第73回 胡錦濤の中央党校講話の分析―その1:第13回党大会回帰の意味(2007年7月15日)

 

625日に開かれた中央党校省部級幹部進修班で胡錦濤総書記が重要講話を行った。これには中央政治局常務委員全員が出席しておりその重要さが伺える。

この胡錦濤講話がなぜ重要なのか。なぜなら、この秋開催予定の第17回党大会の政治報告の骨子となると見られているからである。つまり第17回党大会以降5年間の胡錦濤政権の施政方針演説の骨子を意味している。

私が知る限りでも、過去2回の党大会では、その年の5月に当時の江沢民総書記が同様に中央党校の省部級幹部進修班で重要講話を行い、それが党大会の政治報告の骨子となっていた。この重要講話を中央政治局委員、中央委員、中央候補委員、そして進修班に参加している国務院の部長クラス、省レベルの党書記や省長らが聴取しており、彼らに胡錦濤自ら第17回党大会の政治報告の骨子を伝え、党大会に向けて考え方の統一を図るという重要な意味を持っていた。今年は6月に開かれたが、前二大会の5月に比べ開催が遅れたことは、進修班の日程によるズレに過ぎないと思われる。

さて今回と次回の二回に分け、この胡錦濤の重要講話のポイントとそれに対する私の見方を紹介する。

 ここで参考にされるものは、626日付『人民日報』に掲載された重要講話に関する記事、そして628日から75日まで計8回『人民日報』に掲載された関連の評論員論文(以下評論@からG)である。この評論は626日付の記事をそのまま引用している部分がほとんどだが、付け加えられている部分もあるためその部分に注目した。

 胡錦濤の講話は三部に分かれている。第1部は科学的発展観について、第2部は個別の政策について、第3部が党建設についてである。以下、それぞれについて見ていく

 

●胡錦濤政権が目指すものは「科学的発展観」

(1)第1部の内容

「経済グローバル化に参入したことによる新たなチャンスと新たな挑発と、工業化、都市化、市場化、国際化による新たな課題と新たな矛盾」という新たな情勢、新たな任務に直面し、胡錦濤政権は「どの道を進むのか、どの旗を掲げるのか」(評論A)という共産党にとっての「根本問題」(評論A)への答えが「中国の特色ある社会主義」の道である。

この「中国の特色ある社会主義」とは、@ケ小平理論、「三つの代表」重要思想を堅持し、A科学的発展観を実現することである。

そのために、胡錦濤は次の「4つの揺るぎない(「堅定」)もの」:@思想解放、A改革開放、B科学的発展、社会調和、C全面的小康社会の建設―を実行するよう要求した。

 @「思想解放」とは、解放すべきことに具体的に言及していないが、「時代の要求と人民の願望に適応した行動綱領と大政方針を科学的に制定する」(評論B)とされており、既存の考え方の突破を意味している。

 A「改革開放」とは、近代化改革と対外開放を進めることで社会的生産力を解放し(これまでと違うものにし)、発展させることを意味する。

 これら2つは過去からの継承事項である。B「科学的発展、社会調和」とは、胡錦濤政権下で提起された重要思想である「科学発展観」と「社会主義調和社会」派生したもので、「経済社会を立派に、速く発展させる」ことを意味する。

 C「全面的な小康社会(そこそこの生活ができる社会)の構築」とは、2020年までの目標であり、「中国の特色ある社会主義」の行き着く先として挙げられており、他の3つとは意味合いが異なる。

 特に「科学的発展観」の説明には紙面が割かれている。胡錦濤は科学的発展観を「(毛沢東、ケ小平、江沢民の)党の三代の中央指導者の発展に関する重要思想の継承、発展」と位置づける。そして科学発展観について次のように定義する:「重要な意義は発展」であり、「中心は人を基本とすること」であり、「基本要求は全面的協調的持続可能性」であり、「根本方法は統一して計画し各方面に配慮を加える」。具体的には「人民大衆の根本的な利益から発展を出発させ、人民大衆の日増しに高まる物質的要求を絶えず満足させ、人民大衆の経済、政治、文化の権益をしっかりと保障し、発展の成果を人民全体にもたらし」、「経済社会発展と人の全面的発展との統一を促進し、経済発展と人口、資源、環境を協調させること」(評論C)を求めた。

 しかし科学的発展観を実現していく上で堅持しなければならない2つの事柄を挙げる。1つは「一つの中心、二つの基本点」(経済建設を中心とし、改革開放政策と四つの基本原則を基本点とする)の基本路線を堅持することである。そして「一つの中心、二つの基本点」の堅持と中国の特色ある社会主義の発展の偉大なる実践を統一することはいかなる時も決して動揺することはない。

 もう1つは「社会主義初級段階という基本的国情」をしっかりと心に刻むことである。

(2)注目点1:科学的発展観

 さて、この第1部では2つの点に注目した。1つは、「科学的発展観」を胡錦濤政権の中心的思想とすることを鮮明にした点である。表現としては「中国の特色ある社会主義」を前面に打ち出し、科学的発展観を過去の指導者の思想を継承したものとして控えめにアピールしている。しかし「科学的発展観の実現に対する自覚性と強固さ」(評論C)を増すよう出席者に求めており、また科学的発展観の中身についても具体的な点は触れられないが、人民大衆を重視することに繰り返し言及しており、科学的発展観を印象づけている。

(3)注目点2:第13回党大会路線への回帰か

他方、「一つの中心、二つの基本点」、「社会主義初級段階」に言及されている点も注目すべきだろう。この二つの言葉は1987年の第13回党大会で公式に言及されたものである。当時は趙紫陽(総書記)政権で、この大会で党政分離など政治改革が提起されるなど大胆に改革を進めようという方向性が示された。その後1989年に天安門事件などがあり、第13回党大会路線とも言われる改革は頓挫した。だからといって、ここで胡錦濤政権が第13回党大会路線を念頭に改革を大胆に進める方針を示したという短絡的な指摘をするつもりはない。

 「一つの中心、二つの基本点」は、一方で改革を奨励しながらも、他方で四つ(@社会主義の道、A人民民主独裁、B共産党の指導、Cマルクス・レーニン主義と毛沢東思想)の基本原則を堅持することに言及したものであるが、なぜ胡錦濤は今これに言及したのか。一つの謎である。この言葉は、改革を推進することと一党支配を堅持することの間の、よく言えば共産党としてバランスをとったとも言えるし、悪く言えば妥協した言葉である。これは、党内の改革推進派と保守派の対立が激しいゆえの胡錦濤の発言なのだろうか?

「社会主義初級段階」は、今年2007226日に公表された温家宝の論文「社会主義初級段階の歴史任務とわが国の対外政策に関するいくつかの問題」ですでに言及されている。この論文は重要で、今回の胡錦濤講話が出るまでは第17回党大会の基調を示したものと思われた。その中で注目したのも「社会主義初級段階」が言及されたことだった。なぜならば、「社会主義初級段階」の意味に変更が加えられていたからである。第13回党大会では、中国は社会主義の初級段階にあり、経済発展のために生産力を発展させるため大胆な経済自由化を認めた点で「社会主義初級段階」は画期的であった。しかし温家宝は社会主義初級段階の任務を生産力を発展させることだけでなく、社会の公平と正義を実現することとした。「社会公平と正義を実現すること」を加えることで、新たな社会主義初級段階の定義を示した。胡錦濤講話は社会主義初級段階に関する言及で「社会の公平と正義の実現」について直接言及していない。しかし評論Dは「わが国の生産力はまだ発達しておらず、自主創新(自主開発―筆者注)能力が強くなく、都市と農村の発展がアンバランスで、『三農』問題解決の任務は極めて困難で、就業と社会保障の危機が高まり、生態環境や自然資源と経済社会発展のアンバランスが日増しに強まっている」として、生産力が発達していないことだけでなく、胡錦濤政権が社会の公平と正義の実現と同意義としてきた格差やアンバランスの問題に言及しており、温家宝論文と胡錦濤講話は整合性が取れている。

(4)脱江沢民路線

 「一つの中心、二つの基本点」と「社会主義初級段階」への言及は、第17回党大会以降の胡錦濤政権の方向性を示していると言えるだろう。胡錦濤自身は政権二期目で、直面している課題に取り組む姿勢を打ち出すために、「科学的発展観」を中心思想に置き、引き続き経済発展を進める一方で、社会の公平と正義の実現に精力を傾けることを内外にアピールしたものである。しかし注目すべきは、「科学的発展観」をアピールする上で、なぜ第13回党大会で提起されたスローガンをわざわざ持ち出したのかという点である。

 この点を考える上で重要なことは第17回党大会の位置づけである。胡錦濤にとって第17回党大会の狙いは「脱江沢民」である。1つは、人事で江沢民側近(これは「上海閥」と言っていいだろう)を退出させることである。これは、黄菊が死去したため、残る賈慶林を引退させ、陳良宇を完全に処分することである。しかしこの点は第13回路線とは関係ない。もう1つは、成長一辺倒の江沢民路線を否定し、独自色を示すことである。胡錦濤政権発足以後の産物である「科学的発展観」を強調することで、相対的に江沢民の産物である「三つの代表」重要思想の存在感を薄めることになる。そして、第13回党大会に回帰することは、江沢民政権下で開催された第14回から第16回までの党大会の存在感を相対的に薄めることになる。

 しかし、第13回党大会路線への実質的な回帰かと言えばそうでもない。先ほど触れたように、「一つの中心、二つの基本点」と「社会主義初級段階」の中身で、経済発展を中心とする点、改革開放政策を基本とする点、生産力を発展させることに異議を唱える人はいないだろう。問題は、四つの基本原則を基本とする点と社会の公平と正義を実現する点である。四つの基本原則は中国の政治体制である共産党の一党支配体制を維持するための原則であり、決して放棄することのできないことである。また社会の公平と正義の実現も胡錦濤政権が抱える問題を解決する上で、そして現実として政治体制を維持するために国民にアピールしなければならないことである。それは、共産党指導部内の改革推進派と保守派の対立の中で、胡錦濤が両者の顔を立てるため、持ち出したという権力闘争的な側面から説明することも可能である。また、学術レベルでのいわゆる毛沢東時代への回帰を主張する新左派や最近の社会主義民主を主張し政治改革を期待する改革派を抑えるために、両極端の併記という二つのスローガンを持ち出したという説明も可能だろう。しかし、前者については改革推進派と保守派という対立を観察することができないこと、後者については中国国外のメディアが第17回党大会以後の政治改革への期待として大きく取り上げているが、国内では学術的な論争を超えるものではなく、党はすでに中国の政治体制は維持する、西側的な政治制度の導入は拒否する旨の結論を出していることから、その論争を意識した発言を胡錦濤が講話で行うとは考えにくい。

 こうした対処的な意図ではなく、予防的な意図で、バランスをとることで政権の安定を図ろうという考えから、「一つの中心、二つの基本点」と「社会主義初級段階」を持ち出したのではないか。これについては、政権内で、党指導部内で異議を唱える人はいないだろう。非常に官僚的な発想からの政治運営を行う胡錦濤政権ならではの判断だろう。そうなると、第17回党大会後の胡錦濤政権の独自色はどこに置かれるのか。結論を先取りすれば、ドラスティックな転換を図り、極端な独自色を示そうというつもりはないのではないだろうか。既存の政治体制を守り、かつ直近の課題に取り組むというこれまた官僚的な政治運営を目指すものと思われる。