96回 20108月の深センでの温家宝の「政治体制改革」発言を再考する(201178日)

 

2010820~21日に温家宝総理が深セン経済特別区を視察した際、「政治体制改革」の推進について言及した。この発言に注目が集まり、政治改革への期待が大きく高まった。

温家宝はこのとき次のように述べていた。

「経済体制改革だけでなく、政治体制改革も推進しなければならない。政治体制改革の保障がなければ、経済体制改革の成果は得られてもすぐに失われてしまい、近代化建設の目標を実現することはできない」

「制度上、権力が過剰に集中し、権力を制約できないという問題を解決し、人民が政府を批評し、監督する条件を構築し、汚職腐敗を必ず撃退しなければならない」

深セン経済特別区設置30周年を迎えた当地で、温家宝がこのような発言をすれば、深センという実験の地をスタートに、第18回党大会までの期間、胡錦濤政権が政治改革を進めるのではないかとの期待が膨らんだのも無理はない。

しかし、この発言後、温家宝を支持する指導者は誰もいなかった。それは、現政権に政治改革を進める意思がないことを示唆していた。実際に、その後政治改革は進んでいない。行政改革や反腐敗までだ。

それでは、なぜあのとき温家宝が深センで「政治体制改革」について語ったのだろうか。そのことを考えているうちに、1つのことに気がついた。

 

●素通りされたケ小平演説30周年

1980816日、ケ小平が「党と国家の指導制度改革について」と題する演説を行った(816講話)。これは、同年831日の中央政治局で採択され、政治改革に関する共産党の方針となり、今に至ってもそのように認識されている。

この演説は、毛沢東の個人崇拝や「4人組」の台頭をもたらした過度の権力集中を是正するために党と国家の制度化に改革の重点を置くべきとするものだった。

昨年2010年はこの演説が行われてから30周年という区切りの年だった。それにもかかわらず、共産党や学術界は、国家レベルの記念行事を全く行わなかった。『人民日報』も、816日前後、同月31日前後に、この演説を取り上げた記事を掲載することはなかった。それどころか、816日付『人民日報』は理論面で、中国社会科学院副院長の李慎明による「曾慶紅同志の(著作)『党的建設工作について』の言いたいことを学習しよう」という文章を掲載する始末である。

このことを踏まえると、温家宝の深センでの発言は、目に見えるタームである「政治体制改革」よりも、むしろ隠されたタームである「ケ小平」にこそポイントがあったのではないかと思うのである。

まず、温家宝の深セン視察を伝える『人民日報』のリードが「改革・開放を堅持しなければ、国家の光り輝く前途はあり得ない」とある。「改革・開放」はまさにケ小平の代名詞である。

また、深セン経済特別区も、ケ小平が進めた「開放」政策の産物である。

そして政治体制改革の発言の中で、温家宝は「政治体制改革の保障がなければ、経済体制改革の成果は得られ」ない、「制度上、権力が過剰に集中し、権力を制約できないという問題を解決」しなければならないと述べているが、これはケ小平の816講話の内容と重なるのである。

以上のことから、温家宝が深セン視察の時期を820~21日に選んだことは偶然ではなく、816講話30周年と無関係ではない。816講話は今でも中国の政治改革の基本方針であるため、温家宝の政治体制改革の発言との関連を無視することはできない。今も色あせることのない816講話の精神を高く評価するために、表だって「816講話」というタームを出すことができないので、過度に「政治体制改革」に言及することで、温家宝なりの30周年「記念行事」としたのかもしれない。

他方、ここでケ小平を称賛したことに、温家宝の政治的な意図を読み取る必要があるだろう。胡錦濤と温家宝の対立というようなものは想定していない。政権運営、特に経済運営の中で、改革に消極的な勢力が影響力を拡大していることを懸念した可能性がある。それは、816講話30周年を素通りして、曾慶紅を学習しようなどという1つの風潮、勢力がいまだに健在であることへの懸念である。それへの対抗軸として、「ケ小平」を持ち出したのではないか。

もちろん、温家宝は20094月に胡耀邦を偲ぶ文章を発表していることから、単に1980年代はよかったという思い出に浸っただけかもしれないが。