第6回 南京を訪れて(2002年8月22日)

 

 出張のため、今中国・南京にいる。南京という街は、中国の歴史上さまざま時代において、重要な都市となった。太平天国発祥の地、中華民国の首都、毛沢東時代の自力更生の象徴である長江大橋など近代史をさかのぼってもいろいろある。日本人にとってもなじみなのは、たぶん南京大虐殺によるものだろう。

今回私は初めて南京を訪れた。そして合間を見て、南京大虐殺記念館を見学した。国交正常化以降の日中関係に大きな影を落としてきた、日中関係がいつもギクシャクする、その原因の1つは紛れもなく南京大虐殺である。この記念館を見学して、私自身考えるところがあった。

 

●南京大虐殺記念館

 敷地に入ると最初に眼に入ったのが「1937.12.13―1938.1」の文字の刻まれた背の高い碑である。この期間に日本軍が南京に侵略し、南京市民や投降した兵士に対する虐殺を行ったということを示している。

 次に眼に入ったのはやはり碑に刻まれた「300000」の数字だ。言うまでもない、中国側が発表している虐殺された中国人の数だ。説明は書いてなくても、中国人ならば誰でも知っていると思われる数字だ。

 次に眼に入ったのも「300000」の数字だ。もう1回出てきたのだ。ここには「遭難者」という説明書きがある。「300000」の数字が続けてバッと眼に入ると、正直あまりいい気分がしないものだ。

 そしてしばらく進むと、角張った石が広くまかれた殺風景な一角が眼に入った。外からちらっと見えたときには、未整備の土地かと思ったが、実は墓地広場なのだ。ここは虐殺が行われた場所であり、墓地となっているのだ。それが分かると、殺風景な分だけ悲惨さを助長しているように感じられた。

 ようやくたどり着いた建物の最初には、遭難者の遺骨が100体以上あっただろうか、1つ1つ番号がつけられ、発掘されたまま展示されている。いくつかの遺骨については、「銃弾が撃ち込まれた跡がある」とか「何かを口に入れられたまま殺されたので口が開いている」などの丁寧な説明が添えられている。何か何千年も前の遺跡を展示している博物館などではおなじみの光景だが、ほんの60年あまり前の出来事に対しても同じような展示をしている。

 その先の展示コーナーでは、当時の写真や新聞、体験談が展示され、いかに日本軍が残虐な行為をしたか(中国側の説明パンフには日本語で「日本軍国主義者の血生臭い暴行がばらされている」と記されている)が説明されている。

 

●日中友好はどこに

 この記念館については、これまでいろいろな報道などで概要は知っていたが、実際に見てみると、正直不愉快になった。それは、日本軍の行為に対してではなく、記念館そのものに対してである。

 このように書くと、多くの方からお叱りを受けるかもしれない。しかし最初に断っておくが、私自身は、戦争という特殊な条件の下で、日本軍が中国で虐殺行為を行ってきたことを否定するつもりはないし、また中国に対しても一定の謝罪をしなければならないと思っているし、こうした歴史が二度と起きないことを強く願っている。しかし、そのこととこの記念館に対し不快感を持つことは全く別の問題であると考えている。

不快感を抱かせる原因は、記念館全体が参観者に日本に対する嫌悪感をあおるように作られていることである。「300000」という数字の2連発、遺骨の展示、「ばらされている」や「空前絶後の殺人」など写真に対する主観的な説明は、見学した中国人に否応なく日本に対する必要以上の敵対感を抱かせる。また見学した日本人に対しては必要以上の罪悪感を抱かせるものになっている。実に「うまい」構成である。

確かに、当時の南京の人たちや兵士たちにとっては本当に辛い出来事だっただろう。今も「幸い生き残った人たち」がいるわけだから、忘れるわけには行かない。しかし、ここまでやらなければならないのだろうか。記念館は、歴史を伝えることが重要なのであって、日本に対する嫌悪感をあおる展示をする必要があるのだろうか。

広島、長崎にある原爆資料館と比較してみると、その異常さが分かる。原爆資料館の使命は、核の恐ろしさを伝え、二度と核による悲劇を起こさないことを祈念することにある。そのためには、アメリカを非難する必要はない。私の記憶では、原爆記念館にアメリカを非難する説明はないはずである。

それと比べてみると、南京大虐殺記念館は「遭難同胞を偲ぶため」とある。それはいいだろう。さらに「平和の祈りと歴史文化交流の重要な場所」とある。それもいいだろう。しかし、そのために事実を知らせること以上に、感情に訴えかける必要があるのだろうか。それが中国の言う「歴史を鑑とし、・・・」「前の経験を忘れずに、後の教訓とする」ということなのだろうか。これでは日中間のよりよい理解は生まれない。

もう1つ触れておかなければならない重要な点は、この記念館が「全国愛国主義教育模範基地」であるということだ。南京大虐殺は国による国民の愛国主義教育に利用されている。それ故に、過剰な構成になっていることは否めない。その点で、日本に対する敵対感をあおり、愛国主義を高めるという中国政府の狙いは、この資料館を見学した中国人に対しては成功していると言えるのかもしれない。しかし、それは日中友好への貢献にはならない。参観している中国人や日本人がみんな「300000」をバックに記念写真を撮っていたが、私は「300000」をバックにした記念写真を撮る気にはとうていなれなかった。見学後、不愉快な気持ちで資料館を後にした。

 

●南京の人の話

 南京大虐殺記念館を見た後に乗ったタクシー運転手が「最近の日本人は、1937年に日本軍が南京に侵略してきて、300000の人を殺したことを知らないらしいが本当か?」と聞いてきた。私はちょっと語気を強めて「みんなそのことは知っている。でも『300000人殺した』と言っているのは中国政府であって、その数字が本当かどうかは分からないだろう。ただ、日本軍が多くの中国人を殺したことは日本人みんなが知っている」と答えた。運転手は「みんな知っているのか。ニュースで最近の日本人は知らないと言っていたから聞いたんだ」と言い訳した後、すぐに「日本は経済が発展している国だなあ。・・・・」と話題を変えた。

 昨日会った若いお兄ちゃんは「日中友好、日中友好」と言っていた。私は「歴史は?」と聞くと「昔のこと。日中友好が第一。トヨタはいいなあ。おまえは車を持っているのか?」と言う。ちょっと脳天気かもしれない。だからといって、若い世代は変わってきているとか言うつもりもなければ、歴史はどうでもいいと言っているのではない。ただ、日中関係についての自分なりの見方を主張していく、そして日中関係に暗い影を落とす歴史問題1つ1つに対する中国側の偏った見解に対し、はっきりおかしいと言う努力はしなければならないと強く感じた。その意味で、南京大虐殺記念館は一見の価値がある。