第61回 民主政治建設白書の語ること(2005年11月21日)

 

前回整理した「中国の民主政治建設」白書(1020日発表)は、政治に関して当局から出た初めての白書である。今回は、私なりに白書の内容に意味づけをしてみたい。

各種報道から明らかになっている白書の起草者は以下の3名である。

李良棟(中央党校政法部主任)

房寧(中国社会科学院政治学研究所副所長)

李林(中国社会科学院法学研究所副所長)

 彼らは白書発表直後から白書の意義を宣伝するためにメディアのインタビューに答えている。

 

●起草者:房寧へのインタビュー

房寧は『人民日報』(1021日付)のインタビューに答えている。それによれば、この時期白書を発表した理由として、第一に民主政治建設が「全面的推進、加速発展の時期に入っている」ため、整理と総括の必要があったため、第二に国内外にある民主政治建設に対する質疑や誤解を解消するためであるという。

白書に表れているとする中国の民主観として「最も広範な人民」の意志の反映、主人公としての権利の実現、合法的権益の保障が挙げられるという。

白書に見られる重要な点は3つあるという。第一に中国共産党の指導と人民が主人公であることの関係に言及したことで、党の指導が必要な理由を4点にまとめている点である(「4つの必要」)。第二に民主政治建設で遵守すべき「5つの原則」を提起していることである。第三に国情に合った民主を強調したことである。

 

●起草者:李良棟へのインタビュー

 李良棟は『法制日報』(1025日付)のインタビューに答えている。それによれば、白書のポイントとなる部分を2点挙げている。第一に、国情に沿った民主が真の民主であること、すなわち「各国の民主は内部から形成されるものであって、外からの力で無理に押しつけられるものではない」という点である。第二に、中国の特色ある民主の根本原則として、共産党の指導を堅持すること、人民が主人公であること、法に従って事をなす(国を統治する)ことを有機的に結合させるという点である。

 

●白書発表の背景

以上の起草者の発言も参考にしながら白書についていくつかのことを考えてみたい。

まずは中国政府がなぜこの時期に白書を発表したのか、その意図についてである。白書が発表されたのがちょうど5中全会が終了して間もない時期である。5中全会では第115カ年計画に関する建議が採択された。この建議は胡錦濤が総書記就任後初めて独自色を前面に打ち出す経済政策のガイドラインにあたる。白書発表も独自色を出すことの一環だったと思われる。李良棟によれば白書の起草が始まったのがだいたい1年前である。ちょうど中央軍事委員会主席が江沢民から胡錦濤に交代し、胡錦濤が権力を掌握した昨年9月の4中全会直後にあたる。白書の起草を指示したのはその問題の重要性から考えて胡錦濤自身であろう。胡錦濤は、自らの権威確立の段階を迎え、江沢民が手をつけなかった政治面の改革に何らかの形で手をつけることで権威確立を図りたいと考えたのだろう。白書発表はその第一歩の意味合いがあると思われる。

他方、胡錦濤政権が政治面での改革に手をつけざるを得ない状況に追い込まれていたことも確かである。このことを考える上で、先述の李良棟の発言が参考になる。第一に胡錦濤政権がその内容はさておき政治面での改革を進めようとしている意思表示の必要があったこと、第二に米国やEUとの外交関係をスムーズにするために政治制度改革が進んでいることをアピールする必要があったことである。

李良棟はインタビュー記事の中で「社会主義民主政治制度が高度に発展していない、政治組織系統と政治疎通チャンネルが十分整備されていない状況下では、不良な政治要求と参加が容易に政治動乱を引き起こし、社会の安定に影響を与える」と指摘している。集団抗議行動や失業者のデモが増加し社会の不安定が高まっているという現在の状況を考えれば、胡錦濤政権は政治面での改革を進める必要性に迫られているということができるだろう。

また米国やEUは、民衆の言論や結社の自由といった政治的自由が中国当局によって抑圧されており、人権が軽視されているとして外交交渉の場で中国側を非難している。特にここ数年はEUの対中武器輸出禁止措置の解除をめぐっては米国や英国などが中国の人権保障が十分でないことを理由の1つに挙げ、解除反対の立場を取り、解除されないままである。また米国では、軍事的、経済的中国脅威論が周期的に台頭しており、その際に民主的でない中国の政治体制が非難の対象となることが少なくない。そのため政治改革が進んでいることを対外的にアピールする必要があったと考えられる。

 

●「民主」を素通りした白書

次にこの白書を通読して私なりに考えてみたことを挙げてみたい。

まずこの白書は、中国の政治制度の改革の経緯と現状を説明したものである。これを見ればデータが整理されていて、現在の政治制度を説明する際には便利な報告となっている。しかし、新鮮味に欠け、新たな改革が提起されているわけではない。

「民主政治」ということで中国共産党の一党支配との関係に注目したが、すべての制度運用が「共産党が指導する」ことが前提になっている。これも目新しいものではなく、再確認されているにすぎない。ここで中国は共産党の一党支配体制の国であることを改めて確認することになる。

タイトルに「民主」とあるため、ついついドラスチックな政治改革を期待してしまうのだが、白書の冒頭で「各国の民主は内部から形成されるものであって、外からの力で無理に押しつけられるものではない」とこれまでの政治制度改革に対する原則と同様の言及を民主に対しても行い、民主についての概念説明を避けていることもこの白書の特徴である。

 しかし李良棟はインタビュー記事の中で民主という概念を世界共通なもの(「共性」)と個別のもの(「個性」)に分類して説明している。中国が「経済、文化の遅れた国家」であるから、また「民族と国家の客観的実際、すなわち国情による制約」があるから、中国は民主の「特有のモデル」を形成するとして、中国の民主を「特殊」なものと位置づけている。これが「個性」である。しかしその「個性」的な民主を相対化することはない。

 その点で、中国人民大学教授の毛壽龍が白書に対するコメントの中で中国の民主に対する厳しい評価をしている。第一に中国にはまだ民主を実現する上での条件が未成熟であるとして、明確な民主という財産権の基礎が不十分なこと、すなわち民衆の民主に対する認識が統一されていないことなどを挙げる。第二に政府の中に民主の空間が発達していないとして、政府が民主制度を十分規範化していないことを挙げる。第三に党内民主と人民民主が衝突しているとして、競争と普通選挙が体現されていないことを挙げる(『文匯報』(香港))。中国の著名な政治学者としてはかなり本質を突いたコメントを行っている。

しかし、この白書で列挙された制度それ自体はそれなりに魅力的である。それは房寧が指摘した民主観、すなわち「最も広範な人民」の意志の反映、主人公としての権利の実現、合法的権益の保障を実行するための制度であるという説明になっているからである。中国九鼎公共事務研究所研究員の張祖樺は、国際社会や国内の圧力への対応、現実の社会問題への対応だったとしても、白書が民主政治に肯定的な評価を与えたことを歓迎している(Voice of America 中文版)。確かに白書で提示された制度の個々の理念は西側の民主観と大きくかけ離れたものではないと思う。それだけに白書で示された諸制度は「共産党の指導」「社会主義」が前提となるだけで陳腐なものになってしまうのが残念である。

 

●政治的な改革へのささやかな期待

 北京政法大学法学院教授の何兵は「これまで政治は敏感なものだったが、政府が白書を発表したことで民間が民主建設についての意見を公開の場で語ることができる」として、ある意味皮肉った言い方で期待感を表明している(Voice of America 中文版)。今後の胡錦濤政権の政治面での改革は期待できるのだろうか。

白書はこれまで中国が行ってきた政治制度改革を民主的であると説明することで一貫している。しかしそれは何か弱い立場にある者が、一生懸命言い訳をしている、自分のやっていることを普通のことと変わりないといって正当化しているのと同じである。つまりこうした言い訳をしなければならないほど国内的にも国外的にも苦しい状況に置かれているのが今の共産党である。そのため何らかの改革を進めなければならないのは確かである。

他方、白書が「共産党の指導」や「社会主義」という前提を繰り返しているのは、胡錦濤政権に共産党の一党支配という枠組みを超える政治的な改革を行う意志はなく、その枠組みの中での改革しか想定していないことを表している。別の言い方をすれば、共産党の一党支配の枠組みはまだ安定しているということである。この点で胡錦濤がスゴいと思うのは、さまざまな問題の解決方法として、共産党に対する絶対的な信頼、自信をもっているということである。

問題が山積しており、その解決を迫られている状況下にありながらも、一党支配の枠組みの中で進められる改革に大きな期待を寄せることはできない。改革の優先順位は所詮2位である。しかし、そんな改革が一党支配の枠組みを壊す作用をしないだろうか。改革の目的に房寧のいうところの「民主観」が反映されるのであれば、破壊という側面を多少なりとも見いだすことができるかもしれない。そうした点に注目しなければ、胡錦濤政権の政治的な改革に注目するおもしろさはない。