第60回 5中全会に見る「科学発展観」に対する理解(2005年10月15日)

 

 常々思っていることは「科学発展観」という言葉が何を指しているのか、なかなかわかりづらい。今回は5中全会コミュニケをもとに、第115ヵ年計画の中での「科学発展観」というものを私なりに理解してみたい。ちなみに5中全会で審議採択されたのが第115ヵ年計画の大枠を示した「国民経済と社会発展の第115カ年規画の制定に関する中共中央の建議」(以下、建議)である。

 

●胡錦濤の指導思想として収斂されつつある「科学発展観」

コミュニケに見る重要な文言は次の部分である。

「確固不動に科学発展観をもって経済社会発展の全局を統率し、人を基本とすることを堅持し、発展観念を転換させ、発展モデルを創新し、発展の質を高め、経済社会発展を全面的で協調的で持続可能な発展の軌道に適切に変えなければならない」

 ここから第11次5ヵ年計画は「科学発展観」に基づいて、遂行されるのだということが分かる。それは、「親民」や「人を基本にし」「調和社会」などこれまで胡錦濤の考え方を表す言葉として出てきたどの言葉よりも「科学発展観」が上位に来る。

 しかも、「ケ小平理論、『三つの代表』重要思想を指導とし、科学発展観を全面的に貫徹し実現しなければならない」とあるように、ケ小平理論、江沢民が提唱した「三つの代表」重要思想と並んで科学発展観が表記されており、胡錦濤の政治的権威がかなり高まってきていることが伺われる。江沢民が「三つの代表」重要思想を提起するのに総書記に就いてから10年近くかかったことを思えば、胡錦濤の動きは速い。

 

●「科学」とは

それでは、「科学発展観」とはどのようなものと捉えたらいいのだろうか。本来ならばその意味するところを過去にさかのぼって検証してみる必要があるが、それは稿を変えて論じることにして、「建議」を理解するのに必要なだけの説明にしておこう。

おそらくどのような発展をするかということに「科学」という言葉が付いていることが理解を難しくしている。少なくとも「技術」という言葉と関連した意味での「科学」ではないだろう。私の解釈は「空想」に対する「科学」という社会主義用語の影響を受けた使い方ではないかと推測する。そうだとすると「科学発展観」はますます分かりづらい概念だが、「現実に沿った発展に対する考え方」と言い換えてもいいのではないだろうか。つまり、現在置かれた広い意味での環境の中では、1980年代、1990年代のような行け行けドンドン的な発展は「空想」的であって、「科学」的でなければならないということなのだろう。

 余談だが「科学」に対する上記の解釈が正しいならば、この「科学発展観」を生み出した胡錦濤のとりまきの理論家はある意味マルクス主義者ということであるし、それをよしとする胡錦濤、そして胡錦濤政権の構成者たちもマルクス主義者ということが言える。新しい状況を説明するためにいまだに社会主義用語を使っている人たちが国を動かしているわけだから、社会主義、ひいては一党支配の枠組みを壊していこうといった動きが胡錦濤政権下で出てくることは考えにくい。

 

●「科学発展観」に基づく第11次五ヵ年計画期の「発展」とは

 それでは「科学発展観」に基づく発展とはどのようなことを指すのか。「建議」が示している第115カ年規画期の「6つのやらなければならないこと」(6つの必須)の原則というのがそれにあたるのだろう。原則というからにはこれらは具体的な方策ではなく、大きな方針である。6つというのは以下の通りである。

(1)経済の安定、かなり速い発展を維持しなければならない

 ⇒経済安定のためには、基本的に高い経済成長率を維持しなければならないということではある。

(2)経済の成長方式を転換させなければならない

⇒しかし、これまでのような経済成長方式ではダメで、転換が必要である。

(3)自主創新能力を高めなければならない

⇒どのような経済成長方式に変えなければならないのか。1つが「自主創新能力」を重視することである。これまでは外部要因に頼った成長を行ってきた。例えば外資に依存したり、外国の技術を導入したりとかといったことである。外部要因に頼り過ぎる場合、制約も大きいし、リスクも生じてくるため、発展を阻害する要因になってきた。そのため、自らが新しいものを作り出す能力を高め、外部に頼る度合いを減らし、むしろ国際競争力を高めることで、長期にわたる安定した発展を維持しようと考えている。

(4)都市と農村、区域の協調発展を促進しなければならない

 ⇒これまでの経済成長方式では「先富論」に代表されるアンバランスな発展を行ってきた。そのため、都市と農村の間の、また地域間(例えば沿海部と内陸部)の経済格差の拡大が大きな問題となってきた。そのため、バランスのとれた、協調した発展を促進しようと考えている。

(5)調和社会の建設を強化しなければならない

 ⇒これまでの経済成長方式によって、人々は多様化し、人々の利益も多様化している。そして収入格差の拡大、就業環境の悪化、権利享受の不平等などにより社会に強者と弱者が生まれ、その結果利害関係が複雑になり、衝突することが増え、社会が不安定になってきている。社会安定を第一に考えると、弱者に目配りした人々の関係が調和のとれた社会の構築が必要となってきた。そのため、経済発展を追求する一方で、社会保障制度や再就職制度など周辺の制度、セーフティーネットを整備し、弱者を救済していくことに重点を置く。

(6)改革開放を絶えず深化させなければならない

 ⇒これは言葉通りに解釈すればいいだけだ。

 以上の6つの原則から第115ヵ年計画の重点が見えてくる。重点は2つで、第1にやはり高い経済成長を目指すということで、第2にしかしその方法はこれまでとは異なる方法で行う、という点だ。「科学発展観」ということからいえば第2の重点の方がより重要だろうということだろう。上記の(4)や(5)は「科学発展観」につながる原則である。(3)や(6)はむしろ第1の重点につながるものだが、(3)はこれまでは異なる方法を強調している。

 

 これまでの記述はあくまでも5中全会のコミュニケをもとにしたものである。まもなく「建議」が公表されるだろうし、来年3月に採択される計画そのものを見てみなければならないが、コミュニケから大きくはずれるものになるとは思われない。

こうした成長方式の転換は遅くとも1990年代から言われてきたことである。口で言うのは簡単なのだが、実際の行動に移すのはなかなか難しい。「建議」に見られるように、高い成長率と成長方式の転換は決して対立項ではなく、共存できるものだろう。にもかかわらず、地方政府や企業が中央にとっての抵抗勢力であるのだから、胡錦濤はどうやって両立を果たすのか。実際の行動を見ることにしよう。