『罪深き世界に祝福を』

 

 

 

 12月4日。

 宿泊しているホテルの部屋に、用事を済ませた二人の男が戻ってきた。一人はアラブ系で長い髭を蓄えており、一人は白人で恰幅の体型をしている。

「あ〜、肩凝った。二度とゴメンだね、俺は」

 アラブ系の男は帽子かけへ近寄ると、べりっ、と自分の顔を剥ぎ取った。人種すら偽っていたその顔は、変装用の人工皮膚だったのだ。髭の長さもだいぶ短くなっている。

 かけていた帽子を手にとると、彼は室内だというのに深くかぶった。それは、視線を隠そうとする彼の癖なのだ。

「だらしねぇぞ、次元」

 疲れを見せている次元とは違い、その相棒は明るい調子で声をかけた。

 腹の部分についている栓を抜くと、その肉体が急激にしぼんでいく。スーツを内側から押し上げていたのは、風船だったからだ。

 べりっ、と変装マスクを取り去ると、中から現れたのはひょろ長い猿顔だった。

「インターポールに忍び込むぐらい、チョロいもんじゃねぇの」

「簡単に言ってくれるなよ、ルパン。俺はお前さんとは違うんだ」

 ルパン三世と次元大介――彼等二人は立派な国際指名手配犯なのだ。変装しているとはいえ、警察の施設へ潜入するなど楽しい仕事とは言えない。

 喜々として忍び込むのは、ルパンぐらいのものだろう。危険や困難を楽しむ男なのだ。

「心配のしすぎだぜ。今回はとっつぁんも絡んでねぇしな」

「銭形のダンナは俺達に関して妙に勘が鋭いからなぁ」

 次元が実感のこもったつぶやきを漏らす。

 宿敵ともいえる銭形警部が同席していれば、自分たちの変装にも気づかれた可能性が高い。

 銭形が常々口にしている通り、“ルパンあるところに銭形あり”だ。今回、銭形と顔を合わせずに済んだのは幸運と言えるだろう。

 二人は変装用の服を脱ぎ捨てて、いつものスーツに着替える。

 ルパンは派手な赤いジャケットに白いスラックス。次元は上下ともに、黒のスーツだった。

「しっかし、インターポールも情けねぇの。なんの情報も掴んでねぇんだもんな」

「俺としては優秀すぎるのも困るがね。連中がマヌケなおかげで、こうやって大手を振って歩いてられる」

 インターポールへの潜入が無駄骨に終わったというのに、ルパンには気落ちしている様子が見受けられない。

「なんの収穫もなかった割にゃ、残念そうには見えねぇな」

「警察が何も知らないってことは、俺達が動いても気づかれる心配がねぇってことさ。充分な成果じゃねぇの」

「それで、この後はどうするつもりなんだ」

「俺は一足先に日本へ行くぜ。ちょっと準備が必要なんでね」

「おいおい、俺は置いてけぼりかよ?」

「次元にはこっちで一仕事頼みてぇのさ」

 

 

 

 12月9日。

 一台しか止まっていない広い駐車場に、レンタカーのワゴンが新しく停車する。

 そこから降りてきたのは、次元だった。

「待ってたぜぇ、次元」

 出迎えたのは彼の相棒である。

「なるほどねぇ。ここなら、おあつらえ向きに、カメラから録音器材もすべて揃ってるってわけか」

「そういうこった」

 ここは、小さいながらも最新器材などをそろえた録音スタジオだった。業界関係者などにもよく利用されている。

「よくもまあ、こんなスタジオを準備できたもんだ」

 すでに慣れた物だが、それでも感心してしまう。やると決めた時のルパンの段取りの良さは尋常ではない。

「事前に計画だけは立ててたからな。今日は設備点検のために臨時休業ってことになってんのよ。部外者を閉め出してるから、器材の準備も俺等がやらなきゃなんねぇけどな」

「仕方ねぇさ」

 肩をすくめて次元が頷く。

 実際に使用する器材はそれほど多くはない。カメラと照明とマイク、あとは映像の伝送装置があれば十分なのだ。

「他の準備は終わってるんだろうな?」

「俺様を誰だと思ってんだぁ? 東京タワーの作業も、昨日のうちに終わらせてるよ。さっさと始めようぜ」

 ルパンに促されたものの、次元が表情を歪ませる。

「しかし、オカルトだか細菌兵器だか知らねぇが、ぞっとしねぇ話だ」

「気にすんな。今日の主役は俺達じゃねぇよ」

「確かにな」

「主役はどうしてる?」

「薬が切れたらしい。目を覚ましてさっきから騒いでたぜ」

 次元は乗ってきたワゴンを顎で指した。

「んじゃ、主演男優をご案内しますかね」

 ワゴンの後部に積んでいた大型のキャリングケースを、ルパンがスタジオ内へと運び込む。

 キャスターが床の段差に引っかかるたびに、ガッタンガッタンとケースが揺れる。それが不満なのか、キャリングケースの内側から、何度か音が聞こえてきた。

 ケースが開けられたのは、撮影スタジオに到着してからだった。

 中からころがり出てきたのは一人の成人男性だ。

「んっ! む〜?」

 猿轡をかまされているため、男の主張はまったく意味をなさない。両腕は背中に回され両手首を縛られている。両足も同様だった。

「久しぶりだなぁ、テイラー」

 彼は賞金首であるルパンを狙ってきた殺し屋だった。次元が生け捕りにして日本まで連れてきたのだ。

 ちなみに、飛行機内ではずっと麻酔で眠らされていたため、おそらくここが日本である事も知らない。

 ルパンは猿轡を取ろうともせず、相手に話しかけた。

「俺と賭けをしねぇか? うまくいったら、お前を無傷のまま解放してやってもいい。断るのは自由だが、その場合はこの場で殺す」

 ルパンには交渉しようという意図が全くないらしい。一方的な言い方で男に要求を突きつける。

「賭けっていうのはな……」

 ルパンが口にした内容は驚くべきものだった。

 どんな無理難題をふっかけられるか警戒していた彼にとって、あまりに安全で簡単に実行できる内容だったからだ。

「受けるってんなら、うなずいてもらえるか?」

 彼はルパンの提案を受け入れるしかなかった。

 

 

 

 12月18日。

「警察の中に犯人がいるってのか?」

 その推測に、次元が表情を曇らせる。

「まっさかぁ。どっちかっつーと、警察への挑発なんじゃねーの? ここまで捜査状況を把握しているぞってな」

「内部情報が漏れてるってわけか。日本警察ってのは、もうちょっとマシなもんだと思っていたんだがね」

 そう言う彼等自身も警察のサーバーに侵入しているのだから、酷評できる立場とは言えない。

「今回ばかりは、いつもの事件と毛色が違うからなぁ。四角四面のお役所仕事じゃどうにもならねぇよ」

「まぁな。お前でなけりゃ、こうして尻尾を捕むことすらできなかったろうさ」

 ルパンのほとんどの計画に係わっている次元だったが、今回ほど驚嘆させられたことはない。

 敵の力にも驚かされたが、それも全てはルパンの計画の範疇だったのだ。

「そうそう、次元」

「あん?」

「FBIが動いているから気をつけろよ」

 さらっと告げられた情報に、次元が眉をひそめた。

「狙いはなんだ? 俺達か?」

「いんや。狙いは俺達と同じみたいよ」

「……お前、わざとFBIに情報を流したのか?」

「そう見える一面がないとは言えなくもない」

「あのなぁ……」

 次元の呆れたような口調に気づいて、ルパンが怪訝そうに視線を向ける。

「どうした?」

「お前の悪い癖だぜ、ルパン! せめて相棒の俺ぐらいには、事前に作戦を説明してもらえませんかね? 決めておいた手順を勝手にひっくり返されて、“計画通り”なんて言われちゃ、こっちはたまらねぇぞ!」

「タネ明かしをしちまったら、せっかくの手品がつまんねぇだろうが。裏を知りたがるのは無粋ってもんだぜ」

 ニッ。子供のように無邪気に笑ってみせる。

 いつもこうだった。

 芸術的とも言える綿密な犯罪計画を立てながら、己の稚気や誰かへの対抗心から計画を投げ捨てることさえあるのだ。

 そうすることで発生するアクシデントすらも楽しみ、実際に乗り越えてしまうのだから、彼の性格は死ぬまで治らないのだろう。

 

 

 

 1月8日。

「まさか、こんな所へ忍び込むことになるとはな」

 自嘲気味に次元がこぼす。

 今回の事件は、もうちょっと大規模な敵を予想していただけに、拍子抜けしているようだ。

「仕方ねぇさ。必要とあらば、ルパン様はどこへでも行きますよ〜」

「へいへい」

 愚痴をこぼしながら、次元も同行せざるを得ない。

 すでに無人であることを確かめている彼等は、簡単に鍵を開けると正面から侵入を果たす。

「んじゃ、俺は上へ行ってくるからよ」

「ああ。俺も一階を済ませたら、そっちへ行くよ」

 次元の声を背に受けながら、ルパンが階段を上る。

「ふぅん。ほう……、なるほどねぇ」

 侵入口をチェックしながら、ルパンが楽しそうに笑みを浮かべる。

「この程度で俺様をひっかけようなんて、100年早いぜ」

 そう口にするのは、盗みのプロである彼の自負だろう。

 芸術的とも言える犯罪歴の数々は、彼の持って生まれたセンスだけにとどまらず、貪欲に溜め込んだ知識や、幾度となく盗みを繰り返してきた経験に裏打ちされているのだ。

 実のところ、ルパンから賞賛を受ける人間などほとんどいない。

 こうして彼等が不法侵入を行った目的は情報収集にある。監視カメラと盗聴器を取り付けようというのだ。

 

 

 

 1月12日。

 帰宅した少年は自室へと直行する。

 学校に行っている間は手元から離しているため、その存在を確認しないと安心できないからだ。

 大切なノートを取り出した彼は、いつもの日課に取りかかる。真白いページをめくりながら、整った筆跡でページを埋めていくのだ。

 背後からは戸惑っている声が聞こえたものの、あまりにも馬鹿馬鹿しい話なので、少年は黙殺して作業を続けた。

 

 

 

 同日、同時刻――。

 石がごろごろしている河原に、二人組の泥棒がいた。彼等は真っ昼間からバーベキューにいそしむつもりなのだ。

 太陽が照っていて気温が高いとはいえ、真冬の平日にバーベキューをするのは変人と言えるだろう。

 二人はそのような事を気にもせず、準備を進めている。

 誰かが使用したらしい半分に割られたドラム缶をかまどにして、炭を転がして火をつける。

 すでに二人ともビールに口をつけおり、いい感じにほろ酔い気分となっていた。

 設置した金網の上に買い込んだ肉を乗せると、聞こえてくる音と漂ってくる匂いが食欲をそそる。

 彼等は仕事がうまくいった祝杯を挙げるつもりなのだ。

 次元が先に口を開いた。

「仕事がうまくいったことを祝って」

「乾杯〜と」

 二人がビール缶をつき合わせる。

 かの怪盗、アルセーヌ・ルパンも探偵として活躍した経験が少なからずあった。今回の作戦の骨子もそこにある。

 電波ジャックを行ったルパンは、頭文字から取った偽名を使い、架空の探偵をでっち上げ、敵を挑発することでその存在を明らかにした。

 極秘で潜入したFBIの捜査官は皆殺しにされてしまったが、それはつまり、調査対象の中に犯人が存在することと、調査されると都合が悪いことの証明でもある。

 あとは、ごく少数に絞り込んだ容疑者全員をカメラで監視して、“その手段”を調べればいい。

 怪盗たるもの、時には探偵としての素養を要求されることもあるのだ。

「それであのボーヤはどうするつもりなんだ? まさか、無罪放免ってわけじゃないだろうな?」

 状況証拠とルパンの推理によれば、彼が犯した罪は大量殺人である。

 しかし、その犯行が公表できない類のものである以上、すくなくとも表面上は彼が罰せられることはなくなるのだ。

 ルパン達の立場では、彼を告発することもできない。

「とりあえず、23日間は充実した毎日を暮らせるんじゃねーの」

 ニヤリと笑った顔は、彼にしては珍しくも辛辣なものだった。

「23日ってのはなんなんだ?」

「ノートの注意書き、読んでみなよ」

 ルパンに促されて次元がノートを手に取った。

 表紙の裏に書き込まれた英文を視線で辿ると眉をひそめる。

 パラパラとページをめくり、記述された最後のページに行き着く。そこにはこのノートの前の持ち主の名前と、奇妙な文章が書き込まれていた。

「もう使っちまったのか? まだガキじゃねぇか」

 犯人の年齢を考えると罰が重すぎると次元は考えたのだが、相棒はそうではないらしい。

「人間の命ってのは、神様気取りで簡単に奪えるほど軽い物じゃねぇのさ」

 その言葉には次元も同感だ。

 二人とも両手両足の指では足りないほど人を殺している。だからこそ、無駄な殺しだけは絶対にしない。

 だが――。

「こいつを使ったお前が言うかね」

 ルパン自身が無造作にあの少年の命を摘み取ろうとしているのだ。

「俺はノートに名前を書いただけさ。ノートに名前を書き込んだことがボーヤの罪なら、ノートに名前を書かれるのがボーヤの罰だ」

 罪にはふさわしい罰を。

 ルパンの思考方法は実にシンプルだった。

「で、こいつはどうするつもりなんだ?」

「どうもこうも、俺はそのノート自体にはなんの興味もねぇよ」

 入手してしまった事で興味が薄れてしまったのか、ルパンはつまらなそうにつぶやいた。

「どういうことだ、ルパン? こいつを手に入れるために面倒な手間をかけたんだろ?」

 確認の意図も込めて、手にしたノートを叩いて見せた。

「俺の目的はノートを手に入れる事じゃなく、危険なオモチャを取り上げる事だったのさ」

「なんだってまた……」

 思わぬ答えを耳にして、次元が首を傾げる。

「顔と名前がわかっていれば、いつでもどこでも殺せるんだぜ。お前だって、五ェ門だって、いつ殺されるかわかったもんじゃねぇ」

 これまでの犠牲者は凶悪犯のみだったが、いずれは殺す対象も広げられるだろう。

 次元達は一般市民を殺していないため後回しになっていたようだが、この先の安全が保証されているわけではない。

「ありがたくって涙が出るね。だけど、それを言うなら、お前さんの方が危ねぇんじゃねぇのか?」

「おいおい、忘れんなよ。そいつを使うには顔と名前が必要なんだぜ」

 次元の見過ごしていた点を指摘する。

「なるほどね」

 言われてみて次元も気づく。

 それはつまり、このノートの力はルパンに通じないということだ。

 目の前にいる人物は、その本名も、その素顔も謎に包まれている。次元ですら、それを知らないのだ。

 ルパンは手を伸ばすと、次元の手からノートを取り上げた。

「こんなおっかねぇもんは、こうだ」

 ルパンは躊躇なくノートをドラム缶に放り込んだ。

 炭火に触れて、黒いノートがジリジリと炎に侵蝕されていく。

 死の直前の行動を自在に操れるとしても、それは些末な事に過ぎない。本質的な意味で、このノートにできることは人殺しだけなのだ。

「俺は死神になんてなる気はねぇよ。ただの人間で充分さ」

 彼の手にはワルサーP38という武器がすでにある。それで及ばないピンチは、スリルとして楽しむだけだ。

 なんの危険もなくお手軽に殺せる手段など、彼には不要だし相応しくはない。

「それもそうだな」

 次元にもルパンの心情は理解できた。

 自分らには使うつもりがなく、誰かに渡すには危険すぎる。それならば、葬り去るのが一番だった。

 問題のノートは炎に包まれて、あっさりと灰になっていた。

「んじゃ、もう一度、乾杯といきますか」

 ルパンは箱から新しく缶ビールを取り出すと、そのうちの一本を次元に放り投げた。

「今度は何に乾杯するつもりだ?」

 プシッ、と缶を開けた次元が促す。

「そりゃもちろん」

 ルパンが会心の笑みを浮かべた。

「この素晴らしき悪党どもの世界に、さ」

 

 

 

 夜神月。心臓麻痺。

 デスノートがすり替えられた事に気づかないまま、好敵手たる探偵と高度な頭脳戦を繰り広げる空想に熱中し、2月4日に死亡。

 

 

 
 おわり

 

 

 
あとがき:『デスノート』とのクロス作品でしたが、自力で気づいた方が面白いだろうと考え、終盤までその事実を伏せることにしました。


■元ネタ■
LUPIN THE BOX -TV&the Movie- [DVD]
DEATH NOTE Vol.13