『キングス・テーブル(2)』
「というわけで、貴方の記憶を消させてもらうわ」
「……なんでさ?」
唐突な申し出にうなずけるはずもない。
「というか、一番重要な説明が抜けているだろ、それ?」
「どうせ、消される記憶なんだから、時間の無駄なんだけどね」
面倒くさそうに凛が聖杯戦争の概要を説明する。
「……そんな神秘を公開するわけにいかないでしょ。あんたはこんなことなど忘れて、いままで通りの生活をしてればいいのよ」
その主張を、士郎は受け入れられなかった。
自分が魔術師として未熟なのはわかっているが、だからといって、魔術師であることに背を向けるわけにはいかなかった。そんな選択をしていては、とても魔術師と名乗る日はこないだろう。
「おい、待てよ遠坂……」
士郎が拒もうとするよりも早く、
「やめておけ、魔術師。そんなことは我がゆるさん」
ギルガメッシュが口を挟んだ。
「なによ。あんたには関係ないでしょ」
「いや。そうではない。我がここを訪れたのは、シロウを聖杯戦争に導くためだ。邪魔をするならば貴様から消すぞ」
ギルガメッシュの口調は淡々としたものだ。だが、それでも、ギルガメッシュは口にした行動を確実に実行するだろう。
それこそ、なんの感傷抱かず、無造作に……。
「なんですって……?」
一方、遠坂の表情には怒りが浮かぶものの、すぐさま激発することは耐えた。目前のサーヴァントが容易ならぬ相手だということを感じ取っているからだ。
「貴様の言葉をそのまま返そう。私がそうはさせん。凛の敵となるのならば、まず私が相手をしよう」
アーチャーが告げる。
それは、マスターを守ると決めた騎士の言葉だ。
「贋作者ふぜいが、身の程をわきまえるがいい」
ギルガメッシュはごく自然に、アーチャーを無視してのけた。
その傲慢さはいっそすがすがしいほどである。
赤のアーチャーと、金のアーチャー。本来なら、実現するはずのない、同じクラス同士のサーヴァントが対峙する。
それがもう少し遅かったら、おそらく衛宮邸は廃墟と化していただろう。
カランカラン――。
その音を耳にして士郎の表情が変わった。この屋敷に張られた結界が反応した音。
つまりは、敵の襲来であった。
訪問者は門に佇んだまま、家人の出迎えを待っていたようだ。
3人と連れ立って姿を見せた士郎に向かって笑いかける。
「シロウが出てこないから、わたしの方から来ちゃったじゃない」
頬をふくらませた少女が不満そうにつぶやく。
一度だけ、道ですれ違った――雪の妖精を思わせる白い少女がそこに立っていた。
「シロウとは2度目だけど、トオサカリンとは『はじめまして』よね?」
「あんたは……?」
凛がうさんくさそうに相手を眺める。
「私の名はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。ついてるみたいね、私は。シロウとリンをまとめて始末できるんだもの」
くすくすくす――。なんの邪気もなく、嬉しそうに少女が笑う。
前触れもなく、少女の背後に巨人が出現した。
その圧倒的な存在感。肉体の体積以上に、周囲への圧迫感を感じさせる。
「私のサーヴァントはバーサーカーよ。それも、正体はあのヘラクレスなんだから。どんなサーヴァントだって敵じゃないわ」
ふっふーん♪
その少女は自慢げにサーヴァントの真名まで語ってしまう。いや、それどころか……。
「宝具はゴッド・ハンド(十二の試練)。12個の命を奪いつくすには、サーヴァントが二人じゃまるで足りないんだから」
ふんぞり返って宣言する。
『なっ……』
士郎と凛が絶句する。
あまりに反則的な能力に、とっさに反応することもできない。
その一方、実際にバーサーカーと戦うはずの二人のサーヴァントは、まったくの無反応である。見事なくらいに。
その態度に、イリヤが気分を害した。
「ちょっと、わかってるの? ゴッド・ハンドに通用する宝具なんて限られてるわ。そんな宝具を複数持っているサーヴァントなんているはずないんだから!」
彼女が口にした通り、ゴッド・ハンドは聖杯戦争において最強といえる能力となるはずだった。……はずだったのである。
二人のアーチャーはイリヤの言葉に対して笑みをもって答えた。ギルガメッシュは嘲りをこめて、もうひとりのアーチャーは皮肉気に。
「わかったから、帰れ。我は貴様ごとき人形などに興味はない」
ギルガメッシュはまったく意に介していないようだ。野良猫でも追っ払うように、軽く手を振って見せる。
「……誰なの?」
イリヤがギルガメッシュを見て、固まってしまった。
「知らない。わたし、あなたなんて知らない。わたしが知らないサーヴァントなんて、存在しちゃいけないんだから!」
「奇遇だな、人形。我も貴様など知らんぞ。逃げ帰るのならば見逃してやってもいいが、シロウを殺すというのならば、この場で切り刻んでくれる」
得体の知れない敵に、さすがのイリヤスフィールもたじろいでいた。替わりに進み出たのは彼女のサーヴァントである。
「では、貴様から相手をしてやろう」
強敵を前にして、ギルガメッシュのおこなった動作はほんの小さなことである。
パチン。――指が鳴った。
ギルガメッシュの背後に剣群が出現する。数十本とひしめき合う魔剣の群れ。造りそのものは年代を感じさせるのに、表面を覆うのは神々しいばかりの輝きである。
「命が12とか言ったな。では30回ほど殺してくれる」
先ほど、ランサーを瞬殺してのけた、剣の豪雨。
単純な算数の問題である。12ひく30はマイナス−18――10回以上も余計に殺す計算だった。
だが、バーサーカーは踏みとどまった。
その理由はたった一つ――。
「見てみろ、士郎」
ギルガメッシュに促されてその姿を見る。
背後にマスターをかばっている以上、バーサーカーは行動範囲は圧倒的に狭められる。自らの主を守るべく、バーサーカーはその身をギルガメッシュの攻撃にさらしていた。伝説級の魔剣に体を貫かれて、なおも倒れず、なおも退かず。
なんと雄々しく、たくましい生き様か――。
だというのに、ギルガメッシュはこう例えたのだ。
「バーサーカーが、まるで”黒ヒゲ危機一髪”のようだ」
「……ぶぅっ!」
思わず吹き出していた。
言うに事欠いて、”黒ヒゲ危機一髪”はないだろう。
士郎と凛だけでなく、アーチャーまでも笑い転げる。
「な、なにが面白いのよ!」
理解できない少女が、屈辱に涙すら浮かべて怒鳴った。
どうやら、彼女が知る日本文化に、”黒ヒゲ危機一髪”はなかったらしい。
「やっちゃえ、バーサーカー!」
「■■■■■■■■――!」
バーサーカーの咆吼に、笑みさえ浮かべてギルガメッシュが応じる。
「ならば、このゲームも終わらせるとしよう」
ぱちん!
その指が鳴らされると一本の魔剣が飛ぶ。
「シロウ。貴様はこのゲームの終わりを知っているだろう?」
その言葉の不吉な暗喩に士郎がその光景を目撃する。
すぱっ、と。
見事に切り落とされたバーサーカーの首が飛んでいた。
「あの子、泣いてたぞ」
イリヤスフィールと名乗った少女は、自慢のサーヴァントを倒されて、泣いて帰った。ギルガメッシュと違い、士郎としては胸が痛まないでもない。
「彼我の戦力差もわからぬ小娘にはいい勉強であろう。我に挑もうなど片腹痛いわ」
わははははー。
ギルガメッシュは容赦がない。
「”黒ヒゲ”ごときで我にかなうはずがなかろう」
どうやら、”黒ヒゲ”の例えをいたく気に入ったようだ。
「だけど……」
思い返しながら士郎がつぶやいた。
「あのゲームって”黒ヒゲ”を飛ばした方が負けなんだよな」
「……っ!?」
ぴしりとギルガメッシュの体が固まっていた。
とある地下室にて、二つの人影が密談していた。
「…………むぅ」
「どうした。頭痛でもするのか?」
こめかみを押さえた相手に声をかけたが、相手を気遣ったわけでは決してない。
「全て、貴様のせいだぞ。せっかく手に入れた手駒を、真っ先に倒すとは」
「はじめに言わなかった貴様が悪い」
彼は一向に取り合わない。口にしたとおり、その存在自体を隠されていたのだから、責任を問われてもどうにもならない。
そもそも、彼の行動を左右するのは己の意志のみだ。他人の事情など気にもとめない。
「……しかし、よほど聖杯戦争に縁があるようだな、その衛宮士郎という少年は。前回と同じく今回もまた巻き込まれるとは」
「だからこそ可能性があるのだろう? ヤツにはその時まで生き抜いてもらわねばな」