第36回 「六・四」天安門事件15周年を迎えて(2004年6月4日)

 

 今年は「六・四」天安門事件がおきて15周年を迎える。中国に友人にこのことを尋ねると、すっかり忘れていたという返事が戻ってきた。「確かにね、15年前だもんね」って思うが、一応中国の政治を勉強をしているものとしては、気になる。今日も何かないかとネットサーフィンを始めて見た。

 

●大きな勘ぐり―ノルマンディー上陸作戦60周年との関係

『人民日報』には、予想通り「六・四」天安門事件に関する記事なり、言及なりはまったく見られず、いつも通りの紙面だった。

その中に気になる1枚の写真が掲載されていた。それは3面に「ノルマンディー−中国の平和の女神があなたを包み込む」という記事にくっついていた「平和の女神像」の写真だ。

 ノルマンディー上陸作戦決行60周年にあたる今年、中国はノルマンディーの海岸に「平和の女神像」を寄贈したのだ。この写真が、私には一瞬15年前の「六・四」天安門事件時に、学生たちが天安門広場に飾り、解放軍の装甲車に踏みつぶされてしまった「自由の女神像」とだぶってしまった。「六・四」天安門事件に絡めて「平和の女神像」の写真を掲載することの意義は何かと言われれば、探すのも難しい。現在は「平和の時代だ」ということを当局がアピールするためか、それとも支持者によるノスタルジーか。まあ、何かないかと重箱の隅をつつくように紙面を探す職業病から来る「大きな勘ぐり」にすぎない。

 それにしても今日の『人民日報』にはこのノルマンディー上陸作戦決行60周年に関する記事、論評がたくさん掲載されている。上陸したのは正確には1944年6月6日なのに。6月4日の紙面に特集が組まれたのは、単に「国際」記事の特集が毎週金曜日だからかもしれない。

 特集では、60年前はドイツ、ファシズムから欧州を解放した米国も、今ではすっかり変わってしまい、米英は異なる道を歩んでいるとして、米国政府の今のイラク戦争への対応を暗に批判する『ニューズウイーク』誌の写真とリードを掲載している。

 また、欧米の団結の日なのに、団結は難しいという現在の国際情勢を分析論評が掲載される一方、記念式典にみる国際情勢の分析論評も掲載され、初のドイツ首相の参列を意義やイラク問題で対立してきた米仏の関係改善に言及している。さらに、作戦を軍事的観点から分析する論評も掲載されている。

 第2次世界大戦の連合軍の勝利は、現在の中国共産党の一党支配に至る歴史上の重要な出来事である。しかし、ノルマンディー上陸参戦自体は中国には何の関係もない。6月4日に「六・四」天安門事件から国民の目をそらせるために、ノルマンディー60周年を特集したのだろうか。『人民日報』でそんなことをやっても、国民の目をさらせることにつながらない気もするし、他の媒体ではノルマンディー60周年については騒いでない。やっぱり「大きな勘ぐり」か。

 

●静かに過ぎる6月4日

この「六・四」天安門事件については、温家宝首相自らが4月末の欧州の新聞各紙とのインタビューで「この政治風波に対し党はすでに明確な結論を出している」としてこれまでの当局の見解を肯定して見せた。表面上は「六・四」天安門事件がすでに風化しているように見える。しかし、中国以外の報道を見ると、当時の反体制寄りの関係者に対して中国当局は監視を強めたり、天安門広場の警備を強化するなど、当局が警戒を厳しくしていることに変わりない。そして、当局がさらに警戒しているのは、民主化論議が熱く繰り広げられている香港だろう。

今の政権が行っている政治改革にしても経済改革にしても、社会改革にしてもケ小平時代からの継続にすぎない。それは、既存の政治の枠組み、すなわち一党支配体制を揺るがすような改革ではない。その枠内では「六・四」天安門事件への評価は一貫しており、再評価の余地はない。再評価は権力の自己否定につながるからだ。

今後「六・四」天安門事件の再評価も政治に利用される形でしか実現しない。政権が過去を否定することで生き延びよう、改革を行おうとするギャンブルである。少なくとも胡錦濤体制がギャンブルをしかけることはあり得ない。

15年前に中国共産党が力で民主化運動を封じ込めた事実を老百姓(人々)の中から消し去ることはできない。しかし、老百姓の記憶が再評価を促すこともあり得ない。

どうやら今年も静かに6月4日は過ぎていきそうだ。