87回 20104月の『人民日報』(20101230日)

 

41日】

●党中央弁公庁が「党政指導幹部の選抜任用工作の責任追及規則」を印刷配布

 

党と政府の指導幹部の選抜任用で「党政指導幹部の選抜任用工作条例」に違反して、不正行為を行った場合、関係者を処罰するための規則が印刷配付された。

ここでいう関係者とは、党委員会(または党グループ)の主要指導幹部、組織人事部門の主要指導幹部、幹部考察グループの責任者、規律検査・監察機関の関連指導幹部、その他の関連指導幹部を指す。

これら関係者は選抜任用工作でそれぞれに役割があるため、関係者ごとに条項によって違反行為が規定されている。例えば、党委員会(党グループ)の主要指導幹部の違反行為は、(1)幹部任免の順序と規定に違反して、個人を指定して抜擢したり、人選を調整する、(2)臨時動議をもって幹部の任免を決定する、(3)規定に沿わず、党委員会(党グループ)会議を招集し、討議し、幹部任免を決定する。

特徴的なものの1つは、第9条「党政指導幹部の選抜任用工作の民主評議、民意調査で、当該地区、当該部門のヒラ幹部(中国語で「群衆」だが、ここでは指導幹部ではないヒラの幹部を指す。決して一般大衆を指すわけではなく、一般の正職員ぐらいの感じ)の満足度が著しく低い、任用される側と任用する側の問題が深刻で、ヒラ幹部の評判が強烈な場合(悪い)、組織的な審査認定を行い、責任ある党委員会(党グループ)と組織人事部門の主要指導幹部の責任を追及しなければならない」。

もう1つは、第10条「状況がかなり深刻、またはヒラ幹部の評判がかなり悪い、悪影響をおよぼす場合、組織処理を行う」。この組織処理とは、「調離崗位」(ポスト異動)、「引咎辞職」、「責令辞職」(ともに引責辞任)、「免職」、「降職」(ポスト降格)などのこと。これらが責任の取り方ということ。

 

人事における不正行為を防ぐための規則を発表したものだが、これから2012年秋に開催予定の第18回党大会に向け、地方から順に人事が行われるので、それに備えてこの時期に規則を制定したのだろう。

主要な指導幹部の任免では、事前に人事が公開され、ヒラ幹部らが事前評価をして、正式任免に至るというのが通例だ。第9条にあるのは、その人事のやり方についてもヒラ幹部に評価してもらい、不正行為をやっている人事担当者を処分するというものなので、簡単に言えばルールに則って公正に人事をやれというもの。逆をいえば、それだけ不正行為が多いということだろう。

少数の人の意向で人事を決めるのではなく、みんなで決めようという方向性を示すもので、人事のルール化を進めたいのだろう。ルール化というと確かに聞こえはいいのだが、なんとなくしっくりこない。党に人事権があることに変わりないが、トップに人事権はないということ。中国の政治構造の中での、「トップ」って、いったい何なのだろうか。

付け加えれば、これが党中央の人事、例えば総書記や中央政治局委員の人事にも適用されるのか。恐らくこのレベルへの適用は除外されるだろう。

 

45日】

●大部門制を目指す機構改革は地方でも難しかった

 

昨年3月の全人代で政府機構改革の実施が決定した。その改革は「大部門制」改革とも呼ばれ、職責が同じ機構を統廃合するもので、国務院の部・委員会で実施された。その後、改革は地方に移り、県レベルの広東省仏山市順徳区でも昨年9月に「党政機構改革方案」が制定、実施された。それから半年が過ぎ、その成果が紹介された。

順徳区でも大部門制改革は、「政府職能をさらに転換し、政府機構間の職責関係をスムーズにする」ことが目的とされたが、最大の特徴はその範囲が党政機構の一体化に及んでいる点である。方案では、発展計画、都市と農村の管理、経済建設、市場の監督管理、大衆団体工作、政務監察などの機能が似通った党政部門の合併が進められ、もともと41あった党政機構が16に統廃合された。

例えば、国務院での統廃合に合わせる形で、社会保障、救済、福利などの職能が統合され「人力資源和社会保障局」が設置された。順徳区独自のものとしては、工商、品質監督、安全監督、文化、衛生など8部門が統合され「市場安全監督管理局」が設置された。さらに順徳区での改革の目玉である党政機構の一体化として、統一戦線工作、僑務、民族宗教、民政、大衆団体組織(工会〈労組〉、中国共産主義青年団、婦女聯合会、障害者聯合会、工商業聯合会など)が統合され、「区党委員会社会工作部」が設置された。

この改革の結果としてあげられたのは、裏インターネットバーの摘発で、工商、品質監督、安全監督、文化、衛生など8機構が一体になって大きな成果を上げた。また市場安全監督管理局の設置で、スーパーマーケット設立の認可に必要な「衛生許可証」「安全生産許可証」「営業許可証」「組織機構番号証」などの取得が1つの窓口で済むようになった。

もちろん、統廃合は簡単に進んだわけではない。新たな16機構のトップのうち13は区党委員会常務委員と副区長が兼務したが、全ての部門のトップを満たすことはできない。そのため、区に政務委員を新設し、残りのトップに就任させた。そして従来区委員会常務委員と副区長しか出席できない区聯席会議に政務委員が参加できるようにすることで、16機構のトップ全てが区の政策決定に出席できることになった。

最大の問題は、機構のトップポストの減少への対応だった。「定数を増やすことなく、降格させない」という原則に則り、全ての人員を新規の機構で雇用し、待遇や分担管理事務の職権と責任を変えなかった。また一部の指導ポストにある人に対しては、指導職務はないが待遇を同じにし、繰り上げ退職も奨励した。また、機構のことに精通している指導ポストにいた人材については副局長に任命するか、副局長待遇の新設の「局務委員」に任命した。

それでも、問題は残った。合併による旧機構の縦割りをどう解消するか。新設の「政務委員」や「局務委員」というポストが順徳区特有のもので、区外での格付けが明確でない。上級機関(広東省や仏山市)の機構との対応関係もまだ明確でない。例えば、税徴収では、営業税や企業所得税、個人所得税は地方税務局が徴収することになっているが、順徳区には税務局が財務局と合併したため、税務局は存在しないので徴収主体が曖昧なままであるしかし、広東省では関係部門を順徳区の改革に合わせることや、仏山市も順徳区に378項目の行政審批権(許認可権)を移譲することを決めるなど、対応の姿勢を見せている。

 

国務院での大部門制改革は、機構改革こそ行われたが、その理念は基本的に展開されず、ある意味失敗だったというのが私の見方である。そのため、地方の大部門制改革の記事に興味をもった。

その中で、いくつかおもしろいものが見られた。それは党政機構の一体化を目指すというこれまで聞いたことのない統廃合だからだ。また新設機構のトップすべてを区委員会常務委員や副区長が兼務するというのもあまり聞いたことがない。

機構改革と聞こえはいいが、その内実は党と政府を分ける、つまり権力を分散化するのではなく、むしろ集中させようとするのだから、一般的な改革の方向性から言えば逆行している。これを宣伝するわけだから、現在の中国政治の方向性を体現しているといえる。

また、成果としてあげている点は決して目新しいものではない。サービス窓口の一本化は、すでに深セン市などほかの地方ですでに実施されているもので、むしろ今頃までやってなかったのかという印象だし、厳密には大部門制改革の成果ではない。

さらに、統廃合によるポスト削減への対応や縦割りの弊害の解消が難しいことも、古今東西同じ問題抱えているということを表している。

地方でも大部門制の理念を体現することは難しい。

 

47日】

●政治キャンペーンは何をもたらしたのか

 

「科学的発展観の学習・実践を深める活動」(活動)総括大会が開かれ、胡錦濤が重要講話を行った。

この活動は、2007年第17回党大会の後、20083月から試点工作がスタートし、同年9月から本格実施され、3段階に分け全国で展開され、今年2月末に終了した。

この政治キャンペーンの目的として次の3つあげた。

(1)「中国の特色をもつ社会主義」理論を使って全党を武装するための重大な措置

(2)改革・開放の推進をさらに深め、経済・社会の立派で速い発展を進め、社会の調和安定を促進するための急務の必要

(3)党の執政能力を高め、党の先進性を保持、発展させるための必然的要求

成果として次の5点をあげた。(1)思想、認識の向上、(2)深刻な問題の解決、(3)体制メカニズムの創新、(4)科学的発展の促進、(5)末端組織の強化。

特に人民解放軍と武装警察部隊での活動について、言及し、「全力で改革、発展、安定の大局を維持し、軍隊の使命を有効に履行したことを活動の最大の実践、最重要の実際として、大きな成果をあげた」とその成果を讃えた。

残された課題として、地域、部門、単位間の活動の展開のアンバランス、一部の党員と幹部の科学的発展観に対する理解や把握が十分ではないことをあげた。

 

2年かけて行われたこの政治キャンペーンは、政権2期目に入った胡錦濤が、自ら提唱した「科学的発展観」を末端党員、幹部に浸透させ、権威を高めようというきわめて政治性の高いものだった。そのため、その総括大会での胡錦濤の講話に注目したが、あまりこれといった目新しい観点が提示されるわけでもなく、低調だったというのが第一印象である。

その中で注目は、人民解放軍と武装警察部隊でのこの政治キャンペーンの展開について、言及したことである。このキャンペーン中には、チベットと新彊での暴動が発生し、治安部隊が暴動鎮圧し、安定維持のために大きな役割を果たしたといえる。その結果として北京オリンピックが成功し、また金融危機の中でも比較的早く景気回復を達成した。まさに人民解放軍、武装警察部隊様々だと思ったかもしれない。

見るべきは胡錦濤よりも習近平の講話かもしれない。この政治キャンペーンの責任者は習近平であり、地方を視察し、幹部と交流し、指示を与えたことは、党務経験を積む絶好の機会となっただろう。そのため、習近平がこのキャンペーンをどう総括するかも見てみたいが、今のところ講話が公開された気配はない。いずれ『学習時報』などに出るかもしれない。

この政治キャンペーンで大きな恩恵を受けたのは、習近平をサポートして実質的に取り仕切っていた李源潮かもしれない。胡錦濤の側近の1人である李源潮だが、この活動を通じて、習近平との関係をかなり深めたことだろう。習近平自身の子分的な人材が見えてこないことから、李源潮は次期党大会ではかなり高いランクで中央政治局常務委員会委員に昇格するのではないかと思う。

 

413日】

●胡錦濤国家主席は、オバマ米大統領に言いたいことは言ったみたい

 

胡錦濤国家主席がオバマ米大統領と会談した。いくつかの懸案があるもの、注目はやはり人民元レートの問題だろう。胡錦濤はこれについて、以下のように発言した。

「人民元切り上げは米中貿易の不均衡の解決にも、米国の雇用問題の解決にもならない。中国に対米黒字を追い求める考えはない。米国からの輸入を増やし、中米貿易の均衡を促進するためにさらなる措置を講じたい」

「米側が対中輸出の拡大に努力することを希望する。特にハイテク製品の対中輸出制限の早期緩和を希望する。双方が対等な協議を通じて両国間の経済貿易摩擦を適切に処理し、中米経済貿易協力の大局を守ることを希望する」

「人民元為替レート決定メカニズムの改革を推し進めるという中国側の方針は確固とした揺るがぬものだ。これはわれわれ自身の経済・社会発展上の必要性に基づいている。具体的な改革措置は、世界経済の情勢の変化や中国経済の運営状況に基づき総合的に判断する必要がある。外部から圧力を受けて推し進めることは、とりわけない」

 

昨年から一転、今年に入り、米国の台湾への武器売却決定、オバマ米大統領のダライ・ラマ14世との会見、そして米国の人民元切り上げ圧力などが原因で、米中関係がギクシャクしていた。42日の胡錦濤国家主席とオバマ米大統領との電話会談で、落し所がどのあたりだったのかはまだよく分からないが、一応の「手打ち」が行われた。そのため、今回の米中首脳会談は、核セキュリティー・サミットの場ということもあり、ある程度形式的なものだったと思われる。

その中で、胡錦濤国家主席の発言に関する上記の報道,特に人民元の切り上げが米中貿易不均衡と米国内の雇用問題という米国の懸念を解決することにならないこと、人民元為替レート決定メカニズムの改革を迫る米国の圧力には屈しないことを伝えたことが、具体的に報道されており、中国の立場をはっきりと伝えたことが分かる。米国とは42日にすでに手打ちが行われているなので、このメッセージは米国にとっては織り込み済みで、むしろ胡錦濤国家主席は中国国内に対して、米国への強気の姿勢を示すために、具体的に報道させたのだろう。

 

415日】

●温家宝が胡耀邦を懐かしく思ったことを公表したのはなぜ

 

「興義に戻ってきて(胡)耀邦を懐かしく思う」と題する温家宝のエッセイが掲載された。

42日から貴州省を視察した温家宝総理は、興義市を訪れた。ここは、温家宝総理が党中央?公庁副主任として、19862月に当時の胡耀邦総書記の視察に同行した際、訪れた場所である。今回再び訪問し、胡耀邦との思い出を綴ったのがこのエッセイである。

このエッセイには、当時胡耀邦が精力的に雲南省、貴州省、広西チワン族自治区を視察した様子が描かれている。13日間という今の指導者には考えられない長期にわたる地方視察を胡耀邦は行っていた。このエッセイで、温家宝は単に胡耀邦との思い出話を披露しているのではない。いったい、温家宝は何を伝えたかったのかを読み取らなければならない。そのヒントになりそうなところをあげてみよう。

胡耀邦は温家宝に興義市郊外の村を視察に行くよう指示するが、その時「前もって地元政府に知らせるな」「準備していないところを見てきなさい」と指示したという。この指示を通じて、温家宝は胡耀邦の「末端の本当の情況をできるだけ多く理解したい」というねらいを理解したという。この姿勢は次のような胡耀邦の温家宝への発言からも分かる。「指導幹部は、必ず自ら末端に行って調査研究をし、大衆の苦しみを耐え意見し観察し、大衆の声に耳を傾け、生の資料を掌握し、指導工作に責任を負う人に話さなければならない。最大の危機は実際から離れることである」。そして、「中央と省レベルの地方の指導幹部は常に大衆の中に入り、末端に入り、視察訪問し、上級と下級の関係、指導機関と広範な人民大衆の関係を密接にしなければならない」と強調した。

(ここから、胡耀邦の末端の調査を重視する姿勢を読み取ることができる。また胡耀邦が地元政府に事前に知らせずに抜き打ちで調査をしていたことがうかがわれる)

また、衣依族村を視察した際の話として、「衣依族の農民黄維剛宅でごちそうになった。黄維剛は衣依族の賓客への接待の風習に則り、しっかり煮込まれた鳥の頭を()耀邦同志のお椀に取り分けた。耀邦同志と黄維剛家族は和気藹々とごちそうを食べた」エピソードを紹介した。

(ここから、衣依族の生活習慣を尊重する様子がうかがわれ、胡耀邦が民族統合の重要性を理解していたことを読み取ることができる)

また、胡耀邦は広西チワン族自治区の百色というところを訪れ、中国農紅軍第七軍跡地を参観した。

(ここから、胡耀邦が共産党の歴史を重視していたことがうかがわれる)

エッセイの最後に、当時の視察とは関係のない、温家宝と胡耀邦の関係が紹介されている。198510月に中央?公庁で仕事を始めた温家宝は2年近く胡耀邦の下で働いた。胡耀邦が総書記を解任されたのが19871月なので、解任後中央政治局常務委員会委員にとどまってからも胡耀邦の下で仕事をしていたということだ。さらに「19871月に中央の主要指導者の役職を離れてからも、私(温家宝)は常に彼(胡耀邦)の家を訪れた」とあり、2人の交流は続いていた。また「()耀邦同志が亡くなった後も、私(温家宝)は毎年旧正月には彼の家を訪れた」とあり、19896月の天安門事件以降も、温家宝が胡耀邦の遺族との交流が続いていたことが紹介されている。

 

415日は胡耀邦の命日。温家宝は明らかにこの日をねらって、エッセイを発表したといえる。

これを読んだ感想は、温家宝と胡耀邦が大変深い関係だったということだ。このことはこれまでにはあまり指摘されていない。胡錦濤も胡耀邦と関係がよかったので、今の胡錦濤政権の二本柱である胡錦濤と温家宝は、胡耀邦を介して非常に関係がいいことがうかがわれる。

温家宝がこのエッセイで伝えたかったことは、指導者が自ら末端に入って、現状を理解することの重要性だったのだろうか。もしそうならば、胡耀邦のエピソードである必要はなく、他のエピソードでも良かったはずだ。

胡耀邦がこの世を去って、すでに22年経った。政治的に微妙な点、つまり1987年と1989年の政治的な事件に触れなければ、胡耀邦を再評価してもいいということだろうか。胡耀邦と趙紫陽は共に政治的な理由から党総書記を解任された。胡耀邦については、200511月に胡耀邦生誕90周年座談会に当時の曾慶紅中央政治局常務委委員が出席し講話を行い,そのことが公表された。この曾慶紅の講話には、党としての胡耀邦に対する限定的ではあるが再評価も含まれており、趙紫陽とはまったく異なる。

しかし、胡耀邦は19896月の天安門事件と無縁ではなく、現役の総理が公の場で胡耀邦を懐かしむのは、政治的なリスクが大きい。それを承知で掲載したわけなので、胡錦濤も承認しているはずであり、そこには当然政治的な意図があると言わざるを得ない。

しかし、最近の中国の政治動向からは、このエッセイの政治的意図を私は読み切ることができない。例えば、「新左派」と「右派」の対立が激しく、胡錦濤と温家宝が改革を進めるために、1980年代の改革・開放の実行者である胡耀邦の評価を高めたということも想定できる。しかし今、改革をめぐる大きな対立を私は確認できていない。また2012年の次期党大会をにらみ、胡錦濤と温家宝に政治改革を大きく進める意図があり、そのためには1989年の「六・四」天安門事件の再評価が必要で、胡耀邦を持ち出すことはその布石ということも考えられる。しかし、今の胡錦濤と温家宝に政治改革を大きく進展させる意図はない。やはり次期党大会絡みで、胡耀邦も関係が深い共青団出身者の人事と関係しているという説明ができるかもしれない。しかし私にはその関連性をうまく説明できない。残念だが、政治的意図があることを示すだけにとどめておこう。

さて、この日の『人民日報』には、上海の浦東開発改革の回顧記事も大きく掲載されていた。上海浦東開発と言えば、江沢民の成果。胡耀邦が胡錦濤・温家宝を代表しているとすれば、上海浦東開発は江沢民を代表している。この両者が同日に掲載されたのは偶然か。はたまた『人民日報』のバランス感覚か。だとすれば、胡耀邦を持ち出したのは権力闘争か。深読みはつきない。

 

416日】

●都市部の不動産価格の上昇がかなりひどいらしい

 

国務院常務会議で、一部都市の不動産価格の加速上昇を抑制するための政策措置が検討された。その措置で目についたのは、次のこと。

不動産価格の安定と(低所得者層に対する)住宅保障では、省レベルの地方政府が総合的な責任を負い、都市部の政府がしっかり実現するという工作責任制を実行しなければならない。住宅・都市農村建設部と監察部などの官庁は審査、問責、「約談」(時間を約束して会談する)、巡査の制度を構築し、不動産価格の加速上昇を抑制し、保障性住宅(低所得者層向け住宅)の建設工作の推進に力を入れないことに対しては、責任を追及しなければならない。各地方、各官庁はしっかり職務を履行し、分担協力と指導監督検査を強化し、関連の政策措置を速やかに制定、調整、完備しなければならない。

 

2010年第1四半期のGDP伸び率が11.7%とかなり高い経済成長が見られ、すっかりV字回復したかに見える中国経済だが、不動産価格の高騰、バブル崩壊に対する警戒心が強い。そこで、国務院常務会議が、その対策を検討した。この日の『人民日報』には、関連した分析記事も掲載されている。

対策のカギは、投機性住宅の売買をいかに抑えるかにある、ということだが、その対策では省レベルの地方政府に対し、中央は責任を負えとし、問責制までちらつかせている。中央は方針を提示し、あとは地方政府にやれというお決まりのパターンにも見える。やはり、実行性が問われる。

 

421日】

●「公推直選」:候補者が2人に絞られるまでがやっぱりブラックスボックス

 

江蘇省南京市で昨年夏、363の都市部社区の党組織指導層(書記、副書記など)が「公推直選」で選ばれた。これを「党内基層民主の道の拡大」として称賛する記事が掲載された。

「公推直選」とは、自薦を含め広く候補者を推薦で募り、その中から党員が直接選挙で選ぶという選挙のやり方である。

昨年夏の選挙では、南京市内19456名の党員のうち、自薦、他薦で4562名が立候補した。内訳は自薦が1944(42.6)、他薦(連名)1139(25)だった(残りは不明)

公推直選のポイントは「差額」、つまり定数以上の候補者が立つことだ。書記の公推直選は次の通りだ。推薦を受けた立候補者は少なくとも4名である。組織的な考察を経て、3名に絞られる。その後街道党工作委員会で討論され、委員会のメンバーの採決の後、2名の候補者に絞られ、直接選挙され、選ばれる。

選挙終了後、中央の関係部門による調査で有権者の96.5%がこの選挙方法に意義があり、98.5%が満足していると答えた。

立候補した若者443名のうち、118人が指導層に当選し、うち105名が書記に当選した。その結果363名の党総書記の平均年齢は43.6才、新たに当選した指導層の平均年齢は45才と前期に比べ8.1才も若返った。また大学・専科学校以上の学歴をもっているのが23.2%であった。当選した人員構造が変化し、若返りと高学歴化が進んだ。それにより、社区党組織の職責が強化された。党組織が社区の資源を整合する能力を高めた。

 

久しぶりに基層選挙の状況のルポを読んだ。「公推直選」が進められ、多くの人が立候補して、競争選挙が繰り広げられている。しかし、やっぱり気になるのは、初期の候補者4名が2段階を経て、2名に絞られる点だ。そのプロセスが全く透明化されていない。これでは、最後の2名は、どちらが当選しても党にとってマイナスにはならないという人が選ばれていると思われても仕方がない。こうしたコメント、毎回書いている気がする。宣伝するわりには、内実に進展はないということだ。

 

42425日】

●新疆ウイグル自治区トップがついに解任

 

党中央は、23日、新疆ウイグル自治区のトップである党委員会書記の王学泉を解任することを決定した。後任には湖南省党委員会書記の張春賢を決定し。また24日には、張春賢の後任に湖南省長の周強を決定した。

 

ついに新疆ウイグル自治区党委員会書記の王学泉が解任された。現在、中央新疆工作座談会の開催準備が進んでいる。この会議で党中央は、昨年の7月と9月に新疆ウイグル自治区ウルムチ市で起きた大規模な暴動をきっかけに、新疆ウイグル自治区に対する新たな統治政策を打ち出すものと思われる。その「新しさ」の象徴として、長年新疆ウイグル自治区を牛耳ってきた王学泉を解任し、新しい指導者を据えたのだろう。

王学泉は中央政治局委員を解任されたわけではない。恐らく2012年秋の第18回党大会で引退となろう。しかしその間、兼務がないのは不自然というか、かわいそうというか、本人は恐らく抵抗しただろう。それを和らげるために、中央政法委員会副書記への就任を決定したのだろう。過去にも、中央政治局委員で天津市党委員会書記が後者を解任された後、国務院東北振興工程領導小組の副組長に就任したことがある。これも意味のないポストだった。今回の王学泉もこのケースに似ている。まあ、これで政治生命は終わったという感じだ。

後任の張春賢だが、新疆ウイグル自治区党委員会書記になる必然性はない。このポストは今となっては、貧乏くじをつかまされたという感じである。資源エネルギー分野の権限は既存の利益集団に握られているは、いつ暴動が起こるか分からない。彼の経歴では、雲南省の党委員会常務委委員、交通部長を経ている。雲南省での民族工作の経験、交通部長でのインフラ建設の経験が、新疆ウイグル自治区党委員会書記への抜擢の理由ということもできるが、ちょっとムリがある気がする。むしろ、周強の関係ではないか。

胡錦濤同様、共青団第一書記を経て、指導者としての道を歩み始めた周強。胡錦濤としては、2012年の引退までに李克強に続く共青団出身者をできるだけ引き上げておきたいという思いから、周強を省レベルの地方の党委員会書記に抜擢したのだろう。しかもキズがつかないように省長としてある程度状況を把握している同じ湖南省党委員会書記への横滑り人事を行ったのではないか。そうすると、まだ57才の張春賢の行き場所が必要になってくる。それで新疆ウイグル自治区党委員会書記に抜擢した。

王学泉の教訓から、新疆ウイグル自治区党委員会書記の任期は他の省レベルの地方と同様に、今後は長期化せず3年くらいになるだろう。そうすると張春賢は60才ぐらいで新疆ウイグル自治区党委員会書記を終え、ご褒美人事として、上がりポストとしてのどこか沿海部の省レベルの党委員会書記への抜擢となろう。

要するに、張春賢の人事には政治的な意味はなく、むしろ周強の人事に意味があるということだ。