るためにもここはやりすごすしかないだろう。

 慌てて恵里が駆けつけてくると、英語で男に抗議する。日本に暮らして平和ボケに染まっていると、武装した犯人を言葉だけで説得できると勘違いするらしい。

 恵里は相手がどんな返答をしようと納得しない。相手もそれを察して、言葉での返答をやめる。

 機関銃ではなく、小型の拳銃を取り出して恵里の鼻先に近づけた。

 一発の銃声が響く。

 恵里は足の力が抜けて、その場にぺたんと尻を落としていた。銃口は天井に向けられており、たなびいている煙を追って視線を向けると、天井には小さな銃痕があった。

 恵里の他に止めようとする勇気のある人間は存在しなかった。かなめを前後から挟むようにして、男達は出入り口から去っていった。

 魂が抜けたように呆けていた恵里は、がっしりと肩をだかれて我に返った。

 すぐ傍らに九龍の顔がある。気がつくと九龍に肩を抱かれていたのだ。

「あ、あの自分で立てます」

 驚きで頬を染めて身を引こうとするが、九龍の力は強いため位置関係が変わらない。

「アンタは運がいいな。もしも、俺が犯人だったらアンタを撃ってた。これからおとなしくしてもらえれば、俺にとってもありがたいんだがね」

 九龍の視線を受けて、恵里の身体が震えた。先ほどの犯人の視線よりも、感情の希薄な人形の様な瞳だったのだ。

 九龍は恵里を立たせようともせずに、ひとりだけでその場を立ち去っていた。

 九龍にとって、敵の監視は緩ければ緩いほどいい。無駄な騒ぎを起こして、注意を引くなど愚の骨頂だった。彼にとって、恵里の生死そのものが眼中になかった。

 

 

 

 九龍は貨物室へと潜り込んでいた。

 自分の荷物を探そうとコンテナを眺めていた九龍が、自分の入ってきた入り口を振り向いた。

 そこに一人の少年が立っている。年格好でいえば陣代高校に通う生徒の一人にしか思えない。服装も陣高の学生服である。

 陣代高校へ来て、数週間。授業をおこなった生徒を全て覚えているわけもない。そもそも、本人に覚えようというつもりもない。

 なのに、この少年には見覚えがあった。九龍の記憶の、ひどく深いところ……。そう考えて苦笑を浮かべる。そこまで記憶をさかのぼったら、相手は子供と称する年齢になってしまう。ずっと戦場を渡り歩いていた九龍に、そんな知人などいるはずがない。

 だが、少年から漂ってくる気配は、九龍のよく知るものだった。殺意などではなく、冷徹な意志を感じさせる鋼の様な存在感──それは、優秀な兵士の気配であった。

 無表情のまま、その双眸が九龍を捉えていた。怯えもなく、敵意もなく、ただ静かに……。

「俺に用か?」

 軽い調子で尋ねるものの、露ほども気を許していない。

 相手は無言だった。

 それだけでも、少年は異質だった。九龍に問いかけもせず、実力行使にでるつもりのようだ。

(こいつは強敵だ。それもすこぶる上物の)

 少年が無造作に間合いを詰める。右手に白刃がきらめいた。

 九龍も背中に差し込んでいたナイフを引き抜く。手荷物に紛れ込ませたセラミック製のナイフである。

「俺はナイフが得意だってことを教えてやるぜ」

「そのことは、すでに知っている」

 無機質な声で少年が応じた。

 お互いの刃が二人の眼前でかみ合った。

 積み込まれたコンテナのせいで、思うような動きがとれない。

 素手の戦いであれば、体格にまさる九龍が有利だ。だが、獲物がナイフとなるといささか事情が違ってくる。

 お互いの攻撃力に差異はない。わずかに九龍がリーチに勝るものの、ナイフで切られれば確実に傷を負う。

 二匹の獣がもつれ合った。

 わずか数分の戦いであっても、幾度かの危機をくぐり抜け、幾度かのチャンスを逃した。

 強引に膂力で勝負を仕掛け、相手の注意をそらした上で、少年の突き出したナイフを外側へ受け流す。

「く……」

 少年がわずかに声をもらす。

 九龍は相手の間合いに踏み込むと、少年の腹部にナイフを突き出していた。水分の満ちた弾力のある肉へ刃が貫く。九龍は根本まで埋めたナイフをそのままこじる。そうすることで致死率があるのだ。

 すかさず、九龍が身を引いた。

 それがなければ、座の崩れた状態となった少年のナイフが、九龍の首筋を切り裂いていただろう。確実に死ぬはずの少年が最後の反撃に出たのだ。

 それもここまでだった。

 少年が身を起こそうとするが、上半身を支えようとした左手から力が失われ、その場に倒れ込む。

 ごほっとむせ帰り、口元から血がこぼれた。

 かろうじて生きているようだが、助かる見込みはゼロだ。とどめを刺すまでもない。九龍の経験上、少年は数分で死ぬはずだった。

 

 

 

 資材置き場の片隅で、九龍は衛星通信機を操作していた。交信先はアマルガム西太平洋戦隊。

 直属の上司が出たのを確認して、九龍が気軽に話しかける。

「よう、ミスタ・K(カリウム)。懐かしいねぇ」

 懐かしいも何も、ほんの一月前には毎日同じ艦上で顔をつきあわせていた相手である。

『軽口はいい。状況を説明しろ』

 相変わらずの無表情ぶりにほくそ笑みながら、九龍は説明を始めた。陣高生の監禁状態や、飛行場を警備する兵士達の警戒状況についてだ。

『状況は理解した。こちらで救出作戦を立案する。それまでは情報収集に努めろ』

「へいへい」

『それと、ミスタ・Ag(シルバー)より指示があるそうだ』

 通信相手が若い声に替わった。

『これ以後の対応についてだけどね……』

 緊急時の対応についていくつかの指示を受けたあと、次回の定時連絡を2200時と取り決めて通話を終了した。

 とりあえず、行動の自由を保障するためにも、連中の野戦服と銃器が必要だった。かなめの情報もだ。

 周囲を探った九龍が楽しそうにつぶやいた。

「日頃の行いがいいのかね。上手い具合に落ちてるもんだ」

 視線の先には、単独で警備している兵士の姿があった。

 

 

 

 かなめは連れ込まれたトレーラーの中でひと騒動起こしていた。なんの説明も受けられず強引な扱いを受けていたために、我慢の限界に達したからだ。

 機材への影響をおそれた女医が慌ててなだめようとするが、拘束具からはずれたかなめの腕が女医を突き飛ばし壁にたたきつけていた。

 自由になった左手で、すべての拘束をはずすと、かなめは逃走をはかる。

 そこへ、銃声が響いた。

 身を竦ませたかなめが振り返ると、女医が壁に寄りかかるようにして身体を支えていた。右手に握った拳銃がこちらを狙っている。

「おとなしく従いなさい。頭が無事なら、腕や足を打ち抜いても構わないのよ」

 女医がにらみつける。

「な……ちょっ――」

 かなめの背後にあたる扉を開けて、野戦服の男が車内に足を踏み入れた。

「どうした?」

「ちょっとしたトラブルよ。聞き分けがないから、お灸をすえてあげたところなの」

「なるほどね」

「その娘を押さえてちょうだい。そんなに薬を射ってもらいたい――」

 どかっ!

 味方だったはずの兵士に蹴りつけられて、女医の身体が再び壁に打ち付けられた。

「ぅ……」

 女医の手からこぼれた拳銃を蹴り飛ばして、兵士は相手の腹を踏みつけにする。

「……だ、誰なの?」

 苦しげに女医が問いただす。

「その娘の担任だよ。……いや、副担任だったな。悪い、悪い」

 その男は自分の言葉を楽しげに訂正した。

「せ、先生?」

「怪我はなさそうだな。ちょっと待ってろ」

 かなめを一瞥した九龍が、床に転がっている女医に視線を戻す。両足への体重の配分を変えると、足の下で女医がうめいた。

「さて、質問だ。お前がどこの人間なのか、俺に教えてくれるかい? ここに派遣された人員と、装備についてもな」

 だが、女医への尋問は中断されてしまう。

 出入口に現れた兵士が、車内へ銃撃を行ってきたためだ。

 

 

 

 敵兵を無力化した九龍とかなめは、トレーラーから抜け出すと電源車に乗り込んで逃走を開始する。

「一体どういうことよ? なんなのよ、あいつらは!」

「奴らはおそらく〈ミスリル〉だ。超科学の拡散防止をお題目にしているが、やっていることは知識の独占だ。米軍以上の武装集団が野放しになってるってわけだ」

「なんで、私を?」

「お前がウィスパードだからだ」

「ウィスパードってなによ? それに、先生はいったい何者なの?」

「ウィスパードってのは、ブラックテクノロジーを生まれながらに記憶している存在らしいな。俺はその敵対組織に雇われた傭兵で、お前の護衛をしていたのさ」

「傭兵? それって、何の冗談?」

「冗談でハイジャックされると思うか? お前だけが連れ出されて調べ回されたのは、どっきりカメラか?」

 九龍が皮肉気な笑みを浮かべる。

 銃撃音が響き、かなめが悲鳴を上げる。

「突っ込むぞ。踏ん張れ」

 かなめの悲鳴に顔をしかめながら、九龍はアクセルを踏み抜いた。電源車が倉庫のシャッターを突き破る。

 車での逃走の場合、どうしても道路上に限定される。市街地でならまだしも、なんの整備もされていない原野で逃げ切れるものではなかった。

 そのような荒れ地を踏破できる乗り物が、この倉庫には存在していた。入手できれば、この上ない強力な武器となる。

「ちょっと、待ってよ。ASなんて簡単に動かせるはずないでしょ」

 かなめは未だに九龍の言葉を信じていないようだった。なんとか、九龍の暴走を思いとどめようとする。この期に及んでも、かなめは平和的な常識から抜け出すことができずにいる。彼女にとって、想像したこともない状況に放り出されたのだから当然な反応なのかもしれない。

 かなめに応えようともせず、九龍は手慣れた様子でASのはしごを登っていく。

 乗り込んだのはソ連製AS――Rk-92〈サベージ〉であった。

 

 

 

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