第40回 政治改革政治参加制度化の展望―その2(2004年8月24日)

 

 今回は、前回の続きで2004年8月4日にアジ研夏期講座で話をした際の発言稿を掲載する。

 

●非エリートの政治参加

経済エリートは、政治エリートとの「同盟」を通じて利益獲得の手段を増やすことに成功し、富を拡大してきた。その一方で、農民や労働者に代表される非エリートは自らの利益を獲得するための組織化、集会実施などが禁じられ、利益獲得の手段をもっていなかった。しかし、今やその状況に変化が見られている。非エリート、とりわけ市場経済化への対応に伴う企業改革によりリストラされ失業したりレイオフした労働者や、土地の収用により農業に従事できなくなったり郷鎮企業の経営不振により余剰労働力となった農民などの失業者層が、貧困からくる不平等感とエリートの腐敗からくる不公正感を強め、エリートに対する不満を高めている。そして自らの利益を表出するために非合法な実力行使に訴えるケースも増えており、それが政治的安定を乱す要因になっている。

非エリートの非合法な実力行使を助長しているのが個人の財産権の侵害という問題である。具体的には、土地開発や都市化の過程で住宅の立ち退きや農地の収用を進める際、政府が法規に違反して強権を行使するケースが各地で多発している。これら問題は最近の経済過熱問題の開発区の乱開発、不動産投資の急増と無縁ではない。

こうした個人の財産権侵害の問題は、非エリートの利益表出手段、政治参加のチャンネル確保の要求を高めている。それは1つには、非エリートの我慢の限界を超えたとみることもできる。もう1つは、政治参加の制度化が進んだことにより、非エリートの利益表出が以前に比べ容易になったことも挙げられる。次に非エリートの利益表出の現状を見ておくことにする。

 

●労働争議仲裁委員会への仲裁申請

これまでにも限られてはいるが非エリートの合法的な利益獲得手段はあった。ただそれが有効に機能していなかった、軽視されてきた。しかし、合法的な手段であるために、コストがかからずに利用できるため、利用する人は年々増えている。

市場経済化に伴う企業改革が進み、国有企業を中心に労使問題は年々深刻になっている。労使問題を解決するために労働者は各行政レベルに設置されている労働争議仲裁委員会に仲裁申請をすることができる。2003年上半期に各労働争議仲裁委員会が受理した労働争議の案件数は9.98万件で、前年同期比36.7%増となっている。案件に関わった人は29.6万人に上り、同43.5%増である。そのうち集団による労働争議は4796件である。そしてこの労働争議案件の内訳は、第1位が労働報酬にかかるもので24800件、第2位が労働契約解除にかかるもので13176件、第3位が社会保障にかかるもので10518件である。

 

●土地収用に関する陳情

もう1つの合法的な利益表出手段として、党や政府への陳情(中国語で「信訪」)制度があり、各政府には陳情受付部門がある。全国人民代表大会の信報局が受け取った陳情は1年間に10%も増え、陳情に来た人数も30%増えている。また北京市党委員会には2003年1月から8月までの間に2万人が陳情に訪れ、1日平均100人を超えている【注11】。

陳情は個人による陳情と集団による陳情に大別される。その特徴は、個人の場合は生活困難や家庭内のもめ事が多く、具体的には失業やレイオフ、立ち退き、土地収用問題が多い。集団の場合は地域の問題が多く、交通、環境、施設に関する問題が多い。どちらにせよ、陳情する人は具体的な要求をもっている。最近の問題は立ち退き、土地収用問題に集中している。

国家信訪局が2003年1月から8月までに受け取った土地収用や立ち退きなど土地に関する陳情は1万1000通を超え、前年同期比で5割増、陳情に来た人数も5000人を超え、前年1年間の来訪者の5割増になっている【注12】。各中央省庁にも陳情受付部門が設置されており、国土資源部の陳情受付部門が受理した陳情の73%が農地収用に関するものである。そのうち土地収用をめぐるもめごとについての陳情が40%を占め、その87%が補償や再就職に関するものである。

陳情は確かに合法的な手段である。しかし、中国の陳情は日本の陳情とは異なり、便宜供与の依頼ではなく、労働組合の団交に似た政府に対する異議申し立てである。そのため、多少の過激さを伴うものであり、政府サイドから見れば、やっかいなものである。最近広東省深?市が「陳情秩序維持に関する通告」を出した。その内容は、陳情に来た人が交通を渋滞させたり、政府機関の仕事を妨げるなどの事件が多発しているため、集団による陳情は5人以下とし、政府機関の建物の前で横断幕を広げたり、宣伝ビラをまいたり、スローガンを叫ぶことなどを禁止するものだった【注13】。地方政府が積極的に住民の問題を解決し陳情件数が少ないことを称える記事が新聞や雑誌によく掲載される。深?市政府の関係者も「一部の住民は何か起これば、信報部門に訴えることが、裁判所に訴えることよりもいいことだ、効き目があるという誤解をしている」と言う。つまり、当局にすれば陳情件数が多いことはいいことではないのである。地方政府のトップの業績評価も、本来ならば陳情で出てきた問題の解決率が評価されるべきなのに、陳情件数の多い少ないが評価の対象になっている。これは現在の官僚制度の問題といえる。このような制度の下にあるため、陳情をした人は政府から目をつけられ、報復を受けるケースもある。それでも陳情が絶えないことは民衆にとって利益表出の手段が限られていることを示している。

他方で、陳情は政府に対し陳情を避けるよう問題の早期解決を促す大きな圧力、抑止として機能していることも指摘しておかなければならない。

 

【注11】【注12】『鏡報』2004年7月号。

【注13】『中国青年報』2004年7月24日。

 

●非合法の実力行使

合法的な手段で利益が表出できない場合、大衆は非合法の実力行使に出ざるを得ない。 @企業の再編や倒産、人員削減、A再就職先の未決定、B賃金未払いなどの案件が労働争議仲裁委員会を通じて解決しない場合、労働者はデモやストライキといった実力行使に出る。

最近の大規模なデモは、2002年3月に黒龍江省にある中国最大規模の油田である大慶油田でレイオフされた労働者数万人による職場復帰や待遇改善を求めた座り込みなどがおきている【注14】。

また、200311月に西安市の西北大学での日本人留学生の寸劇が問題で反日行動が起きた際、デモの参加者が1万人近くに膨らんだのは、国有企業の失業者やレイオフ労働者が西安市政府に抗議するために便乗したためである。

農村においても、特に中部地区で、ここ10年近くの間に郷鎮政府に対する集団による事件が多発しており、規模、過激さが増していることが報告されている【注15】。

 

【注14】『朝日新聞』2002年3月21日、『読売新聞』2002年3月23日。

【注15】『2004年中国社会形勢分析与預測』191頁。

 

●首長選挙の発展状況

選挙は住民が自分たちの利益や意見を表出する機能として民主主義国家では最も一般的な形である。中国でも、すでに新しい経済エリートが村民の直接選挙によって村民委員会主任になっていることを説明したが、住民には農村の村民委員会と都市の居民委員会の幹部を直接選挙で選ぶ権利がある。中国は民主主義国家ではないため、その効果についての評価は分かれるが、制度として存在することで、長年の運用を経て、政治構造の変化、民主的な制度の導入の拡大をもたらしていることに注目する必要があるだろう。

村民委員会幹部の直接選挙が始まったのは1987年からである。当初は上部の党組織が決めた候補者への信任選挙の意味合いが強かったが、1990年代後半以降、立候補者、当選者が多様化し、例えば経済エリートは自らの経済利益の獲得という動機から村民委員会主任に立候補するようになった。しかし、当選するには有権者である村民の支持が必要である。村民は自分たちの生活をよくしてくれる候補者に投票するわけで、その可能性の高い新しい経済エリートに投票しているということができる。また現職幹部も再選を目指して任期中の村務に力を注がなければ、村民の支持を得られないという状況になっている。村民委員会という行政組織ではない最基層の首長である主任を選ぶ選挙の結果は一党支配体制を揺るがすものではないという見方もある。しかし、選挙が村民の利益表出手段として機能していることは認めなければならないし、選挙を通じて村の政治構造に変化をもたらしていることも認めなければならない。

1997年の第15回党大会以降、一部の郷鎮において全国初の住民全員による郷長、鎮長の直接選挙の実験が行われた。1つは四川省遂寧市歩雲郷、もう1つは広東省深?市大鵬鎮である【注16】。憲法の規定では、郷長、鎮長は郷人民代表大会、鎮人民代表大会で代表の投票によって選出される。しかもその候補者は上級の党委員会によって決定され、投票は事実上の信任投票だった。そのため、大鵬鎮と歩雲郷の実験は憲法違反であったが、住民が郷長と鎮長というより高いレベルの首長を直接選挙で選んだことは大衆の政治参加としては画期的な出来事だった。しかし、実施拡大には「明日は我が身」と各級の首長の抵抗があったことは容易に想像がつく。その後郷長、鎮長の直接選挙が他の地域で実施されることはなかった。むしろ、現在の主流は「公推公選」と呼ばれる公開推薦公開選挙である。

公推公選は、組織の推薦を受けなくても自由に立候補ができる点が大きな特徴である。立候補者に対する村民委員会の幹部や村民代表による予備選挙で正式候補者を2名に絞り込み、憲法の規定に沿って人民代表大会で競争選挙を行うというものである。正式候補者を選出するまでのプロセスで住民の意見を反映させることができる点で、それまでよりも一歩前進と言える。この公推公選は1997年以来郷長や鎮長の選挙では各地で実施されるようになってきた。

新しい出来事として、200311月に江蘇省徐州市沛県で全国初の県長の公推公選が行われた【注17】。これはまだレアケースであるが、今後長い期間をかけて全国各地に広がる可能性はある。

省長については、基本的に党中央の意向に添った人が選ばれており、住民の意見が反映されることはない。中期的に直接選挙はもちろんのこと、公推公選さえあり得ない。省長になると中央に近く、一党支配体制の存続に直接的に影響を及ぼすからだ。温家宝副首相自身も「直接選挙が省長や中央の指導者に導入されることはない」と言及している。

 

【注16】歩雲郷の選挙については、拙稿『北京からの「熱点追踪」―現代中国政治の見方』アジア経済研究所、2001年。

【注17】この経緯は『北京青年報』20031129日。

 

●自薦立候補者の当選

住民が参加できるもう1つの直接選挙が基層レベルの人民代表大会代表を選ぶ選挙である。県(レベル)、省(レベル)、全国の人民代表大会代表は、1つ下のレベルの人民代表、つまり全国の人民代表は省(レベル)の人民代表の中から選ばれる。しかし農村では郷や鎮の人民代表を、都市の場合は区県の人民代表を住民は直接選挙で選ぶことができる。

200312月に北京市で15の区県の人民代表大会代表の直接選挙が実施された。この選挙は大衆重視の試みが実施されたためマスコミで大きく取り上げられた。具体的には、@戸籍の制限を打破し、北京市以外に戸籍のある出稼ぎ労働者に対しても投票権が与えられ、前回に比べ選挙登録者数、つまり有権者が5万名増えた。A若返り、高学歴化が進み、正式候補者のうち35歳以下が15%、大学卒業程度の学歴保有者が69%に達した。そして最も注目されたのが、B単位などの推薦によらない自薦立候補が認められたことである。北京市全体で23名が自薦立候補した【注18】。結果的に自薦立候補から区人民代表に当選したのは2名にすぎなかった。このうち1人は後述するホームレス李志剛殺害事件で、「ホームレス収容移送規則」について全国人民代表大会に違憲審査を申し立てた3名のうちの1人北京郵電大学講師の許志永である。もう1人は消費者の権益保護活動で有名な聶海亮だった。

このような自薦立候補は北京市に先立ち 2003年5月に深?市でも実施された。そこでは4名が自薦立候補し、そのうち留学経験を持ち、専門学校の校長を務める1名が当選した。選挙関係者は自薦立候補の動きを「指導性選挙」から「競争性選挙」、公民主導の選挙に向かう過渡的な措置と評価している【注19】。

大衆の側から見れば、自薦立候補という制度を手段として利用し、自らの利益表出を図ったといえる。この制度もおそらく北京や深?での成功を範に、今後全国各地に広がる可能性はある。当局側も改革を進めていることをアピールするために実施を拡大するかもしれない。そして、住民側もこの成功にならって自分たちの利益を表出するために人民代表大会に代表を送り込もうと動き出すだろう。しかし、そう簡単に進むかどうかはわからない。実は、湖北省潜江市ではすでに1987年から市の人民代表の選挙で自薦立候補が行われた。そして、姚立法という人が1998年に初当選していた【注20】。しかし、200311月の改選選挙では彼を含む32名が自薦立候補したが、全員が落選した。その背景には当局の激しい阻止があったと言われている。彼女のこの5年間の任期中の活動状況はわからないが、当局にとっては自薦立候補による人民代表はけむたい存在なのである。

 

【注18】多維新聞網よりダウンロード(200312月8日)

【注19】『新聞周刊』200311月3日

【注20】『新聞周刊』20031222日、46

 

●新しい利益表出

選挙は比較的早い時期から大衆の利益表出手段として制度化されたものだ。最近その新しさから注目されているのが、人民代表大会への違憲立法審査請求である。これは、戦術の陳情や後述の司法訴訟の発展型と見ることができる。

先述のホームレス李志剛殺害事件では、違憲審査請求を通じて「ホームレス移送規則」が廃止され、「ホームレス救助管理規則」が制定された。この事件は2003年3月に広東省広州市で居住許可証のないことを理由に強制収容された青年李志剛が3日後に収容先で集団暴行を受け、死亡した事件である。この事件は1ヶ月後に『南方都市報』で報道され、広く知られるところとなり、これを機に中国国内で人権をめぐる大きな議論が巻き起こり、6月に集団暴行の主犯格の元看護士ら3人に死刑判決がくだされた。同時に、先述の許志永ら3名が全国人民代表大会常務委員会に対し、ホームレスの人権を無視する根拠となっている「ホームレス収容移送規則」の違憲立法審査を求める訴えを起こした。そして、国務院常務会議で「ホームレス収容移送規則」が廃止され、「ホームレス救助管理規則」が制定された。その結果、これまで取り締まりの対象だったホームレスが保護の対象になった。

2003年7月、浙江省の退職教師や弁護士ら116名が連名で全国人民代表大会常務委員会に浙江省政府が制定した「立ち退き条例」に対し、違憲審査請求を提出した【注21】。

違憲審査請求は2002年に施行された立法法に定められた国民の権利である。もちろん、「ホームレス移送規則」が廃止され、「ホームレス救助管理規則」が制定されたことについては、胡錦濤体制発足直後であり、民衆の支持を体制基盤強化のための追い風にしたかったことやSARSによる体制への不安定要素を軽減したいという政治的な意図から当局が迅速な対応を見せたという点は否定できない。そのため、現段階で違憲審査請求が民衆の利益表出の手段として定着しているというのは難しい。しかし、非エリートでも理性的に中央や地方の政府が制定した法律、規則そのものに対し異議申し立てができるようになり、インパクトのある事例が出てきていることは、制度の定着化を期待させる。

司法訴訟も最近注目されている【注22】。何か問題が発生した場合、いくつかのステップを踏んで司法訴訟に行き着くことになる。@民事主体間での直接交渉、A居民委員会が仲裁する民間調停、B関連部門に訴える行政調停、C民事訴訟、D行政訴訟、というステップだ。

違憲審査請求や司法訴訟は制度化されており、非エリートの利益表出の新しい手段として今後行使される機会が増えていくだろう。しかしそのためには法律の専門知識が必要であり、実際に行使するには非エリートだけでは不可能である。これらの行使が可能になっている裏には弁護士や知識人が重要な仲介役としての役割を果たしていることに注目しなければならない。

都市住民だけではなく、農民の政治的な要求、利益表出も高まっており、政治的な組織化を要求するケースが見られる。昨今各地で自発的に農民協会などの組織が設立されるケースが増えている。これらの組織は表向き農民が生産技術の向上や生産などで協力することを目的としているが、実際には利益獲得を目的とする政治性を持っていることが指摘されている【注23】。

 

【注21】『新聞周刊』20031222日。

【注22】『人民日報』2004年7月14日。

【注23】『2004年中国社会形勢分析与預測』191頁。

 

●利益表出多様化の背景

これまで非エリートの利益表出獲得手段の多様化について述べてきた。ここでこの多様化を支えている要因について2点を特に指摘しておきたい。

第1に、諸制度の変更、改革の定着に伴う、非エリート自身の変容、成長の結果である。1980年代初頭の人民公社廃止以後、共産党は農村の統治方法として、村民自治を導入した。その結果、村民が自治に参加するようになり、次第に農民負担、村の公共建設に関心を持つようになってきた。都市では、長年住民を統治する機能を果たしてきた職場を中心とする「単位」社会が所有制の多様化、職業選択の多様化などの要因で崩壊し、それに変わる居住地を中心とする「社区」に統治機能が移されている。その結果、自らの利益が不動産と大きく結びつくようになってきた。こうした社会制度の変更が非エリートを政治に目を向けさせるきっかけを作り出した。また当局による長年にわたる法治国家の提唱が、その内容はさておき、人々の間に法治の意識を植え付け、意識を高める結果となった。

第2に、非エリートの利益表出方法の多様化の現状に対し社会が高い関心を集めるようなったのは、これまで繰り返し紹介してきた財産権保護というきっかけがあったからである。それは偶然的な要素といえるかもしれない。しかし、多様化された手段は制度化の裏付けを持っているため、その手段は単発のものではなく、長期的に行使され、拡大していくだろう。またこの財産保護というきっかけが生かされたのは、当局が26年間にわたり漸進的な私有財産権保護の範囲を拡大してきたことと、このきっかけの具現化に弁護士や知識人、マスメディアなどが仲介者として尽力したことも指摘しておかなければならない。特に知識人は長きにわたり法治の重要性を説き、法への関心の高まりをプロモートする役割を果たしてきた。それはこれまで正義を唱えながらも、「六・四」天安門事件など政治的な抑圧を受け、陽の目を見なかった弁護士や知識人といった人たちの逆襲といえる。

 

●上からの政治参加要求

これまで下からの要求としての政治参加の状況について述べてきた。次に、胡錦濤体制になってから上からの要請として民衆の政治参加を拡大している状況をいくつか紹介しておきたい。

第1に行政許可法の実施に見られるように、法律によって民衆の利益表出を保証するようになった。今年2004年7月1日に施行された行政許可法は、@政府の権力の制限とA公衆の権利の拡大の2点が規定された法律だが【注24】、それ以前にも国家賠償法、行政処罰法、行政不服審査法などが施行されており、行政への異議申し立てが制度化されている。これは、江沢民体制時期から法案作成が行われてきたものだが、胡錦濤体制になって一段と力を入れて取り組むようになっており、民衆の

行政参加のチャンネルも拡大している。その1つはパブリックコメント制度で、人民代表大会での審議前の法規や政策への意見募集や公聴会が認められ、各地で実施されている。しかし、こうした行政民主化、行政公開は大衆の政策決定への参与という民主要求を放出させ、社会の政治民主化の圧力と要求を軽減するという側面を持っており【注25】、当局により「先手を打つ」という意味合いもあるという解釈も成り立つ。

第2に、党内民主の重視である。胡錦濤政権が提唱する政治文明建設では、党内の様々な決定や人事を制度化し、活動や腐敗に対する監督機能を強化することに重点を置く「党内民主」が重視されている。この中の党内監督では権力を制約するための監督制度の強化を掲げており、具体的には罷免、交代など罰則を盛り込んだ法規や制度の整備を進めている【注26】。200310月の中国共産党第16期中央委員会第3回全体会議では、胡錦濤党総書記が中央政治局を代表して「活動報告」を行い、中央委員会の監督を受けた。また同年12月には「党内監督条例(試行)」と「党規律処分条例(改正)」が制定され、腐敗に対する取り締まりを強化した。党内の民主化を進めるため、地方の党幹部を党員による直接選挙で選ぶ試みも進められている。さらに200312月に四川省成都市新都区にある木蘭鎮で639名の党員による全国初の公開推薦直接選挙(公推直選)が行われた。まず11名が立候補し、鎮内の各界人士の代表243名【注27】による投票で2名の正式候補者が選ばれ、党員による選挙によって書記が選ばれた【注28】。こうした選挙は党員の意志の表出手段であり、また大衆に支持されない党員は党要職には登用しないという「民意否決」の実験でもある【注29】。

 

【注24】『中国青年報』2004年7月6日。

【注25】杜鋼建の寄稿『財経』日付不明。

【注26】『財経』2004年3月5日、35頁。

【注27】これには、鎮内の各村の代表、鎮の機関の幹部、各村民委員会主任、企業代表、鎮政協委員、知名人士などが含まる。

【注28】経緯は『21世紀経済報道』20031230日を参照。

【注29】『財経』2003年7月20日、2628頁。

 

●非エリートの政治参加の限界

非エリートの政治参加が制度的に保証され、それが機能し始め、利益表出手段の多様化は着実に進んでいる。その点を強調するのが今日の話の中心であった。しかし、現段階ではまだ限界があることも正直に指摘しておきたい。

当局が進めている制度化の多くは、われわれ西側諸国ではごく普通のことである。しかし一党支配の政治体制下では西側の制度を導入することは簡単でも、それは単なる形式的なもので、それを運用していけるだけの条件が備わっているかどうかは疑わしい。例えば、パブリックコメント制度は導入されたものの、予備知識のない非エリートが行政を監視し、意味のある発言ができる分野は極めて限られている。

人民代表の行政の政策決定や監督への影響力が大きくない。また候補者選出過程で依然として上部の党組織の影響力が大きいという選挙の手続き上の問題から人民代表が有権者の利益代表になっていない。有権者も人民代表に対する監督機能を持ち合わせていない。例えば、上海市でのアンケート調査によれば、生活が困難であるとか立ち退きなど住環境が犯されているとか、雇用主から何らかの侵害を受けている、などの問題が起きたとき、人民代表に解決を求める人はほとんどゼロに近い。居民委員会など地元の住民組織や労働社会保障関連の政府部門などに駆け込む人もいるが、6割近い人はそうした問題を解決してくれる窓口はないと見なしている。このように、非エリート層にとって、人民代表を選ぶことと自分たちの利益表出の相関関係は極めて低いことがわかる【注30

こうしたデメリットを解消するには、非エリートの政治アクターとしての成長、政治への関心の向上が必要である。そのためには、非エリートを導く仲介者としての役割を担う存在が必要である。現在その可能性を持っているのは、弁護士や知識人である。彼ら自身、こうした役割には積極的である。

 

【注30】陳映芳「貧困群体利益表達渠道調査」『戦略与管理』2003年第6期。

 

●展望―政治改革の長く険しい道

最後にエリートと非エリートとの関係から今後の中国の政治体制について展望しておきたい。

第1に、非エリートの政治参加は強化されるものの、政治への影響力には限界がある。これについてはすでに述べた。

第2に、新しい経済エリートの政界進出は、それまでの政治エリートと旧来の経済エリートとの「同盟」を強化する一方で、経済エリート層の分裂をもたらす可能性を秘めており、「同盟」関係の弱体化につながる可能性がある。

第3に、胡錦濤体制は、政治的安定のために非エリート重視の政策を打ち出し、非エリートの政治参加の拡大を容認している。しかしそのことは単に政治家の人気取りに過ぎないものならば、長く続かない。また経済エリートからの反発も懸念される。

 胡錦濤は既存エリートと、新しいエリート、そして非エリートとの間のバランスをとった舵取りを求められる。