『セイバー・イズ・フルチャージ(10)』
「すいぶんと、遅かったな……」
「ええ。やむを得ぬ事情がありまして」
言峰の皮肉に、セイバーが平然と答えた。
「……言っておくが、お前たちの声はこちらまで、筒抜けだったぞ」
言峰からの精神攻撃。
しかし、セイバーにそのような揺さぶりは通用しない。
「それなら理由もわかっているでしょう。とても大切な用件だったのです。なにか、問題でもありますか?」
「……私が幸せを感じるのは、他人が苦痛に苦しむ時だ。だから、悦びの声など、私には不快にしか感じられない」
「あなたのあり方は、人として間違っています。私が幸せとは何かを貴方に語りましょう」
セイバーは小一時間ほど、自分の幸せについて、イヤというほど言峰に説明してやった。
「いい加減にしろ。お前たちが来たのは、私と戦うためなのだろう? 会話すべきときではない」
「……でしたら、貴方にダメージを与えることにしましょう」
セイバーはまたもや、俺との関係について嬉しそうに説明していく。
「セイバー。早くしないとイリヤが危険なんだけど」
さすがに気になって、セイバーに指摘する。
「そうでしたね。では……エクスカリバー(約束された勝利の剣)――!」
話の展開とか、クライマックスだとか、そういうことを全く考慮せずにセイバーは宝具の真名を解放してしまう。
地面と平行に振った聖剣の光は、聖杯から溢れ出る泥を焼き尽くした。どうやら言峰は、それに巻き込まれたらしい。
「シロウ、今のうちにイリヤを」
「あ、ああ……」
泥が一掃された地面を走り、俺は聖杯へ磔にされていたイリヤの身体を降ろす。
聖杯――魔力の満ちた、空間に穿つ闇の洞穴。あふれ出す泥には、圧倒的な悪意と、略奪するための力が詰まっている。
セイバーはじっとそれを見上げている。
あの泥を見過ごすわけにはいかない。だが、聖杯を破壊すれば、セイバーはこの時代に残ることができなくなる。
やはり、望んでいた聖杯を、自らの手で破壊するのは、セイバーにとっても苦渋の選択なのだろう。
「……令呪を使おうか?」
「いいえ」
セイバーは笑顔を浮かべて首を振る。
「これまで聖杯を望んだのも、こうして聖杯を破壊するのも、全て私の意思です。聖杯は自らの意志で破壊します。シロウはそれを見届けてくれるだけでいい」
「わかった……」
セイバーの聖剣は、最大出力で聖杯を切り裂いた。
山の向こうが輝き始めた。
夜明けだ――。
長い夜が終わりを告げようとしている。
自らの人生を間違ったものとして消し去ろうとしたセイバーは、もうどこにもいない。
彼女にとって最後の希望だったはずの聖杯。彼女はそれを破壊することで、別な答えを得たのだ。
陽が昇る。
黄金色の朝焼けの中で、彼女は満足そうに微笑んでいる。
「シロウ――――貴方を、愛している」
ただひとこと、俺への想いを告げて、彼女は去った。
あれから二ヶ月。
最近、登校途中でよく顔を合わせる遠坂と並んで、俺は学園に向かっている。
「……未練はない?」
もちろん、セイバーのことだろう。
あの日から、一度も話題にしなかった少女について、遠坂が初めて口にした。
「そりゃあ、あるさ。二週間近くの間、愛し合った大切なコだからな」
だけど、振り返っていても始まらない。
俺にできることはすべてやったし、やるべきことはすべてやったはずだ……。
ふと、何か忘れてるような気がした。
頭に浮かんだのは、鞘である。
聖杯戦争では一度も鞘なんて見てないので、何かの勘違いかもしれない。
まあ、それはともかく……。
「……誇れるような生き方をしないと、セイバーに申し訳ないからな。セイバーが愛してくれた男として、恥ずかしくないように……」
セイバーの服を思わせる、鮮やかな青空を見上げる。
「ただ……」
「ただ?」
「……欲求不満になるかも」
そう漏らして、遠坂にぶん殴られた。
「王……?」
ベディヴィエールの声に、もはや彼の主は返事を返そうとしない。
国のために、立ち上がり、走り抜け、戦い続けた、偉大なる王。だが、何一つ報われなかった、悲運の王。聖剣の加護が失われ、ついに永遠の眠りについたのだった。
しかし、その表情には、わずかな悔いもないように思えた。
そして、それは彼が初めて見る顔でもあった。
「まさか……?」
高貴で美しい顔はいつもと変わりはしない。
だが、それは険しく固い国王の顔ではなく、柔らかく暖かい女性の顔だった。
彼はこの時に初めてそれを知った。
この方自身が国王で在り続ける事を望んだ。
仕えている皆が国王で在ることだけを望んでいた。
そこには、彼女が女性である余地などなかったのだ。この華奢な身体で、この娘は国の全てを背負っていた。
死に瀕した彼女は、何を思い、何を見たのだろう。
刹那の夢でしかないとしても、彼女は王としての責務から離れて、少女に戻ることが出来たのだ。
きっと、それは素晴らしい夢に違いない。
彼女の満ち足りた顔がそれを物語っている。
きっとそれはアーサー王と呼ばれた少女が、最後に望んだ理想郷のはずだから――。