『みんなのFate』
衛宮家の道場では二つの人影が対峙している。
どちらもそれほど身長は高くはない。特に、金髪の少女は平均的な中学生程度だった。
「どうしたのです? 最近のシロウは稽古に身が入っていません」
上の立場から指摘しているのは、少女の方だ。
「そんなことはないだろ?」
「自覚がないのであれば、なお悪い。最近のシロウは注意力が散漫です」
「…………」
「いったい、毎晩何をしているのですか?」
セイバーは的確に急所を突いてきた。
「な、ナニって!?」
平静を装おうとしているのだろうが、成功しているとは言いがたい。
「私の目は節穴ではない。シロウの体調不良の原因が夜更かしであることは、すでに承知しています。いかに隠そうとも、それは朝食の味に如実に現れています」
「そうか……」
いくらなんでも、それがきっかけとは思わなかった。
「実は……」
観念した士郎が真相を口にする。
「……これですか?」
セイバーが手に取ったのは、とあるパソコンゲームであった。
「シロウ、私は貴方を見損ないました。まさか貴方が劣情におぼれるなど……」
セイバーが悔しそうに肩をふるわせる。
「第一、なにも私に似たようなキャラクターで代用せずとも、はじめから私に……」
「ま、待ってくれ、セイバー。これをそんじょそこらのエロゲーと一緒にしたらダメだ」
「……どういう意味ですか?」
「確かに下心があったのは認める。だけど、それだけが目的なら俺はこんなに夢中になったりはしない」
士郎が断言する。そこには己の大切なものを守ろうとする決意が表れており、引き起こされる事態に殉じる覚悟があった。……その対象がエロゲーでなければ、実に男らしい態度だった。
「たとえ、どんなに内容が素晴らしくとも、エロゲーはエロゲーです」
セイバーの指摘は容赦がなかった。それに、厳然たる事実でもある。
「確かにこれはエロゲーだ! それは俺も認める。だけど、これをエロゲーとして買う人間はほとんどいない。このゲームの魅力はそこじゃないんだ!」
士郎が力説する。
「では、何が魅力だというのですか?」
「それは、登場人物たちの覚悟や生き様、それに夢とか願いといったものだ」
「……エロゲーなのでしょう?」
「……エロゲーだぞ」
「いったい、スタッフは何を考えて、そのようなゲームを作ったのでしょうか?」
「さあ? 正直に言うと、エロを抜いて一般対象にした方が、このゲームは遙かに売れると思うぞ」
いわゆる大人の事情というものは、当事者ならぬ士郎に理解できないことであった。
いつになく強情な士郎に説得されたセイバーは、ゲームへの評価を下すべくゲームを体験してみることとなった。
そのゲームのタイトルは──『Fate/stay night』といった。
今から10年前に衛宮切嗣から剣道の奥深さを教えられたセイバーは、念願かなってようやく日本への留学を果たした。衛宮邸に居候しているセイバーが、作中のセイバーへ感情移入するのは当然の帰結といえた。
戦いに手に汗握り、最後の別れに涙する。
セイバーは存分にゲームを堪能したのであった。
「……シロウ」
「ん?」
「私は貴方の剣となり、盾となりましょう」
唐突にそう宣言した。
「いきなりだな」
士郎が苦笑する。まさか、ここまでハマるとは思っていなかった。
エロゲーということで軽く見ていたセイバーは、予想を超えた内容にカルチャーショックを受けたようだ。エロゲーの全てが素晴らしいとは言わないが、これほどの物語が存在することも一つの事実である。
「シロウこれからは貴方のことをマスターと……、いえ、貴方にはシロウという呼び名がふさわしい」
自分の言葉を自ら覆し、一人で完結してしまった。よっぽど気に入ったのだろう。
「……って、ナニやってんのよ、アンタたち?」
あきれたような声がかかる。
現れたのは、ちょっとしたつてから士郎の家庭教師をつとめるようになった同級生だった。
「なによ、これ?」
ひょいとその箱を持ち上げる。大きさに比べて妙に軽い。側面に貼られた「18歳未満おことわり」のマークを目にすると、少女がジト目を士郎に向けた。
「へー、衛宮くんはこういうのに興味があるんだ?」
蔑むような視線が士郎を射抜く。
冷たい態度に言葉を失った士郎を、ここぞとばかりにセイバーが弁護する。先ほど宣言したとおり、士郎の盾となるためだ。
「愚かですね、凛。これをそこらのエロゲーと一緒にするとは……」
「どういう意味かしら?」
「これはエロゲーの範疇に収まる作品ではありません」
不敵な笑みを浮かべるセイバー。『Fate』に対する態度が、最初のころと180度違っている。
「凛にも薦めたいところなのですが、やめておきましょう。凛が落ち込むところは見たくありませんから」
「む、なによ、その含みのある言い方は」
「この物語を読むと凛は傷つくかもしれない。友人としてそれは避けたいと思っただけです」
その言葉の割に、セイバーの口調はひどく挑戦的である。
そして、それに応じないようでは、遠坂凛らしくはなかった。
彼女の返答は決まっている。
「やってやろうじゃないの!」
そう断言した凛の口元にも、セイバーと同じ種類の笑みが浮かんでいた。
数日が経ち──。
どこか苛ついた様子で凛が衛宮邸を訪れた。
「ど、どうしたんだ?」
たびたび理不尽な八つ当たりを受けている士郎が、おそるおそる尋ねた。
凛は周囲を見渡して、自分たち二人だけなのを確認してから口を開いた。
「あのゲーム壊れてるんじゃないの?」
「そんなことはないはずだけど? 俺もクリアしてるし、セイバーもだ」
「だって、途中で死んじゃって先に進まないもの」
「それって……」
「単純に選択肢を間違っているからでしょう」
会話に割って入ったのは、いつの間にか姿を見せたセイバーだ。凛が悔しそうに表情をしかめていた。
「ゲーム内で、大河とイリヤが教えてくれるでしょう? シロウはもっとセイバーと親しくなるべきなのです」
うむうむと自分の言葉にうなずくセイバー。
ぎん!
殺意に燃え上がる凛の両眼。
(なぜ、俺をにらむ?)
そう思った士郎だったが、訪ねるという愚は犯さずにすんだのだった。
またまた、数日後──。
「セイバーいる?」
衛宮邸の廊下をずかずかと大股で突き進むのは、遠坂凛である。
先日とはうって変わって、上機嫌だった。勢い余って高笑いでもしそうなくらいだ。
「凛、どうしました?」
「やっと『Fate』をクリアしたわよ」
「……そうなのですか?」
セイバーが怪訝そうに相手を見る。
セイバーの予想では、士郎とセイバーの絆の深さに、凛は悔し涙にくれるはずだったのだが……。
「あら? やっぱりセイバーは知らなかったみたいね」
「な、何をですか?」
「このゲームのエンディングは一つじゃないわ。つまり、士郎とセイバーが結ばれるエンディングもあれば、全く別の結末もあるのよ!」
ががーん!
ゲームに慣れていないセイバーは、根本的な事実を知らなかったようだ。
セイバーが不服そうな視線を士郎に向ける。
「ああいうゲームは、だいたいマルチエンディングだぞ。俺はセイバーに持っていかれたから、他のエンディングは見てないけど」
「確かに、あのゲームは素晴らしいわ。その言葉だけは正しかったと思う」
腕組みして、うむうむと満足そうに凛がうなずいてみせる。
「自己犠牲の固まりのような人間には、多少強引なパートナーがふさわしいかもね。このゲームみたいに」
「く……」
セイバーが唇をかむ。
「もういちど私がやります。きっと、さらに素晴らしい展開が私を待ち受けているはずです!」
一縷の望みを託し、セイバーは再びゲームに挑もうとする。
しかし、幸か不幸かその望みは叶わなかった。
「いいかげんにしてください!」
そこに現れたのは三人目の少女である。
『桜!?』
姿を見せたのは士郎の後輩である。凛が衛宮邸に出入りするようになったのも、妹の桜つながりであった。
「みんな18歳未満じゃないですか! エッチなのはいけないと思います!」
どこかで聞いたような台詞を口にして、桜はさっとゲームを取り上げていた。
「先輩も男の人だから、仕方ないのかもしれないですけど、こんなゲームはやめてください」
「……あ、ああ」
しぶしぶと士郎がうなずいた。内心不満もあるのだが、いつもおとなしい桜が主張すると、容易に翻そうとしない。1年以上のつきあいなので、そのぐらいは知っている。
「これは私が没収します!」
こうしてゲームをめぐる争いは回避されたかに見えた。……が、当然のごとく続きがある。
今度は一週間ほどが経過して──。
桜が衛宮邸を訪れた。
居間まで通したものの、士郎もセイバーも怪訝そうに桜を見る。
表情こそ笑っているものの、どこかが怖い。その表情は能面のようで、表情がまったく動かず笑顔で固定されているのだ。ある一線を今にも越えてしまいそうな危うさがあった。
桜とともにやってきた凛は、あえて一歩下がって腰を下ろす。伏せた顔は心なしか青ざめているようだった。
「このゲームなんですが……」
テーブルの上で『Fate』の箱を開く。
「なんだ、桜もやってみたのか。感想はどうだった?」
そう口に出して聞いてしまう士郎は、鈍感男といわれても仕方がないだろう。
問いかけを耳にした凛の表情が即座に凍り付く。ごくりと唾を飲み込んでいた。
桜は無言のまま、流れるような動作でケースからゲームCDを取り出すと──。
べきっ!
躊躇無くへし割った。
『あっ!』
士郎とセイバーが思わず声を漏らす。
「……えっと、ゲームの感想でしたっけ?」
笑みをはりつかせたままの顔が、士郎を正面から見据えた。
「…………」
士郎も、士郎の剣となることを誓ったセイバーも彫像のように動きを止めていた。
桜の手だけが滞りなく動き、二つ目のCDを手にすると、再び──。
べきっ!
「私がこのゲームをどう思うか……、本当に聞きたいですか?」
「いや、いい」
「私も遠慮しておきます」
二人があわてて告げる。
「…………」
凛はあいかわらず無言のままだ。
皆の目の前で、三枚目のCDが聞き慣れた音を立てていた。
べきっ!
「今後、このゲームをすることは禁止します。この約束をもしも、破ったりしたら……」
不意に桜が肩を揺すった。
「……っふ、うふ、うふふふふ」
三人はガタガタと震えるだけだ。これほどの怒りを見せる桜を、三人は初めて見た。
遠坂桜にとって、このゲームはよっぽど容認できない内容だったに違いない。
この後、製作会社に火をつけよう言い出した桜をなだめるためにひと騒動あったりするが、この話はここで終了となる。
──この物語はフィクションであり、実在する人物・団体・事件とはいっさい関係がありません。