第39回 政治改革政治参加制度化の展望―その1(2004年8月24日)

 

 今回と次回の2回に分けて、2004年8月4日にアジ研夏期講座で話をした際の発言稿を掲載する。ただし当日は必ずしもこの発言稿通りに話をしていないことをあらかじめお断りしておく。

 

●なぜ現在政治改革に注目するのか

なぜ今回、政治改革に注目してみようと思ったか、最初に話したい。第1に、昨年(2003)からアジ研で実施している中国の政治過程に関する研究会で政治過程に関わるアクターを抽出する作業をしている。そこで産業政策、農村統治、都市問題など様々なステージでアクターが多様化していることがわかってきたからだ。第2に、200211月に発足した胡錦濤体制が政治改革に関わるいくつかの施策を打ち出しているからだ。SARS騒ぎをきっかけに指導者の問責制や情報公開の促進などの制度化、定着化に力を入れたり、民衆重視の政策を掲げ、民権運動と呼ばれる一般民衆の権利獲得の動きを容認したり、民衆の政治参加の拡大する政策を進めている。第3に、1980年以降の改革開放の過程で進められてきた法治、制度に重点を置いた改革が政治構造に変化をもたらしているからだ。党や政府の幹部など政治エリート以外の人たちの政治参加のチャンネルが拡大している。制度ができても機能ない時期が長く続いたが、ここにきて実態として自律的に制度が機能し始めた点が注目される。後で詳しく触れていくが、農民の直接選挙によって、農村の権力構造に変化が見られ、経済エリートの政界進出が実現している。また、民衆の利益表出手段が多様化している。

中国の政治改革は、所詮民主化を伴わない、一党支配体制自体に変化をもたらさない改革で意味はないととらえられがちだが、これまでとは異なる政治エリート以外の人々が政治に関わりを持ち始めた現状に焦点を当て、現在どのような状況が出てきているのか、それは何を意味するのか、そしてどのような限界があるのかといったことをお話ししたい。

 

●胡錦濤体制の選択

最初に、胡錦濤体制下で民衆の政治参加が拡大している背景を考えてみる。

第1に、胡錦濤体制が比較的安定している点である。安定という意味は、権力の面から見て、胡錦濤と温家宝のコンビは強力な指導力を発揮しており、体制内部に政敵は存在しない。そのため、一般的に抵抗の大きい政治改革を進めることが可能な環境にある。政敵と見られる江沢民前総書記だが、軍を統括しているものの、胡錦濤体制全体に与える影響は限定的であると見られる【注1】。

第2に、親民路線を選択している点である。安定成長のためには政治的安定が欠かせない。そのために胡錦濤体制は民衆重視の政策、親民路線を選択し、そのことが民衆の政治参加の拡大を肯定している。後述するように、改革・開放が始まって20年近くの間の政治安定は政治エリートと経済エリートの「同盟」によってもたらされたものだった。しかし、現在では非エリートが政治的不安定の要因の1つになっている。200211月の第16回党大会で中国共産党が新しい指導思想として認めた「三つ代表」重要思想は政治エリートと経済エリート、そして非エリートとの関係に言及したものとも言えるが、そこには1990年代初頭のソ連・東欧の崩壊からの教訓が大きく生かされている。その教訓とは「ソ連でまず共産党と大衆の関係が解体したことが、ソビエト共産党とソ連邦の解体という悲劇をもたらした」【注2】ということである。その結果「三つの代表」重要思想では「広範な人民の最も根本的な利益を代表する」として民衆重視がうたわれており、民衆が政治の舞台に引き上げられることになった。

さらに、党や政府の幹部の間で腐敗がいっこうに是正される気配がなく、いっそう深刻化している。その結果農民や労働者は党や政府を信頼していないだけでなく、彼らとの不公平感を強く感じている。そのことが党や政府と民衆の関係を不安定なものにしている。こうした腐敗は党や政府への権力の過剰な集中が原因である。そのため胡錦濤体制は法律によって権力を抑制していこうという方針を打ち出している。法律による抑制の方法として、@手続きの制度と、A責任制度を整備し、運用していくこと挙げているが、その中で情報公開、公聴会などの方式によって民衆の知る権利と参加の権利を保証することを掲げており、大衆の政治参加による権力抑制を目指している【注3】。

第3に、漸進的改革の第2段階を迎えている点である。中国は1989年の天安門事件を除けばこれまで大きな政治的混乱もなく、経済発展してきた要因として急進的な改革ではなく、「漸進的改革」を進めてきたことがよく指摘される。大衆はこれまでの改革によって物質的には満たされている。次の改革の段階で大衆が求めているものは、政治的な自由、民主化といったものではない。彼らが次に求めているのは自分の権利の保証である。逆に言えば、これまで自分の権利が十分に保障されてこなかった。そのため、自分の権利、利益を主張する、表出するためのチャンネル、方法を欲している。それが漸進的改革の第2段階で求められる政治改革である。自分の権利の保証を求めるための政治改革は、将来的に民主化、つまり政権交代を前提とする共産党の一党支配体制を崩すような改革につながる可能性は十分あるが、今の段階では大衆の意識の中には民主化までの要求はない。

以上のように現在、上からの政治参加の拡大と下からの政治参加の拡大要求がある。

 

【注1】2003年の胡錦濤体制の政治運営については、今井健一・佐々木智弘「2003年の中国」『アジア動向年報2004』日本貿易振興機構アジア経済研究所、2004年。

【注2】黄葦町「蘇共亡党十年祭」『南方周末』2001年8月7日。

【注3】『人民日報』2004年7月9日。

 

1980年代から1990年代:政治エリートと経済エリートの「同盟関係」

これまでの中国では民衆が政治に参加してこなかった。党や政府の幹部、そして官僚、軍人、知識人などからなる政治エリートと、国有企業の経営者、そして企業の実質的な権限を握っていた経理マネージャーなどからなる経済エリートの安定した関係によって、改革開放政策が始まってから20年近くの間の中国の政治的安定がもたらされてきた。

政治エリートと経済エリートは、1980年代、1990年代を通じて共産党による一党支配という政治体制の変更、別の言い方をすれば民主化を先送りし、経済発展に専念するといういわゆる新権威主義体制を容認してきた。政治エリートにとっての「一党支配体制の維持」、そして経済エリートにとっての「富の拡大」というそれぞれの目的を達成するために、政治エリートは経済エリートに対し安定した経済活動を保証する代わりに、経済エリートは民主化を伴う政治改革の要求は行わないという取引をする「同盟」関係を両者は結んだということができる【注4】。つまり、現在までの政治的安定は政治エリートと経済エリートの「同盟」によって維持されてきたということができる。

他方、政治エリートと経済エリートの「同盟」は、非エリートである農民や労働者に対する統制、抑圧の上に成り立っていた。エリートと非エリートは全く断絶された状態にあった。

 

【注4】康暁光「未来3-5年中国大陸穏定性分析」『戦略与管理』2002年第3期、10頁。

 

1990年代後半:新しい経済エリートと非エリートの政治参加

しかし、1990年代後半から新しい経済エリートの登場と非エリートの台頭というアクターの多様化が見られ、これまでの政治エリートと経済エリートの「同盟」関係に変化が見られるようになった。

新しい経済エリートとは、個人零細企業や私営企業、外資系企業など非公有制企業の経営者などのことを指す。彼らの中国の経済発展への貢献は大きい。2003年末で中国の中小企業がGDP全体に占める割合は55.6%、納税額も46.2%に達している。そんな中小企業のほとんどが民営企業である。国有企業を中心に公有制企業の改革が進められる中、非公有制企業はなくてはならない存在になっている。都市部の個人零細企業、私営企業の従業員数は2003年末で8000万人を超え、都市部の労働者総数の3分の1を占める。また国有企業のレイオフ(下崗)された従業員の65%の再就職を個人零細企業と私営企業が吸収している。さらに非国有の郷鎮企業の従業員数は2003年末で1.36億人に上り、農村の大量の余剰労働力を吸収し、工業化と都市化に貢献している【注5】。そして記憶に新しいところでは、2002年の第16回党大会において、民営科学技術企業の創業者・技術者、外資系企業の管理技術者、個人零細企業経営者、私営企業家など非公有制企業の経営者やマネージャーなどが「新しい社会階層」として位置づけられ、「社会主義事業の建設者」として評価され、翌2003年には憲法にそのことが盛り込まれた。また彼らが共産党への入党も認められることが党規約に盛り込まれた。

彼らの関心は、自らが経営する企業の発展にあり、そのために政治エリートとどのような関係を持つかにあった。それが政界進出につながっていた。

もう1つのアクターとして台頭してき非エリートが、政治エリートは不平等感と不公正感に不満を強める非エリートとの関係の調整を求められている。これについては後述する。

 

【注5】多維新聞網からダウンロードした記事(2004年7月27日)

 

●非公有制経済関係者の政界進出

それでは具体的な新しい経済エリートの政界進出の状況を見ておこう。政界進出のチャンネルはいくつかあるが、最初に挙げるのは、人民代表大会代表(人民代表)や政治協商会議委員(政協委員)に選ばれることである。

2003年3月から5年間の任期が始まった第10期全国人民代表大会(日本の国会に相当する立法機関)の代表、人民代表は全部で2985名いるが、そのうち非公有制経済関係者は約200名に上り、約10%を占めている。第9期全国人民代表大会の代表のうち私営企業家が50名を超えなかったので大幅な増加と言える。また日本の参議院にあたるような存在の中国人民政治協商会議全国委員会の委員2238名には約100名が選ばれている。

また、県以上(つまり、郷鎮レベルは含まれない)、つまり日本の都道府県にあたる省レベルと日本の市にあたる中国の県レベルの人民代表には全国で約9000名、同政協委員には約3000名の私営企業家がそれぞれ選ばれている。

具体的な例を挙げてみると、浙江省富陽市では、市人民代表大会代表256名のうち78名、市政治協商会議委員208名のうち21名が私営企業家である【注6】。また山東省煙台市では、市人民代表大会代表482名のうち、企業家が159名と3分の1を占め、そのうち私営企業家は66人に上る。また市政治協商会議委員460名のうち、企業家が155名とこちらも約3分の1を占め、そのうち私営企業家は84名である。【注7】

単に多数の人民代表大会の代表や政治協商会議の委員だけではなく、それぞれの指導部にも入り込むケースも出てきている。例えば2003年には、浙江省と重慶市の政治協商会議副主席に私営企業家が選ばれている。

 

【注6】『21世紀経済報道』2004年3月8日、『2004年中国社会形勢分析与預測』社会科学文献出版社、2004年、318頁。

【注7】拙稿「WTO加盟と政府改革・政治改革」国分良成編『中国政治と東アジア』慶應義塾大学出版会、2004年、74頁。

 

●富裕人が村民委員会主任に

次に挙げるのは、村民委員会主任に選ばれることである。農村には自治組織だが事実上の行政的役割を担っている基層組織である村民委員会がある。その幹部である主任(日本の村長に相当)や副主任、委員などが村民の直接選挙で選ばれる。中国の場合、一党支配体制であるために、人々が政治的な抑圧を受けており、投票の自由などないようなイメージがあるが、1987年に「村民委員会組織法」と「選挙実施細則」が施行され、最末端で村民による.直接選挙が実施されている。

長い間村民委員会の幹部には上級の党組織が指名する党や政府の関係者が選ばれてきた。しかし最近、工業・商業企業経営者、養殖経営者など企業経営を行い、経済的に豊かになった人(ここでは富裕人と呼ぶ)が各地で多数選ばれるようになってきた。

全国でも民営企業の発展が進んでいる浙江省を例にとれば、義鳥市では2726名の村民委員会幹部のうち60%を富裕人が占めている。そのうち新たに選出された421名の主任のうち65%を富裕人が占めた。

また同じ浙江省の富陽市では、643の村民委員会の主任のうち168名が私営企業家である。これは1997年に比べると1.47倍になっている。ちなみに村の党組織である党支部のトップである書記のうち175名が私営企業家である。こちらも1997年に比べると1.46倍になっている【注8】。

 

【注8】2004年中国社会形勢分析与預測』319頁。

 

●政府機関の要職への登用

さらに当地の行政当局に官僚として直接入り込むケースも増えている。地方政府は多額の税金を納めた私営企業家に対し論功行賞として政府の要職を用意している。

河北省清河県では1990年代初めからすでに私営企業家の政府要職への登用を始めている。1999年には県の財政収入1.55億元のうち私営企業からの税収が95%以上に達し、納税額が100万元を超えた私営企業は54社に達した。県政府は2001年、1年に200万元以上の工商税を納めるか、もしくは500万以上の固定資産投資を行った企業家に与えられる「優秀企業家」の称号を8年連続獲得し、年齢が50才以下で、中学卒業以上の学歴を持つ企業家に対し、鎮の副局長レベルの役職に5年間抜擢するという基準を示している。そして、2002年には3名が副郷長級の辧事処(事務部門)副主任に、2名が副局長級幹部に抜擢された【注9】。

 

【注9】『新聞周刊』2004年3月1日。

 

●新しい経済エリートの政界進出の動機

ここまで人民代表大会代表、政治協商会議委員、村民委員会主任、政府機関の要職といった非公有制企業家など新しい経済エリートの政界進出の状況を紹介した。このような状況は、まだ中国全土で普遍的に見られるとは言えない。経済発展の進んでいる沿海地域ではかなり広がってきていると言っていいだろう。そして、今後新しい経済エリートの経済発展への貢献度がさらに高まり、また政界進出の事例がマスメディアで紹介されたり、地方当局の中で学習されていけば、新しい経済エリートの政界進出は全国各地に広がっていくだろう。

それでは、彼らの政界進出の動機はどんなところにあるのだろうか。村民委員会の幹部に就く企業家の動機には、個人の繁栄や既得権益の保護といった経済利益を追求する場合と、大衆の役に立ちたいという場合がある。圧倒的な動機は前者であり、村民委員会の幹部になることで、上級の党委員会や政府や関係部門と接触するチャンスを得て、既得権益を保護、拡大したいと考えている【注10】。

人民代表大会や政治協商会議は共産党の指導を受けることから長く「挙手の機関」「ゴム印を押すところ」と揶揄されてきた。しかし、立法機能や監督機能が強化、拡大されることで、人民代表大会代表や政治協商会議委員、さらにはこれらの副委員長や副主席といった要職に就くことが権利保護のチャンネルとして価値を持つようになってきた。例えば山東省龍口市という県レベルの市の政治協商会議副主席になった私営企業家のところには、市内の私営企業家から経営上の相談を受け、市当局に要望を伝えるという仲介する役割を果たしている。地方に行けば行くほど人民代表大会代表や政治協商会議委員という肩書きは重視され、市政府は代表や委員からの問い合わせや抗議、提案に対しては必ず回答しなければならないというプレッシャーを受けている。こうした対応が人民代表大会代表や政治協商会議委員の地位を相対的に高める結果になっている。最近では、利益実現のために法律や法規の制定に参与できるという点から人民代表大会代表になることにメリットを見いだしている企業経営者も見られる。

政府の要職に就くことは、政治エリート側から見れば当地の経済発展にとって民営企業がすでに大きな貢献を果たしており、労働者を搾取する資本家として長く敵視され、改革開放以後も政治的に不安定な立場に置かれてきた民営企業家の経済活動の安全を保証するために打ち出した方針である。当然企業家にとってもメリットは大きい。第1に政治的な栄誉であり、それは民営企業が政治的に肯定されることを意味している。第2に企業の信頼が高まる。第3に企業が政府部門と交渉する際、阻害要因を減少させ、コストを下げることができる。また企業家の子女の将来にとってもチャンスが拡大する。

他方、企業が一定程度発展した企業家の中には、地元の発展のためといった公益重視の立場から政界に進出するという人も少しずつ出てきている。彼らのような理念をもって政界に進出する人が増えれば、さらなる政治構造の変化がもたらされるだろう。しかし新しい経済エリートの政界進出の動機は、総じて自らが経営する企業の発展、ひいては自らの富の拡大にある。そこには、政治エリートへの対抗的野心、すなわち現在の政治体制の変更への関心はない。なぜならばそれは自分たちの経済活動を妨げることにつながるからである。そして、人民代表大会代表や政治協商会議委員になること自体が、彼らが現在の政治体制に対する支持を表明していることに他ならない。新しい経済エリートの政界進出は新しい政治アクターの政治参加という点では大きな変化を示している。しかし、現在のところその役割は旧来の経済エリートと大きく変わるところはなく、政治エリートと経済エリートの「同盟」を強化することにつながる。

 

【注10】『2004年中国社会形勢分析与預測』307頁。