第10話 誰がために(10)
『みんなで』
ある日──。
「先輩」
正面に立った桜が、じっと俺を見つめる。
「どうしたんだ?」
「明日……、花見をしませんか?」
「花見?」
「はい」
桜が、力強くうなずく。
いつもは自己主張しない桜の、懇願するような真剣な瞳。
よくわからないが、桜にとっては大切な意味をもつのだろう。
俺に断れるはずがない。
「そうするか。特に予定もないしな」
「はいっ!」
桜が満面の笑みを浮かべる。
「ちょ、ちょっと、わたしも一緒に行くからね!」
遠坂が慌てて、申し出る。
居間でのことなので、俺と桜だけでなく、いつもの面子が全員集まっている。
俺と桜はきょとんと、お互いの顔を見てから、遠坂に顔を向ける。
「もちろんですよ、姉さん。みんなで行くんですから」
「花見なんだから、当然だろ?」
俺たちに遠坂を拒むつもりなんかない。
申し出を受け入れたというのに、なぜか、遠坂は悔しそうに俺をにらみつける。
……なんでさ?
「みなさん。明日は花見をしますからね〜」
桜が嬉しそうに、報告している。
「花見とは、なんでしょうか?」
ライダーが根本的な質問をした。
「言葉の通り、桜の花を見に行くの。みんなで集まって、満開の桜をながめて、食べたり、遊んだり……」
「食べたり……?」
その言葉に反応したのはセイバーである。
「お弁当を準備して、桜の木の下で食べるんです」
「それは……、楽しそうですね」
その光景を思い浮かべたのか、セイバーが陶然と言っていい微笑を浮かべる。
「はい」
桜が嬉しそう頷いた。
そうか……、弁当の心配もあるんだ。
「じゃあ、今からでも弁当の支度をしとかないと、まずくないか?」
「そうよね。じゃあ、さっそく始めるわよ」
遠坂が、俺の右腕を抱え込んで、台所に誘う。
「あ、ああ」
「待ってください。わたしも手伝います」
今度は桜が左腕を抱きしめる。
「まあ……、三人でやればすぐに済むだろ」
俺は両側を引っ張られながら台所へ向かうのだった。
『人の幸せ』
満開の桜の下で弁当を食べる。それは、ひどく充実した一時に思えた。日本人だからということでもなさそうだ。セイバーや、ライダーも穏やかな表情でいたく満足げだったのだ。
おそらくは、花見という行為ではなく、こうしてのんびりとした時間を共有すること自体が、意義深いのだろう。
とはいえ、この面子で終始のんびりとできるはずもなく、食後には連れだって屋台を覗いて回る。
休日のため、広い公園内には出店が並び、人々が行き交っていた。
「ほら、あっち、あっち」
藤ねえがイリヤを誘って屋台に向かう。
射的に金魚すくいにと、遊びまくっている。どうやらテキ屋の方々も藤村組関係者が多いらしく、いろいろとサービスを受けて二人とも楽しそうだ。
セイバーもさすがにこんな場所で食べ物に不平をこぼしたりはしなかった。彼女が言う”雑”な食べ物ばかりだが、食べることの楽しみは、なにも味だけではないのだ。
海の家で食べるラーメンが、縁日で食べるヤキソバが、初詣で食べるタコヤキが、思いのほか美味しいこともある。どんなに舌が肥えていても、それは理解できるはずだ。
フランクフルトやたこ焼きを手に、セイバーはほくほく顔だった。
ちなみに、めだたないものの、桜も負けじと食べまくっている。今は、デザートなのか、チョコバナナとリンゴ飴を手にしていた。
「…………」
遠坂が笑みを浮かべて、俺の顔を覗き込む。
「なにさ?」
「なにを考えてたの?」
「なんで、そんなことを聞くんだ?」
「今の士郎、凄く楽しそうに見えたから……」
「そうか? ……そうだな。俺は今の生活が楽しいよ」
うん、と自分の言葉に頷いた。
「セイバーがいて、遠坂がいて、桜がいて、イリヤがいて、ライダーがいる。みんな……生き残れてよかった……」
心の底からそう思う。
しかし……。
遠坂の表情が曇った。
「もう一回、名前を上げてみて」
「あれ? 遠坂の名前も言ったはずだよな?」
「さっさとする!」
俺は、指折り数えながら、もう一度名前を繰り返した。
「だから、遠坂、セイバー、桜、イリヤ、ライダー……5人であってるだろ?」
「一人足りないわよ」
……?
指摘されても思い浮かばない。
「えっと……、藤ねえのことか?」
間違いだと思いながらも、口にしてみる。
遠坂の右拳が、俺の頭を小突いた。勢いこそ弱いが、立てた中指の関節が酷く硬かった。
「痛いって! 一体誰のことだよ?」
遠坂がびしっと俺を指さした。
「アンタのことよ」
「……え?」
「アンタ自身を除外してたらダメなのよ。何度も言ってるでしょ! ちゃんと自分も数にいれなさいよね!」
「そ、そうだな……」
「アンタが生きていることで、喜んでいる人間が確かにいるの。みんなだってそうだし、もちろん、わたしだって……。だから、アンタ自身が、それを喜ばなきゃだめよ」
遠坂が言い切った。
そうだな。
遠坂の言う通りだ。
「士郎……、幸せ?」
「ああ」
俺がうなずくと、遠坂は満足そうに笑うのだった。
『これから──』
俺の魔力量は少ない。
セイバーの現界だって、遠坂からの流入があってやっとなのだ。
そんなわけで、事件後、俺が唯一極めている魔術──固有結界は使用したことがない。
固有結界に魔力を消費することで、セイバーが消えてしまう可能性があるのだから、使おうなんて思えるはずがない。
俺にとってどちらが大切なのかは、迷う必要もない事だから。
ただ……、夢を見た。
無数に剣が突き立った荒野──それが、俺の心象風景だったはずだ。
それが、夢の中ではわずかに違っていた。
確かに剣の墓標は同じだった。
しかし、それは荒野ではなく、緑の生い茂った草原となっていた。
そして、剣と並んでたたずむ、一人の少女。
聖剣を手にした彼女が、柔らかな微笑を浮かべている。
そんな、夢――。
目を開けると、セイバーが上から俺の顔を覗き込んでいた。
「目が覚めましたか、シロウ?」
寝ぼけている頭を動かして、状況を確認する。
俺はセイバーの膝枕で、眠り込んでいたらしい。
花見はすでにお開きとなったらしく、夕焼けで西の空が紅く染まっていた。
すでにみんなの姿もなく、弁当を入れてきたバスケットもなくなっていた。
「みんなは……、先に帰ったのか?」
「ええ。残っているのは、私たちだけです」
セイバーが微笑む。
「へえ。藤ねえなんか、俺を叩き起こしそうだけどな」
藤ねえに限らず、誰かが起こしてくれてもよさそうなものだ。
「は、早く帰る用事でもあったのでしょう」
「全員が?」
俺の疑問に、セイバーは視線をそらす。
「…………そのようです」
なにがあったんだろう?
公園内をふたりで歩いていると、セイバーがぽつりと話しかけてきた。
「シロウ……、貴方にどうしても伝えたいことがあります」
セイバーが真剣な表情で、俺を見つめる。
それだけで、重要な話題だということが俺にもわかった。
「なに?」
セイバーは一度咳払いしてから、切り出した。
「私は、すでにサーヴァントではありません。それに、シロウも主ではあるが、”マスター”ではない……」
「そうだな」
頷く。
今の彼女は、”セイバー”として剣を振るう必要もなければ、”アーサー王”として国を支える必要もない。
ただの少女に過ぎなかった。
「ですから、私のことはセイバーではなく、……アルトリアと呼んでもらえませんか?」
それは、彼女が王となることを決意した日に、決別した名前だった。それまでの、少女であった日々とともに。
「……わかった。これからはそう呼ぶよ」
「ええ。お願いします。私は一人の女性として貴方のそばにいたい」
彼女の瞳が俺の顔を映し出す。
「シロウ──貴方を愛していますから」
想いを込めた、一言。
一瞬、”前回”のように、彼女の姿が消え去ったように思えた。
だが、そんなのは幻にすぎない。
彼女は、変わらずにその場で微笑みを浮かべている。
俺もセイバーに応えないと……。
あの時……、彼女に返してあげられなかった言葉だ。
「俺も、セイバー──いや、アルトリアを愛してる」
アルトリアと名乗った少女が、俺の言葉を聞いて、輝くような笑顔を浮かべた。
俺にとって、何よりも価値ある笑顔。
この笑顔が、俺の前から失われることは、もうない。
彼女は、俺のそばに在り続ける。
これからも、ずっと──。
『stay "K"night』